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長野・知事選
「宴のあと」のあと


吉川 徹

多津衛民芸館主宰 元長野県望月町長

掲載日
2006年10月26日



おとなしい馬は誰でも乗りこなせる。しかし名馬にはならない。暴れ馬を乗りこなせた時、その馬は本当の名馬になる。そこには、馬と人との激しい葛藤があり、それを超えたときの共感と感動があるという。長野県民は名騎手になれなかった。

田中県政は6年前、長く続いた官僚的県政への反発を背景に誕生した。だから、県政改革はまず既得権との闘いとなり、そこには摩擦が生ぜざるを得なかった。

外郭団体への補助金は大幅に削減され、天下りはほとんど出来なくなり、県職員OBの既得権が奪われた。公共事業の入札は元札の95%以上落札が常識だったが、郵便・電子入札の導入などで70〜80%台となり、土木建築業者の既得権が失われた。かつて県会議員は地元とのパイプ役として活躍したが、車座集会などを通して県民と県行政が直接つながってしまい、県会議員の活動分野が狭められた。

 マスコミ関係者は記者クラブを通じて情報を独占できたが、「脱記者クラブ」で誰にでも情報が同時に公開され、有力マスコミの記者たちの特権が奪われた。県下最大の労働組織は労働委員の組合枠を独占してきたが、
1名を他の労働組織に振り分けたことで反田中となった。県関係の公務員は、給料を5〜10%削減され、長年の闘いで勝ち取った「権利」を奪われたという感情を拭い去れなかった。

 田中県政改革は、規制緩和・効率化・産業活性化・格差社会という国政の改革とはかなり性格を異にしていた。合併しない小さな町村を援助し、30人学級や託幼老所設置に力を注いだ。そして、「公」の意味を問い、地域の「自律」、県民が主役の「行動する民主主義」を説いた。実際に、今まで光の当たらなかった地域の小さな団体をも支援した。国政からみると、地方における「おまかせ民主主義」と「善政」は包括できるが、「自律」と「行動する民主主義」は許容範囲を超えており、許せなかったのではないか。なぜなら、そこにはレジスタンスの萌芽があるからだ。

そして今度の選挙は、この既得権を奪われた人たちの反田中連合が組織選挙を展開し、国政を担う人たちがそれを支援した。既得権はその多くが自らの生活に直結する。だから真剣である。一方田中支持派は、田中氏の登場で自分が直接の利益を得たわけではない。「公正」という形での利益は見えにくい。日本全体が田中改革とは対極の方向に進む中で、風の吹かない勝手連の活動はあまりにも弱かった。田中支持派も多くが「おまかせ民主主義」の域から脱しておらず、楽観論の中にいた。

かつて田中氏を支持し、今回は反田中になったある識者は「政策はいい、手法が悪い」といった。政策はいい、それは名馬への可能性である。手法が悪い、それは理想をかかげ、現実との間で摩擦を起こすあばれ馬である。それを乗りこなせなかった長野県民は、「お気の毒様」と言われてもやむを得ないが、私もその「気の毒な県民」の1人である。「目覚まし時計」を止めろと識者は言ったが、選挙が終わって初めて目が覚めた人もいる。

「行動する民主主義」というものが多数派になるのはまだ先かもしれないが、田中県政は、県政への県民の関心を高め、自治について大きな問題を提起したことは事実で、今後は私たち県民自身が「自律」してこの答えを探していかねばならない。新知事は「県政を後戻りさせない」という。「手法」は変えても、田中県政の「政策」は後戻りさせないということなのだろうか。「宴のあと」の後にくる光はどこから射してくるのだろう。