エントランスへはここをクリック   

核実験で問われる
日本の平和主義


山崎久隆

たんぽぽ舎

2006年11月20日



【問題解決への道】

 北朝鮮の核実験が脅威なのは事実なのだから、最も簡単な解決方法があるではないか。何も難しい話ではない。超大国を含む全ての核兵器国、言うまでもなくイスラエルも含む国々が核兵器を廃棄すれば問題は解決する。

 こんなことは昔から日本の反核運動やパグウオッシュ会議、核戦争防止医師の会などのNGOが主張しつづけてきたことである。国連総会でも何度も決議をしているし、日本だって提案している。

 すぐに出来るわけはない。けれども方向性は間違っていないどころか、これしか方法はない。日本は今すぐ核兵器国が全核兵器の廃棄に向けた具体的な取り組みを開始することを要求することだけが、有効な対応策だ。

【核拡散】

 核拡散問題が正しく理解されていないようである。

 核拡散とは核保有国が増える「水平拡散」だけではない。今ではほとんど何の制約も加えられないままに全核保有国が進めている核兵器の高度化、すなわち「垂直拡散」もまた、大きな問題である。

 米国やロシアが繰り返す「臨界前核実験」は、まさにこれを達成するために行われている。インドやパキスタンも、この高度化を水面下で進めている。実際にインドは1974年に最初の核実験を行ったが、このときは単純なプルトニウム核爆発装置であったと考えられている。それが、1998年5月に連続5回の核実験をした際には、小型の水爆を含む核弾頭の実験を行ったとされる。(真偽のほどは今も議論の的だが)

 米国が進める核兵器の高度化とは、小型核弾頭による地下深部に建設された相手国の兵器庫や指令システムの破壊である。

 これは、都市への無差別大量殺人に比べると人的被害も限定され、環境影響も比較的小さいから、核兵器使用地域周辺への影響を減らすことが出来るし、相手の反撃能力を破壊することが可能であるため、自らが核の報復を受ける可能性が大きく減るというのが触れ込みだ。実際にはそんなにうまくいくわけはないのだが。

 現在のブッシュ政権による「対テロ戦争での先制攻撃戦略」や「非核の攻撃に対する核による反撃戦略」では、実際にそのような用途に使える核兵器は現実にはほとんど無かったから、実際にこのような兵器を開発することが要求されてきた。

 核兵器を使いやすい兵器にしていくことは、核の水平拡散にも勝るとも劣らない危険な拡散だということがちゃんと理解されていないから、話は半分だけで中途半端な議論にしかならないのである。

 北朝鮮の核実験は、垂直拡散に対しても強い追風になったであろうことは間違いない。

【日本の姿勢】

 このような縦の拡散に、ほとんど何の反応もしてこなかったのは日本である。

 臨界前核実験で抗議の声を上げたのは被爆地広島と長崎であり、神奈川県などの非核自治体であり、原水禁や原水協などの市民団体であったが、政府・外務省はなんと「核兵器の安全性、信頼性を実証するための実験なので反対はしない」という態度であった。

 臨界前核実験とは、プルトニウムを核分裂の連鎖反応が起きる「臨界」直前まで爆縮し、プルトニウムなどの挙動を調べるものであり、ネバダ核実験場の地下300メートルほどに作った実験場に数百キロの高性能爆薬と実験装置と臨界量以下のプルトニウムを持ち込んで行われる。

 米国などは核爆発はしないから核実験ではないというが、核兵器の信頼性、つまり核兵器の性能維持と高度化のためにやっているのであるから「核爆発を伴わない核実験」である。

 核兵器の廃絶決議を提案している日本が、米国の臨界前核実験を容認してしまっている。これなどはダブルスタンダードそのも
のである。

 米国の核が高度化すれば、対抗する国が出るのは当然のことであり、それを阻止する国際法上の取り決めなどは国際法が核兵器を違法としない限り、存在しない。

 米国とは日米安保条約のもと、核の傘で護られているとして、米国の核を特別扱いしているが、たとえば北朝鮮の核実験を受けて、10月27日に国連総会第一委員会に日本が提出した「核軍縮決議案」では、主文第7項に「核兵器システムの運用状態の一層の低減を要請」し、第8項では「安全保障政策における核兵器の役割を低減させる必要性を強調」しているのだ。

 しかし、これらを達成するためには米国の核兵器の「運用を低減」させ米国の核の傘に護られるなどという日本の「安全保障政策における核の役割」は真っ先に低減させなければならないことではないか。

 ところが現実に起きていることは、北朝鮮の核実験に対応して米軍がその戦術核を前方展開することにでもなれば、この国は諸手を挙げてありとあらゆる支援をし、周辺事態を宣言して国民生活を統制下に置き、核の傘による防衛システムが十分に運用されるようにと働きかけるのであろう。

 それこそ国際社会に対する裏切り行為以外の何ものでもない。

【日本の核武装】

 日本の核武については多くのことを言わなければならないので、
ここでは少し違ったところから見ておきたい。

 今すぐに日本が核武装をするという「現実的な危機」は確かに無いかもしれない。さすがにIAEA保証措置協定を破棄し、NPT条約から脱退し、原子力基本法をはじめとする法令を改正するというのには時間がかかるだろう。しかし今すぐ(というほどでもないが比較的短時間で)出来る恐るべき「核武装」が存在する。それは「米軍による核の持ち込み」を解禁することである。

 そんなことを言えば「まさか」と答える人は多いだろう。しかしこの非核三原則のうちの三番目は、どこかに規定された法令があるだろうか。

 政府は非核三原則の法制化を拒否し続けてきたため、現在これは「国是」というとても曖昧な、法律以下の存在でしかない。国会で決議したからといって道義的はともかく法的拘束力があるわけでもない。

 確かに今の安部政権は「非核三原則を堅持する」と言っているが、国会などの議論はほとんど「保有」についてのみであり、持ち込みについては議論を避けている。
 これまでも「持ち込み」については、ラロック証言やライシャワー発言などで、有事の際の核の持ち込み、特に軍艦に搭載しての「通過」は密約により容認されていると言われ、事実上非核2.5原則化していると指摘されてきた。

 沖縄の核抜き本土並みが議論された時代の非核三原則は、そのウェイトは米軍による核の持ち込みにあったし、核の傘を前提としたものであった。現在の非核三原則議論は核武装そのものに移り、核の持ち込み自体はあまり議論されることなく、ヨコスカを母港としている米空母キティホークの後継をめぐって原子力空母が配備されるという問題に直面している。

 しかし日本配備の原子力空母だけが核兵器を運用しないということはほとんど考えられず、この機になし崩しで原子力空母と核兵器をいっしょに配備し、それに対する抵抗は北朝鮮の核実験を口実にそらし、国会では艦船による核の持ち込みは「非核三原則」に含まないという見解を公式のものとして、その後の陸上配備に道を開こうとするのではないかと恐れる。

 日本核武装とともに日本が核攻撃の出撃拠点となる。つまり日本が核を使う側に立つ。このような時代にさせないために、今しなければならないことはたくさんある。

 非核三原則を法制化し、それと同時に核を使わせない、という原則を加えるというのも一つの方法である。