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何処が
「子育てフレンドリーな社会」
だ!


田中康夫
掲載日2006年11月3日



 

「『美しい人間』を育てる教育の再生が急務だ。『美しい国』とは、美しい人のつくる国だ」と宣ったのは、自民党政調会長の中川昭一氏。失笑を禁じ得ません。チーム安倍に参画する面々の中に果たして、“美しい人間”は何人存在していると胸を張るのでしょう?

「デモで騒音を撒き散らす教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格は無い。免許剥奪だ」とも高言する氏は、何故に以下の科白も広言しないのでしょう? 「授業で単位偽装を続けた教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格は無い。免許剥奪だ」と。

 そりゃあ、言える訳もない。受験に有利な授業体制を、との暗黙の了解が生徒・父兄と学校の間に存在し、各都道府県の教育委員会、更には文部科学省も20年近くに亘り、“単位偽装”を黙認してきたのですから。

畏友・勝谷誠彦氏の発言を引用すれば、「軍隊を自衛隊と言い換えて結局は容認していくのと同じく本音と建前を使い分けてズルズルと既成事実を認めていくこの国の姿がまたひとつバレた」。「この国の他の場所全てで行われている「法を作って遵守せず」という脱法行為が教育の現場でも横行していると考えるのが自然」なのです。

 しかも、「子供達に罪は無い」的な“日出ずる国”お得意な情念論が横行し、大山鳴動、自害した教員以外は誰も咎めを受けずに頬被りする奇っ怪ニッポン。一億総懺悔も無ければ、A級戦犯糾弾も行われず、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の無責任状態が全国津々浦々に蔓延しています。

 5W1Hの4Wしか教えぬ・覚えぬ“詰め込み教育”では、自分の言葉で自分の考えを語れる「美しい日本人」が育たない。こうした反省の上に立って誕生した筈の“ゆとり教育”が低きに流れ、児童・生徒、教員・役人の何れにも“怠惰の悪徳”を齎す結果となった落とし前を付けねばなりません。

 即ち、詰め込み教育、ゆとり教育の何れが増しか、といった二者択一マニュアル論から脱却して、“知識から知恵へ”の発想転換こそが急務です。想像力や洞察力、直感力を養う教育こそ、現在の日本に最も欠落しているのです。自分の言葉で自分の考えを述べる日本人を育成する上でも、技巧的ディベートの技術習得以前に、作文能力の鍛錬こそ、小学校の段階で復活させるべきです。が、今や、一人ひとりの児童・生徒の作文を評価するだけの知恵を持ち合わせぬ教員が大半です。

 而して、「美しい日本」を語る筈の所信表明で片仮名言葉を109回も多用し、「子育てフレンドリーな社会」、「未来に向けた新しい日本の『カントリー・アイデンティティー』」などと、言語も意味も不明な演説を、一国の最高責任者が、恥じ入るでもなく滔々と述べてしまうのが、奇っ怪ニッポンの惨状なのです。

 日本の教育を変えねば未来は無い。上下左右、イデオロギーを超えて誰もが憂う現状です。が、それは教育基本法を改正すればバラ色の未来が訪れる程に単純な話ではないのです。にも拘らず、法的な形さえ整えれば万全だと信じて疑わぬ面々は、更に若者が都会に流出して過疎化が進行するだけなのに、高速道路さえ通れば千客万来だ、と信ずるハコモノ行政病に他なりません。