鞆の浦埋立架橋計画・中止へ 〜止まらない公共事業を 止めたもの〜 鷹取敦 掲載月日:2016年02月03日
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広島県福山市の鞆の浦に計画されていた埋立架橋計画の、広島県知事による実質的な中止の決定が2016年2月2日、山陽新聞、中国新聞等にて報じられた。 鞆の浦には、日本イコモス国内委員会によって世界遺産に値するとされるほどの歴史的に貴重な景観があり、また「崖の上のポニョ」の舞台のモデルとしても知られている。 鞆の浦の港(2007年9月29日 鷹取撮影 CASIO EX-Z750) 鞆の浦の港(2007年11月07日 鷹取撮影 CASIO EX-Z750) 埋立架橋計画は、この鞆の浦の歴史的な港を埋め立てて、横断する橋を作り、鞆地区を通過する交通を迂回させようという福山市と広島県による計画である。 環境総合研究所では、この埋立架橋事業の必要性について客観的、定量的に検証するために、現地の通過交通や速度等の調査を依頼され、実施したこともあり、下記のように、折に触れて報告してきた。なお、下記のうち、名前を示していないものは鷹取によるものであり、他に関連記事、地元市議および地域住民による論考を紹介している。
この計画は、鞆地区の住民を事業の賛成派と反対派に分断した。反対派は対案を示しつつ、10万人の反対署名を集め、さらに県が埋立許可を行わないよう、仮処分および裁判を行ってきた。 仮処分および地裁では、環境総合研究所が行った必要性を検証した調査結果も証拠として提出されている。地裁判決で、県の埋立免許の差し止めが認められ、反対派住民勝訴となっている。 また民主党に政権交代する前の、自民党政権時代の金子国土交通大臣も埋立架橋計画に反対の意向を示していた。 その後、広島県の知事が、通産官僚出身ではあるものの、民間に転じインターネットプロバイダの起業に関わった湯崎知事(当時44歳)に替わった。湯崎知事は、2010年1月から事業を止めたまま賛成、反対両派による対話を継続してきた。裁判については、結論が出るまでは控訴したまま保留されている。 ほぼ6年後となる2016年、知事は計画の中止を決断し、埋立免許を取り下げるのが今回、湯崎知事が示した方針である。 一旦、はじまった公共事業が中止となることは日本ではきわめてまれであり、また困難を伴うものでもある。湯崎知事が知事就任後にいきなり事業中止とすることなく、6年もの間、住民同士の話し合いの場を設けてきたことは、地元にとって大きな変更のために必要なプロセスだったものと思われる。 読売新聞の記事もあるように、それでも不満をもつ住民は残るものの、事業を行うにせよ、やめるにせよいきなりトップダウンで決定されることが多い日本において、6年にわたる住民の議論の場がもたれたことは貴重であろう。 特に、やめる場合のトップダウンは、八ッ場ダムにおける前原大臣の例をみれば分かるようにうまくいかない。事業が始まることによって、複雑な利害関係が生じてしまうからである。 地域住民の長年にわたる粘り強い取り組みと、知事の判断が、この結果につながった。 以下が今回の県知事の方針を伝える記事である。
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