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「いま ここにある風景」
Manufactured Landscapesを見て

鷹取 敦

掲載日:2008年3月20日


 この夏にロードショー予定のドキュメンタリー映画「いま ここにある風景」の試写会に参加する機会に恵まれた。

 カナダで最も尊敬される写真家の一人である Edward Burtynsky が、2005年に映画制作スタッフとともに経済成長の著しい中国を訪れ、滞在中の3週間半に現場でカメラを通じて見た光景を映像化している。2006〜2007年にかけ多くの賞を受賞している。実に示唆に富むドキュメンタリーである。

 中国の現場で起きていること、急激な成長の光に対する影を「賞賛も批判もせず」淡々と撮り続けている。

 ここ数年、中国で起きていることは想像を超えるスケールの大きさの違いはあるものの、それはかつて日本が経験した急速な工業化、高度成長時代と本質的に同じものであると感じた。

 スケールを超える光景には、汚染や破壊など環境問題に通ずるものが多い。世界各国から中国に集められた電機製品やIT製品の廃棄物を老人が手作業で資源化するというシニカルなものもあった。

 廃棄物となったICの「足」を一本一本外している場面、山のように積み上がり環境対策もないまま汚染が垂れ流されている場面は、他人事ではない。おそらく日本から中国に送り込まれたものがかなりの程度含まれていることだろう。

 実質110万人が開発のために立ち退いたと言われている三峡ダムの湖底に沈みゆくまちを住人自らが壊す光景は、まさに諫早湾干拓事業を彷彿とさせる。すなわち、巨大開発による被害者を「仕事を与えられる住民」として映像化されている。

 主題は中国であるが、中国以外の現場、たとえばバングラディッシュの海岸における廃船を鉄や原油などの資源回収する光景も登場する。

 Edward Burtynsky が見せる光景は、いずれも昔の日本を彷彿とさせるだけでなく、私たちの日本人の今の生活や生産と密接に繋がっていることを強く認識させられる。換言すれば、私たち先進諸国のひとびとの「豊かな生活」が、著しい格差が急速に進行する中国のひとびとの「貧しい生活」に立脚していることである。

 映画では、現地の撮影現場がたくさん出てくる。カメラを設置する様子、撮影のために中国の担当者と許可交渉する様子など。おそらく映像以外にも撮影許可をめぐり多くの難題、苦労があったことを推察させる。

 ドキュメンタリーは、Edward Burtynsky が繰り返し述べているように、良い悪いという押しつけの評価によってではなく、淡々とした目線で光景を映像化することで、先進諸国のひとびとに不可逆的な環境問題の存在の多くを考えさせる機会を与えているように思えた。

 最後に「いま、ここにある風景」というタイトルだが、試写で見た強烈な印象からは分かりにくい。試写の機会を与えてくれた関係者にこの場を借りて感謝したい。