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キラリと光るのまち、
上勝町、初探訪記


鷹取 敦

掲載日:2007年3月5日


 2007年2月24日(土)から25日(日)かけて上勝町の先進的な取り組みを見学させていただいた。

 上勝町の杉の間伐材を活用する「もくさん」の取り組み、全国にさきがけてゼロ・ウェイスト宣言をした上勝町のごみのリデュース、リユース、リサイクルの取り組みと、NPOゼロウェイストアカデミーの月例会への参加、そして全国的にも最も知名度の高い「いろどり(彩)」の取り組みである。


35分別で有名。上勝町の分別、収集拠点

 上勝町に限らず、日本の林業ほとんど産業として成り立っておらず、全国で限界集落(高齢化と人口減少が進み社会的共同生活の維持が困難になった集落)が増加し、森林の管理が出来ず今後10〜20年後には森林破壊が著しく進むという。

 その中で間伐材を有効活用した製品を次々と開発し、上勝町ならではの産業に育てていこうというのが「もくさん」の取り組みであるとうかがった。この事業は本命である主材が動かない(外材との価格競争で事業として成り立っていない)ので依然としてコスト面で厳しい状況にあるそうだ。

 日本の森林、林業の変遷、現在、直面している大きな問題について、現場でまさに奮闘している方からうかがった話は、戦慄すべき日本の現状だった。単に林業という1つの産業、地方の過疎の問題にとどまらず、この国の自然と社会を支える仕組みが根幹からまさに今、崩れようとしているのだと感じた。


もくさんにて。左が森西部長

 これまで、国も地方も、国から地方に公共事業、補助金、交付金を与えることが地方を支えて来たのだと信じてきたようだが、それが誤っていたのだということが明らかだということが現実の危機となって現れている。

 上勝町の取り組みは「もくさん」に限らず、自ら創意工夫し、自分たちの特色、都士との「違い」を資源・財産として自ら事業を興すことで、自立しようというところに特徴があるのだと感じた。

 事業として大成功し、全国的に有名になったのが「いろどり(彩)」事業だが、これは単に葉っぱを採取して売るなどという単純なものではない。

 これまでも報道で何度かこの事業について拝見して大枠は理解していたつもりだったが、実際にこの事業を立ち上げた横石さんに話をうかがって、底知れぬ情熱と鋭い現状認識、人間というものへの理解と愛情、そして実践的な仕組み作りとねばり強さに支えられていることを知ることが出来た。


横石さんの説得力ある説明

 葉っぱ等を売るという一見簡単な事業を成立させるために、十数年に渡って膨大な額を自ら投資して研究を重ね、地元に対して諦めの気持ちを持っていた人達の価値観を転換させて誇りを持てるようにし、高齢化した町のおばあちゃん達も使える高度なシステムを開発してきた横石さんの努力はたやすく真似できるものではない。

 横石さんは、保護と福祉は違う、産業振興をしないで「保護」をやると地域の活力が低下するとおっしゃっていた。保護とは、例えば国から地方への「公共事業」の配分だったり、補助金や地方交付税であり、老人を老人ホームで面倒をみることであったりする。これは日本中で当たり前のように必要とされてきたことだ。

 上勝町では「保護」をやめて、地域にプライドを持って働きがいのある仕事を作ることによって、老人ホームは不要になり(来る人がいなくなり)、医療費も都市部並みに下がったそうだ。

 横石さんがもうあきらめて、上勝を出ようとした時、地元のおばあちゃん達が署名をして引き留めてくれたという。横石さんは涙が出るほどうれしかったとおっしゃっていた目が光っていたように感じたが、私も横石さんの奮闘のお話しを思い出すだけで今でも思わず目がうるんでしまう。

 私たちにとって最も大きな関わりがあるのが、全国に先駆けて行った「ゼロ・ウェイスト宣言」であり、その取り組みである。


上勝町ゼロウエイスト・アカデミーで。
池田こみちさんの講演に聴き入る参加者。
一番前が話に笠松町長。

 ゼロ・ウェイストの先進地カナダ・ノバスコシア州では原則として4分別で、コンポスト化できるか、資源になるか、危険物か、それ以外かによって分けられる。資源になるものを徹底的に取り出すのが特徴だ。


新設されたリユースコーナーを撮影する青山さん

 これに対して上勝町の分別はなんと35分別(実質44種類)だった。分別する数が多いと大変だろうと思いがちだが、そうでは無かった。徹底的に分けた方が、どちらの箱に入れるか迷わずに済むのだそうだ。35分別なのに実質44種類に分けているのはそういう理由からで、手間をかけないため、結果として分別する種類が増えてきたそうだ。


上勝町ゼロウエイストのキーパーソン、松岡夏子さん

 収集するノバスコシアでは出来るだけ少なく4分別(その後、細かく分別するのが事業となり、雇用増にも貢献している)で、持ち込みによる上勝町が35分別であるのは、収集と持ち込みという、不要物の集め方の違いによるものであることが分かった。大切なのは分別の種類の多寡ではなく、参加する人間の心理を洞察することであることに気づかされたのは大きな収穫であった。

 そういえば「いろどり(彩)」事業で最も細心の配慮をしていたのは、人間の心理だったように思う。人間の思いに心を致すことなく、プロジェクトを成功させることは不可能だということだろう。

 いわゆる「お役所仕事」がうまくいかないのは単にコスト意識が足りないからではないのだと気がついた。コストを徹底的に切りつめれば事業がうまくいくというものではない。そこで働く人、外にいる人の心を観察し、配慮し、心理をうまく利用しなければならない。

 いどろり事業では、ふつうならのんびりと過ごすのが楽しいと考えられがちなおばあちゃんが生き生きと仕事をしていた。

 いきいきと暮らすためには何が必要か、何事も与えられ楽をすることが大切なのではないと気がついたことに、この事業が事業として成功しただけではなく、町の活性化、住んでいる人達の幸福につながった一番の理由があるのだろう。


菖蒲さん宅で

 もう1つ、上勝町の取り組みで特徴的なのは、Uターン、Iターンの若者を積極的に招き入れていることだ。特にIターンすなわち「ヨソモノ」の発想と知恵がコミュニティを活性化する。

 歴史あるコミュニティではヨソモノは必ずしも歓迎されない。そこで生ずる摩擦、軋轢は苦労でもあるが、それが刺激となって新しい考え方、生き方に変化することが可能になるのだろうと感じた。

 上勝町で学んだことは単に地方の行き方として大切なだけではない。あらゆる組織、個人の行き方、行き方にも共通して必要なことだろう。そして私が学校という狭い世界から出て、環境総合研究所で15年間の間に学んだこともまさに同じことだったように思った。

 たった2日間、往復の時間を差し引けば実質1日の見学だったが、とても密度の高い1日だったように感じた。