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東京大気汚染裁判
カラッポな 国の方針転換


鷹取 敦

掲載日:2007年2月6日



 都心部の深刻な大気汚染について損害賠償と大気汚染排出差し止めを争っている「東京大気汚染裁判」に関連して、東京都が患者救済に向けてメーカー側と協議の場を設けると報じられたことについて、以前のコラム「自らの存在を否定する環境省〜東京大気汚染裁判に関連し〜」で紹介した。

 その後、2007年年明けに、東京都の提案を軸とした和解協議に応ずる意向があることが伝えられ、国の対応が注目されていた。
毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/env/news/
20070113k0000e040064000c.html

大気汚染訴訟:メーカー全社が和解協議へ 国側対応焦点に
2007年1月13日 12時49分

東京新聞
メーカー一時金支払いも 大気汚染訴訟で東京高裁
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/
2007011501000858.html(リンク切れ)
2007年1月15日 
 先週金曜日(2月2日)、まずNHKで第一報が、その後、下記の各紙によって国が原告と和解協議に応ずる旨が報じられた。
NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/02/02/
d20070202000107.html(リンク切れ)
大気汚染 環境基準を見直しへ
2007年2月2日 12時11分

asahi.com
http://www.asahi.com/national/update/0202/
TKY200702020209.html

国「原告と話し合う用意」 東京の大気汚染訴訟
2007年2月2日 12時34分

日経新聞
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/
20070202AT1G0201B02022007.html

国交相、原告と話し合う意向・東京大気汚染訴訟
2007年2月2日13時01分

ヨミウリ・オンライン
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/
20070202it04.htm?from=top

東京大気汚染訴訟、国も和解協議へ方針転換
2007年2月2日14時11分
 上記の見出しをみると分かるが、NHKの報道だけは各紙の報道と異なり、和解に向けた国の考えに踏み込んだものとなっている。正確を期すため、これらの一連の報道に関する環境省の報道発表資料の掲載を待っていたが、一向に掲載される模様がないため、本稿では報道された内容について論ずることとする。

 まず、東京都、メーカー、国の和解に向けた考えを整理したい。

 東京都およびメーカーの意向は、一時金支払いによって原告患者を直接救済しようというものである。これは、東京高等裁判所(原田裁判長)が「提訴から10年以上経過し、原告の多くが死亡したとして、『事実認定、因果関係など争点は多岐。判決では解決できない問題を含んでおり、できる限り早く抜本的、最終的解決を図りたい』と指摘。『関係者が英知を集め、協力して』と呼びかけた。」(NIKKEI.NET 2006/9/28より引用)という事実上の和解勧告の趣旨に沿ったものである。

 一方、今回報じられた国の「方針転換」の内容は各紙の記事よると、
  • 環境省:自動車の排ガス規制などを目的としたNOx・PM法を強化するなど、公害防止対策を提案(ヨミウリ・オンラインより)

  • 国土交通省:車両が原因物質を極力抑えるような装置の開発、道路の構造を改修する工事などを原告の方々と話す(日経より)

  • 環境省:医療費負担には応じない(ヨミウリ・オンラインより)、都が提案した医療費助成制度への資金負担には応じられない(asahi.comより)
というものである。
 NHKの報道については、すでにNHKのニュースサイトに掲載されていないので、以下に対策に関わる部分を引用する。
NHKニュース:大気汚染 環境基準を見直しへ(一部、引用)

 これを受けて、国は大気汚染の主な原因となっている粒子状物質の環境基準を34年ぶりに見直し、これまでは対象としていなかった直径が1000分の2.5ミリ以下のきわめて小さな粒子にも、新たな基準を定める方向で具体的な内容を検討することになりました。

 また、深刻な大気汚染が続いている東京の環状7号線の車線を減らして通行量を減らすとともに緑地帯を作ることや、首都高速道路で路線によって料金に差をつけて車を都心から湾岸線に誘導するロードプライシングという方法の実験など、踏み込んだ大気汚染対策を検討し始めました。
 要点は、
  • PM2.5(2.5ミクロン以下の微粒子)について基準を定める方向で具体的な検討

  • 環状7号線の車線を減らして通行量を減らすことや、ロードプライシングによって都心の車を湾岸線に誘導する方法の実験などを検討
ということである。

 東京都、メーカーが原告患者を直接救済することを目的としているの対して、国の内容は、これまで延々と続けてきたもののなかなか効果が出ない自動車公害対策の「検討」をひきつづき続けるが、原告の救済は行いません、ということに尽きる。目新しいものも、具体的な効果や成果を期待できる内容はどこにも見あたらない。

 敢えて言及するとすればPM2.5の基準値を定める「方向で具体的な検討」を行うという部分がやや目新しいかもしれない。ペットボトルに入れて都知事が振って見せた黒いススとして有名な微粒子は、粒子状物質の中でも健康影響の主因であることが知られており、米国ではかなり以前より対策の対象としてモニタリングが行われてきており、日本でもその必要性が指摘されていたものの、長らく環境基準すら定められて来なかった。国、自治体の一部が細々と研究的なモニタリングを試行していたに過ぎない。

 奇しくも国の「方針転換」が報じられたまさにその日に、"Medical News TODAY"において、下記の記事が報じられた。
Medical News TODAY
http://www.medicalnewstoday.com/
healthnews.php?newsid=62058

Heart Disease In Women Linked To Air Pollution
Article Date: 01 Feb 2007 - 0:00 PST
 記事は、"A US study has found significant links between the exposure to small particle air pollution and risk of fatal and non fatal heart disease and strokes in older women." という一文で始まり、女性の心疾患におけるPM2.5の影響が明らかになったことが紹介されている。微粒子の影響としてよく知られているのは呼吸器疾患だが、心疾患においても微粒子の影響は明らかなのである。

 PM2.5(2.5ミクロン以下の微粒子)について基準を定める方向で具体的な検討、だけでは、そもそも基準が定められるかどうか全く期待できない。国はこれまでにも膨大な量の関連する調査検討を行ってきたにも関わらず、政策に反映されずに来たのが実態だからである。

 仮に基準値が定められたとして、それが妥当な値なのかというのが次に問題になる。自動車大気汚染、ダイオキシン、土壌汚染対策法の措置基準などのこれまでの環境基準、規制基準等は、事実上「現状を追認」する水準で決められてきているものが多い。PM2.5についても現状追認、すなわち、現状でもほとんど問題がありません、というレベルの環境基準が決められることになっては目も当てられない。

 また、正当な基準値が定められたとしても、それが達成されなければ全く意味がない。個別の発生源を対象とした規制基準は取り締まりが可能だが、環境基準は特定の事業者、人に達成を求めるものではない。そのため、環境基準が未達成のままでも誰も責任を問われないといううことになりがちであり、実際、首都圏・近畿圏を中心とする大都市の大気汚染は、NO2の環境基準が大幅に緩和された後も長年、未達成のまま推移してきたからこそ、裁判によって解決を求めるに至ったのである。

 もう1つ国が挙げている、ロードプライシング、環状7号線の車線削減についてだが、ロードプライシングで都心の車を湾岸線に誘導することがうまくいったとしても、それはこちらの汚染をあちらに持って行くだけである。湾岸地域の大気汚染が一層悪化することになり、解決とはほど遠い。

 環状7号線の車線削減についても、一方で都心の再開発を促進し、新たな道路建設を進めていることからすれば、ますます交通需要が増大し、環状7号線から他の道路に交通が移動するだけで、解決からはほど遠い「対策」であろう。

 これらにしてもいずれも「検討を行う」ということを表明しているに過ぎない。

 以上、みてきたことからも分かるように、国の「方針転換」は全く効果の期待できないものばかりであり、一方で、既に被害を受けている患者は全く救済されないものであることになる。「方針転換」とは、「和解しません」が、「(これまでも行ってきたように)検討を続けるだけでいいのであれば和解してもいいですよ」に変わったに過ぎないのである。

 長年にわたって喘息などの非常に厳しい健康被害を受け、命の危険にさらされている(そして実際に亡くなってしまった方も多い)患者の救済、そして将来にむけた実効性のある対策が約束されなければ、国が国としての責務を果たすことにはならないだろう。