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納豆より重大な捏造問題


鷹取 敦

掲載日:2007年1月30日

 
 「納豆のダイエット効果」を捏造したことで顰蹙を買った「あるある」なる番組が、実は以前から「みそ汁のダイエット効果」など、複数の回において捏造していたと報じられた。

 テレビ番組制作会社がこのように頻繁に捏造を行うに至った要因はいろいろとあるだろうが、現場で起こったことだけを取り上げてみれば、要するに「あらかじめ視聴者に受けそうなストーリーを作り、それを証明するデータを探したが、得られなかったため捏造に走り、専門家のコメントをも捏造してお墨付きとした」ということであろう。

 実はほとんど同じ構図を霞が関でも観察することが出来る。

 「あらかじめ事業や法律のためのストーリーを作り、その必要性・妥当性を裏付けるための根拠を探したが、得られなかったため科学的な体裁をよそおった調査をでっちあげ、審議会で専門家の形式的な審議を持ってお墨付きとする」ことである。

 例えば、不要な公共事業などはその典型だ。それを作っても防げない過去の(関係のない地域の)水害をもって、それのダム・河口堰が必要であると説明する。農家がもうこれ以上水は必要がないと言っているのに農業用水の需要があるかのように地元の「要望」を作り上げる。

 ごみが減っているのに増え続けるかのような将来を予測をして大きな焼却炉を作る。作っても作っても渋滞がなくならないのに、道路網が完成すれば渋滞は解消するのだという幻想を掲げて道路を造り続ける。もしくは誰も使わない道路、施設の需要を過大に見込み、採算が取れる事業であるかのように説明して建設を強行し、挙げ句の果てに破綻する...
枚挙にいとまはない。

 公共事業だけではない。多くの人がそれが安全・安心の目安になると信じている環境基準、環境目標にも同じような構図が見られることは余り知られていないかもしれない。目標値、基準値を決める時、行政の現場においてよく耳にする言葉に「達成できない目標を掲げるのは行政として無責任だ」というものがある。

 平たく言えば、望ましい水準、本来あるべき水準に基準、目標を掲げるのではなく、現状追認に近い値に決めましょう。そうすれば比較的容易に達成できますよ、ということだ。欧米では当たり前の基準が日本で決められていなかったり、日本の方が大幅に緩かったり、調査方法が甘かったりすることは少なくない。

 そのような「落としどころ」を決めて、あとからそれを「科学的に」説明するために調査・検討を行うのだ。行った結果は審議会、委員会などの「学識経験者」にお墨付きをつけてもらう。いわゆる「御用学者」だ。「あるある」に登場した専門家の場合には「言わなかったこと」を言ったかのようなテロップをかぶせられているから被害者だが、「御用学者」の場合は確信犯であり、捏造に荷担しているようなものだ。

 筆者がこれまで、以下コラムで指摘してきたのは、まさにこの構造である。

環境省廃プラ焼却「問題なし」の非科学性
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col133.htm

23区廃プラ焼却「実証確認」のまやかし
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col131.htm

環八開通騒音予測と制限速度の騙し討ち
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col123.html

外郭環状道路「地下化」のまやかし
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col122.html

土壌汚染対策法のデタラメな分析方法
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col121.html

横浜環状南線(圏央道)質問集会
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/takatori-col0110.html

土壌汚染対策法の正体
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col38.html

 無駄な公共事業、安全であることを意味しない環境基準の存在には、その露払いをするための時によっては「捏造」というべき調査・検討があり、それにお墨付きをつける「御用学者」がいる。

 納豆がダイエットに効くと聞いて、それを信じてスーパーに殺到するのもどうかと思うが、テレビ局が行った捏造は言語道断である。しかし納豆問題に気を取られ、もっと重大で私たちの生活に大きな影響を及ぼす「捏造」を見過ごしてはならない。