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細川元首相の都知事選立候補

佐藤清文
Seibun Satow
2014年1月15日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「ロナエに私が植えたキャベツを見れば、諸君もそんなことをすすめる気は二度と起こさないだろう」。
元ローマ皇帝ディオクレティアヌス


 2014年1月14日、細川護煕元首相が都知事選への出馬を公表します。今にしてみれば、ドナルド・ペトリ監督の『ムースポート(Welcome to Mooseport)』(2004)が日本劇場未公開だったのが残念でなりません。と言うのも、これは元大統領が町長選挙に立候補する喜劇だからです。

 ジーン・ハックマンが演じるモンロー・コールはアメリカ大統領を2期務めた後、メイン州の小さな町ムースポートで悠々自適の引退生活を送ろうとします。けれども、「イーグル」と呼ばれた彼は住民から町長になって欲しいと懇願され、それを引き受けることにします。ところが、彼が女性獣医サリーをデートに誘ったことを知り、彼女の恋人の配管工ハンディが対立候補に名乗りを上げてしまいます。演じるのは人気コメディアンのレイ・ロマノです。

 元大統領と配管工という組み合わせは、もちろん、ウォーターゲート事件の皮肉です。コール楽勝かと見られていましたが、ハンディが予想外の健闘をしたため、選挙戦は泥仕合の様相を呈します。しかし、合衆国大統領経験者を町長選挙で落選させるわけにはいかないという判断から、ハンディは降りることを決めるのです。

 選挙は公正なのだから、候補者が誰であろうと関係ないという考えもあるでしょう。しかし、元大統領が町長選挙で敗れることになれば、大統領とは何なのかという深刻な問いが浮上します。元大統領の面目が丸つぶれになるだけではすまないのです。

 大統領経験者が地方自治体の首長選挙に立候補することは必ずしも望ましくありません。しかし、出馬したなら、負けさせるわけにはいかないのです。一国を背負う大統領という役職はそんなに軽いものなのかとなってしまうからです。

 『ムースポート』はそれをよく認識しています。ハンディが降りるのは元大統領の顔を立てるためではありません。彼をその職に就けた自国の民主主義制度とその歴史の重さを尊重するためなのです。

 日本では、首相経験者が首長に転身したことはありません。ただ、大蔵大臣に就任したケースがあります。これは異例中の異例です。高橋是清・宮沢喜一両元首相のいずれでも深刻な経済危機の背景があり、その改善には、能力もさることながら、元首相という重みが必要だったからです。内閣は現状の厳しさを十分に認識しており、並々ならぬ決意で取り組むと訴えたわけです。

 元首相が首長選に立候補することは非常に重いものです。賛成していないとしても、出馬したら、自分たちがよほどの事態に直面していると認知し、負けさせるわけにはいきません。

 ところが、政府・与党からとにかく自分たちに都合のいい候補者が当選するように口撃をしています。そこには総理の重みへの敬意がありません。見苦しいまでにおごり高ぶり、軽く見ています。実際、安倍晋三政権は総理や衆参両議長の経験者の苦言に耳を貸そうともしません。例えば、小泉純一郎元首相の原発ゼロ提言も聞き流しています。「いいね!」内閣は現代の元老の意見を尊重しなければならない暗黙のルールを破っているのです。

 自国の民主主義制度とその歴史に対する統治者の敬意がこのルールを形成させています。そのないがしろは民主主義を軽んじることです。民主主義がピンチに立ち、権威主義が伸長しています。民主主義を指導者として担ってきた責任と自負があるなら、この態度は到底許せません。元総理が首長選に出馬しなければならないのは、民主主義がそれほど危機に陥っている現われなのです。今回の都知事選は民主主義の復活が争点だとさえ言えでしょう。