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失言と現代的課題

佐藤清文
Seibun Satow
2013年5月16日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「井の中の蛙大海を知らず」。


 橋下徹大阪市長は自分の発言が海外よりこれほど非難されている理由を理解できていない。容認するつもりはないけれども、従軍慰安婦制度は軍事オペレーション遂行上必要で、かつて他国も採用していたのであり、それを日本だけが責められるのはおかしい。これが彼のメッセージだろう。

 しかし、ここには国際社会が取り組まねばならない現代的課題の認識が欠けている。現代的課題はそれへの取り組みが国際的に共通認識されたものを指す。内戦を含む戦下での子どもや女性の権利侵害や人身売買は今日的課題である。人間は歴史から学ぶものであり、これを解決するためには、過去に起きたことを切り離さずに考えなければならない。

 橋下市長は、実際、慰安婦制度に関して過去と現代の断絶を強調している。従軍慰安婦制度は前近代的野蛮な行為であって、かつては必要でも、自分はその肯定に与しない。しかし、この認識自体に問題があることに彼は無自覚である。過去の出来事も現代的課題への取り組みの中で認識が再構成されるからだ。

 他の例を挙げて説明しよう。帝国主義・植民地主義政策を行っていたのは日本だけではない。けれども、こうした膨張主義は現代的課題に大きな影響を及ぼしている。民族対立はその一つだ。国際社会は負の遺産の解決や改善に取り組んでいる。あれは過去の話だと断絶を強調したり、他国もしていたと主張したりすることはそうした試みにまったく寄与しない。国際社会の一員であることを放棄するつもりなのかとさえ見られてしまうだろう。現代的課題に取り組むためには自らの過去を引き受けなければならない。

 日本の政治家の過去の出来事をめぐる修正主義的言動には、現代的課題の認識の欠如が見られる。安倍晋三首相はかねてより修正主義者と海外から見られている。最近、彼は、15年戦争の認識を問われた際、国際的に「侵略」の定義がないと発言している。

 しかし、この主張には建設性がない。国際社会が取り組まなければならない現代的課題に対し、侵略の定義の不在の意見はまったく意義を持っていない。過去の出来事を断片的に捉え、その評価に終始する。過去を正当化することが現代的課題の解消にどのように結びつくのか不明である。海外から修正主義者が「後ろ向き」と評されるゆえんである。

 修正主義者は、批判されると、歴史の評価は後世に委ねるべきだとしばしば主張する。しかし、歴史家は現代との関連の中で過去の事象を研究している。古代アフリカ史のような現代日本とは直観的には無関係である領域でも同様である。それは固定観念がそう思わせているだけかもしれないからだ。

 過去の反省とお詫びは現代的課題との関連から捉えられねばならぬ。他国に多大な被害を及ぼしたから謝るでは十分ではない。いつまで謝罪すればいいのかという意見にはこの認識が欠落している。

 橋下市長は、他国から言われてばかりいないで、主張すべきことははっきり口にする本音の姿勢が必要だと考えているようだ。けれども、こうした物申す態度は床屋談義であって、建設性がない。国際社会に責任ある国家の政治家の行為ではない。その主張が現代的課題の好転に寄与するかどうかで判断されるべきである。

 国内からも橋下市長へ発言撤回の抗議の声が上がっている。そうした中、内田樹神戸女学院大学名誉教授は、ツイッターで、無視されるよりも悪評を選ぶのが橋下の手法であるから、相手にしない方がよいと提言している。しかし、それは日本の人々が現代的課題に取り組む気がないと海外から判断されかねない行為である。こうした課題に断固たる態度で臨む認識を国際社会と共有していることを示す必要がある。鈴木貫太郎首相の「黙殺」がどのような解釈をされたか歴史から学ぶべきだ。

 修正主義発言に関して、時として、日本の世論と海外の反応とにずれが生じる。その一因は現代的課題との関連からの認識の有無である。日本語の世界の言説だけで考え、その外の目を忘れてしまう。

 日本は日本語によって守られている。この言語を理解できる人は世界的には限られている。英語であれば、解する人が多いので、多様な意見にさらされて議論せざるを得ない。日本語の場合、極端な主張が述べられても、補正されがたい。日本語話者は、意識しないと、極論に引っ張られる危険性がある。

 戦後憲法は、世界の中の日本を意識し、国際社会の一員として平和を始めとする公益の実現のために役割鵜を果たすことを前文で決意している。それを踏まえ、現代的課題に取り組むために、日本は多角的な寄与を行っている。

 明石康元国連事務次長や緒方貞子国連高等難民弁務官などの優秀な人材が国際機関で活躍している。また、人間開発を通じた根本的安全保障である「人間の安全保障」を提唱している。さらに、BBCは、毎年、世界1万人以上へのインタビューに基づいた”BBC Country Rating Poll”という世論調査を発表している。それによると、日本は世界に対して最もポジティブな影響を与えている国のトップ集団に属している。特に06〜08年は2位である。

 失言した政治家だけの問題ではない。それに甘いと海外の人々には日本は一体どういう国を目指しているのか疑問が湧くに違いない。そうなれば、これまで積み重ねてきた実績も台無しになってしまう。

 国際社会は取り組まなければならない現代的課題を抱えている。日本も意識を共有し、その解決・改善に寄与することが責任ある態度だ。そこから過去を捉える認識が日本の人々には求められている。「世界の中の日本」を改めて思い起こす必要がある。

〈了〉

参照文献
Global Scan
http://www.globescan.com/