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何事も学ばず何事も忘れず

佐藤清文
Seibun Satow
2012年09月26日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「ケーキを食べればいいじゃない(Qu'ils mangent de la brioche)」。

マリー・アントワネット

「何事も学ばず何事も忘れず(personne n'a su ni rien oublier, ni rien apprendre: nobody has been able to forget anything, nor to learn anything)」。


 革命を逃れて亡命してきたフランス貴族たちを英国人はこう揶揄している。新しい時代が到来しているのに、彼らはそれを受け入れず、滑稽にも、何もなかったかのように振る舞っている。

 革命が終わっても、それがもたらした人権や市民的自由、国民を基盤にした政治などの考え方が人々の間から消え去ることはない。古い体制が復活しようとも、人々はそれに対抗する思想を手にしている。もはや貴族の時代は過ぎ去っている。そんな現実認識が亡命貴族にはない。

 「何事も学ばず何事も忘れず」は今の自民党にもふさわしい。総裁選を通じて脱原発など3・11以降の新たな動向にはまったく関心がない。生きた化石の見本である。「民主党はこりごり」と思っていた人でも、「自民党はまだまだ」と呆れ返った人も多いことだろう。

 自民党は、3年前に下野して以来、自己改革もせず、敵失だけを根拠に自分たちが政権を担当すべきだと主張している。昔の人はこういう姿を「目くそが鼻くそを笑う」と言っている。

 自民党は組織の改善を行い、新たなヴィジョンと政策を有権者に提示することを怠っている。三党合意で消費増税を決めるや否や、10年間で200兆円のバラマキ計画がそれをよく物語っている。与党に返り咲きさせえすれば、前もそうだったんだから、何とかなる。そんな助平心が透けて見える。

 谷垣禎一では次期選挙は勝てないと森嘉朗や古賀誠ら長老は石原伸晃を擁立したものの、「平成の明智光秀」と見なされ、決選投票にも進めない。長老は長年の経験による情報収集力とバランス感覚によって知恵袋たり得るのだが、今回に限らず、見当はずれの連続だ。彼らはその名に値しない。また、町村信孝は、一時は党内で最大だった派閥の領袖でありながら、それに恥じぬ構想も示せず、ブービー賞に終わる。

 挙げ句、若隠居させておくべき安倍晋三を新総裁に選出する有様だ。政策の優先順位は恣意的で、極論を口にし、お友だちに囲まれている。成長の跡がまったく見られない。政権を放り投げておきながら復権しようとするあたりは疫病神の近衛文麿と同じである。近衛同様、利用できると思っている勢力が多いからだろう。

 自民党に人材がいないわけではない。けれども、そうした才能や能力が組織の体質によって生かされていない。これだけ自己統治ができないのに、改革の必要とされている国の政権を担当させろというのは厚顔無恥にもほどがある。時間はあったはずだ。

 安倍晋三の体現するアンシャン・レジームが復活する動きを見せても、市民はそれに対抗する思想と行動をすでに経験している。3・11をなかったかのような振る舞いを決して許さない。フクシマは現在進行形だ。黒澤明監督の『夢』の「赤富士」は夢ではない。それのわからぬアナクロに対しては、昔から使われてきたぴったりの言い回しがある。

 一昨日来い!

〈了〉