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アイヌ政党

佐藤清文
Seibun Satow
2011年11月1日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「冒頭に申し上げました私の言葉、皆さんは私が通訳をしなければどこの言葉かおわかりでなかったでしょう。これは決して日本のある地方の方言ではありません。アイヌ語です。アイヌ語は言語的には日本語とは全く違う言葉であります。アイヌは日本人とは異なる文化、言語のもとで生きてきたことをわかっていただけたかなと思っております。今、アイヌ語を完全に話せる人は本当に少なくなりました。それは長いことアイヌにとってはアイヌ語を使うこと自体が差別にさらされることであったがために、だれもアイヌ語を使わなくなった結果であります」。

萱野茂


 2011年10月30日付『朝日新聞』によると、アイヌ民族が政治団体を北海道で発足させ、次期参議院議員選挙の際に比例区から候補者10人程度の擁立を検討している。アイヌ民族はこれまで政治結社を設立することはしていない。社会運動としての団体を結成し、先住民族としての権利の保障や尊厳の尊重を中央・地方政府に求めている。けれども、そうした施策が実現しないことへの不満・危機の意識から政治団体を結党し、中央・地方議会へ議員を送る方針に転換する。選挙管理員会へ政治団体として届け出、年明けに結成大会を開催する予定である。

 10月29日夜に、札幌市で「アイヌ民族党(仮)」結成に向けた準備会が開かれる。代表には、アイヌ民族初の国会議員である故萱野茂参院議員の次男の萱野志朗萱野茂二風谷アイヌ資料館館長が就任すると見られている。役員には、アイヌ民族最大の団体である北海道アイヌ協会理事や支部長も名を連ねる予定である。選挙の候補者はアイヌ民族が原則であるが、党への参加はその限りではない。

 アイヌ民族が今政治団体を結成することよりも、これまでなかったことの方が驚きである。近代日本において、アイヌ民族が置かれた状況は筆舌に尽くしがたい。土地を奪われ、権利も剥奪、同化を強制、差別と無関心に見舞われている。2009年にユネスコはアイヌ語を「消滅寸前言語」の一つに指定したが、これはほんの一例にすぎない。横光利一は『純粋小説論』(1935)において「四人称」の文体を提唱したが、これはアイヌ語に見られる特徴の一つである。かつてのモダニズム作家と違い、こうした知識さえ現在の日本社会では共有されているとは言いがたい。

 今日、世界各地で先住民族の社会運動が活発化している。2007年、国連総会において、先住民族の権利に関する国際連合宣言が採択されたのも、こうした多くの人々の努力の成果である。しかし、社会運動を政党を通じた議会活動に展開するには克服しなければならないハードルがあり、なかなか困難である。先住民の民族運動が政治活動へと発展し、議会勢力となったり、大統領に当選したりしている中南米諸国のケースを参考に、これを説明してみよう。

 民族構成や歴史的・社会的背景が異なるので、ラテン・アメリカの先住民族運動と言っても国によって事情が違う。混血が進んでいるので、誰が先住民であるのか判別するのは難しい。そこで、通常、日常的に先住民族の言語を使っているか否かが基準とされている。言語が彼らのアイデンティティである。ボリビアは総人口の6割が先住民族であり、ペルーとグアテマラが4割、メキシコとエクアドルが20〜10%である。先住民族もインカやアステカの子孫もいれば、アマゾン地域の人々もいる。変遷とその成否が見通しやすいエクアドルの先住民族の政治運動を例にしてみよう。

 エクアドルの先住民族の展開の際に、教会や労働組合がノウハウを提供している。1940年代半ばから左派活動家は農民階級への浸透を狙って、高地農村部への組合組織化活動を熱心に行っている。60年代に入ると、「解放の神学」を支持する聖職者が先住民の運動の組織化に寄与する。体系的な理論を持ち、それを無学なものにもわかりやすく伝え、信頼感を得ることは神父の得意とするところである。組合と教会のネットワークが先住民族運動の組織化の基盤となっている。寄付や事業などによる持続的な活動資金の確保もここから学んでいる。72年、「エクアドル先住民族覚醒(ECUARUNARI)」が結成される。

 さらに、アマゾン地域でも石油開発企業や牧畜業の進出、白人入植者の増加により先祖代々受け継がれた土地が脅かされ始めたことに危機感を覚え、少数民族が大同団結、79年、「エクアドル・アマゾン先住民族連合(CONFENIAE)」を創設する。同年、この二大組織と小規模な一団体を加えて、「エクアドル先住民族全国調整協議会(CONACNIE)」を設立している。86年、同組織は結束力の強い「エクアドル先住民族連合(CONAIE)」へと発展する。

 こうして組織化されると、既成政党も無視できない。78〜79年の民政移管の間に選挙の識字制限が撤廃され、中道や左派の政治家が先住民組織に接近し、二言語教育を後押しする。ここで組織の結束力や資金力が弱いと、既成政党の草刈場と化し、政治的発言力を強化できない。88年、政府は二言語教育局の運営をCONAIEに任せている。さらに、90年、10日間に亘ってCONAIE傘下の諸組織が「全国先住民蜂起」を実行する。彼らは土地の分配、水供給の保障、政府への債務の免除、農業インプット価格の統制、農産物価格保証などを求めて、デモやストライキなど非武装行動を展開する。この要求自体は経済危機のため政府が受け入れることはなかったが、先住民族が全国的な規模で組織的行動を実施できたことが彼らの自信になっている。

 CONAIEは93年に地方議会、96年に中央議会選挙への候補者の擁立を決定する。96年、CONAIEは、混血系の社会運動とも連合して、「パチャクティク多民族統一運動・新しき国(MUPP-NP)」という政党を結成する。第9代インカ王の名に由来するこの政党は初めて参加した国政選挙で定数82議席の8議席を獲得、第3党に躍進する。憲法にエクアドルが「多民族・多文化国家」であると記すことに成功している。2000年代には、与党の一翼も担っている。

 けれども、議会では数が支配している。単独与党であればともかく、自分たちの主張を政策に反映するためには、他党との間で要求と譲歩の交渉を繰り返す必要がある。野党の場合、人気のない政策には反対すればいいし、可否が拮抗する法案の際に、キャスティング・ボードを握るように巧みに振る舞い、存在感を示せる。しかし、与党の一員となれば、不人気の法案に賛成票を投じなければならないこともある。こうした妥協は支持者から背信行為ととられかねない。内部に亀裂が生じてしまう。

 社会運動であれば、自分たちの主張をいかにその外の人々に訴えるかが課題である。コミュニケーションは一方向ですむ。ところが、政党としての議会活動ではそうはいかない。外の人の話に耳を傾けなければならない。相手と議論をし、利害の調整に努め、支持者にも妥協の必要性を納得してもらうために丹念な対話が欠かせない。現代社会は複雑化している。まどろっこしいかに思えても、民主主義を通じた社会変革にはこうした多用なコミュニケーションが要る。

 アイヌ政党に話を戻そう。アイヌの民族運動はすでに歴史があり、組織化の経験も豊富で、潤沢であるかどうかはともかく、持続的活動に必要な資金源の確保も頭に入っている。また、曲がりなりにも民族出身の国会議員が活動した実績もある。選挙・議会活動がいかなるものであるかの知識もすでに持っている。選挙戦術・戦略、公選法の規定、支持者への説明、マスメディア対策や対立陣営の嫌がらせ等の対処なども知っているだろう。ただ、従来からのアイヌ民族運動の支持者の票だけでは、国会議員を当選させることは難しい。一般の有権者にも支持を広げる必要がある。その際に、ネットワークを広範囲に広げ、先住民族運動と環境やエネルギー問題など現代の政治課題の関連性を明確にして訴えるべきだろう。

 こうして考えると、日本で脱原発が社会運動として盛り上がりを見せながら、政党結成にまで至らない一因が理解できよう。民主党や自民党は原発政策の維持派が党内ヘゲモニーを掌握している。このままでは共産党や社民党に投票するか棄権するかしかない状況ある。これまでも緑の党プロジェクトが何度も試みられてきたが、国政レベルで実現していない。2002年に中村敦夫参議院議員等が院内会派「みどりの会議」を結成し、エコロジーに基礎を置いた議会活動をしたのが唯一である。

 社会運動が政党へと展開するには、ヴィジョンを持ち、ネットワークを供えた組織化が不可欠である。組織化の経験に乏しい、あるいは組織化を胡散臭く思っている人々が集まっても、政治団体を創設できない。組織化ができなければ、継続的に活動するための資金源の確保がおぼつかない。また、自分たちが正しいことを言っていると確信しているから、選挙運動をしても、やたら声高に有権者に訴えるだけで、聞く耳を持たず、落選しても、自己充足的コメントに終始する態度をとりかねない。利害ではなく、理念で結びついているため、些細なことで路線対立が始まり、分裂してしまう。生活に根ざした肉声を汲み取り、自らの主張と融合させなければ、有権者は相手にしない。確かに、個性的な候補者を擁立し、有権者の怒りに沿えば、組織もなく、手作りの選挙運動で議員一人や首長一人を誕生させることは可能である。しかし、特定個人や風に依存しているようでは長続きしない。

 社会運動を議会活動に展開できるかどうかはネットワークとコミュニケーションの拡充にかかっている。アイヌ語には「こんにちは」に当てはまる言葉がない。アイヌ民族は家を訪れても、外から声をかけることをしない。表で咳払いをするか、何かで軽く音を立てて、家人が気づいてくれるのを待つ。表に誰か来ているのがわかったら、掃除をするなどして来客の準備をしてから招き入れる。しかし、大和はいつまで経ってもこうしたアイヌ民族の気配りを知ろうともしない。その間に、金田一京助博士はすでに亡くなり、孫が日本語学の教授として活躍している。でも、来年、アイヌ政党が誕生する。これまでより大きな音だ。大和も気づかないとどうかしている。アイヌ民族の政治的復権に向けた新たなネットワークとコミュニケーションが始動しつつある。

〈了〉

参照文献
恒川恵市、『比較政治─中南米』、放送大学教育振興会、2008年
中川裕=中本ムツ子、『エクスプレス アイヌ語』、白水社、1997年
参議院、「参議院議事情報 第131回国会内閣委員会第7号」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/
1020/13111241020007c.html