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総務省行政管理局

佐藤清文
Seibun Satow
2011年9月16日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


“Progress imposes not only new possibilities for the future but new restrictions".

Norbert Wiener

 2011年9月15日、野田佳彦首相は、官邸で発足後初となる政府の行政刷新会議において、「これまで進めてきた各種改革をさらに加速させ、確実に実を結ぶようフォローアップしてもらいたい」と述べ、無駄削減を蓮舫行政刷新担当相らに指示している。これには増税への環境整備につなげたいという思惑がある。首相は、東日本大震災の復興や税と社会保障の一体改革のための財源として増税を念頭に置いている。

 政治主導による行政改革は、はっきり言って、いわゆる「パフォーマンス」でしかない。すでに多くの検証結果から明らかなことだが、歴代の行政改革の提言は、1983年の第二次臨調を除けば、大半が霞が関から無視されている。

 今回のように窮余の策で国家公務員の関連領域からコストを大幅に削減することはそもそも難しい。人口比に対する日本の公務員数は、先進国の中で、最低レベルに位置している。しかも、公務員総数に占める地方公務員の比率が圧倒的に高い。さらに、その地方公務員も、警察官や消防士、教員など役所の外の人員が多い。また、給与水準も、国際比較のデータでは、必ずしも高くない。メディア上を含めた巷に流布する公務員の人員や給与の削減の要求はこの定量データを踏まえていないことが多く、非建設的である。

 行政改革をなかったことにする官僚のことだから、さぞかし組織を肥大化させてきたのだろうと想像したくなるところである。連中は、改革に抵抗した挙げ句、骨抜きにしてしまい、膨大な量の法案にこっそりと都合のいいものを潜ませて、ちゃっかりと天下り先を確保しているに違いないというわけだ。

 ところが、あにはからずや、霞ヶ関はかなり自らを変化させている。国家公務員は2009年度に14,805人、10年度7,660人、11年度1,300人がそれぞれ削減され、08年度末の定員324,281人から11年度末には301,003人に減っている。これはほんの一例にすぎない。

 真渕勝京都大学大学院教授は『変化なき改革、改革なき変化』(1999)において、政治家が行政改革にとり組み始めると、行政変化が滞る実態を指摘し、その理由を分析している。改革議論が始まると、官僚は模様眺めに入り、その間、自己変革をとめてしまう。また、他所から改革を迫られると、反発を覚え、それを骨抜きにして切り抜けることにエネルギーを費やす。同教授は、その上で、改革提言と無関係に行政が変化している点を重視している。行政の内部局の変更に関して、その外部からの具体的な改革提言が本当に望ましいかどうか検証する必要があると結ぶ。

 行政が日常的に行う事業に伴う組織の編成や人員の配置などの管理を「行政管理」と呼ぶ。日本において、各省庁の機構・定員は総務商行政管理局が担当している。行政管理局の業務内容は、同局のホームページによると、「機構・定員の管理」、「行政の減量・効率化」。「独立行政法人の見直し」、「電子政府の推進」、「情報公開の推進」、「個人情報の保護」、「行政運営における公正の確保、透明性の向上」である。ここで言及するのは最初の二つの項目についてである。各省庁は、毎年度、予算の概算要求を財務省主計局に提出するのと並行して、機構・人員の変更のそれをこの内局に出す決まりになっている。予算は主計局の査定を経なければ認められないのと同様、組織・定員の編成は行政管理局の審査を通過して初めて実現に向かう。

 行政管理局は二つの不可侵ルールに基づいて査定する。一つは、国家公務員定員の総数が霞ヶ関全体で守られているかというルールである。その根拠は、国家公務員の定員の総数の最高限度を規定した1969年施行の総定員法に則って始まった定員削減計画である。同局はこれに沿って各省庁に削減要求ができる。もう一つはスクラップ・アンド・ビルドのルールである。各省庁が局・部・課などの内部局の新増設を要求する場合、それと同格の組織を同数だけ統廃合する案を同局に提出しなければならない。行政管理局はこの二つのルールに従って霞ヶ関の組織編成や人員配置を管理している。

 このルールは非常にシンプルだが、かなり効果的である。霞ヶ関全体での総量規制は、各省庁の間にゼロサム状況を生み出す。ある省の人員が増えれば、他では減る。省庁の間で優秀な人材を確保するために、競争が激しくなる。また、新しい局を設けようとしたら、同じ数の局を廃止しなければならない。ただ既存の局をつぶせば事足りるわけではないので、局の整理・統合が不可欠である。省内の自主的で柔軟な再編成が行われる。同局のホームページで公開されている資料に眼を通すと、第二のルールは、実際には、一つの省内と言うよりも、霞ヶ関全体で守られているのが実情である。反面、第一のルール同様のゼロサム状況が省庁間の間で生まれている。

 この二つのルールにより霞が関は現状維持が許されない。ゼロサム状況の競争下で、つねに自己革新を迫られている。この自動更新装置が適用できていない領域に放漫さが目立つ。その典型例が特別会計だろう。単年度の会計に適していない事業がここに放りこまれる。自動調整装置であるスクラップ・アンド・ビルドが機能していなかったために、特別会計は複雑に入り組み、迷宮のようになっている。特別会計の健全化にはスクラップ・アンド・ビルドの徹底化こそ望ましい。

 財政には、経済を自動的に安定化させる装置、すなわち「ビルトイン・スタビュライザー」が組みこまれている。累進課税制度や社会保障制度がそれに含まれる。失業保険を例にとろう。景気がいいと、失業者が減るので、保険給付も減少する。消費も好調になるが、所得税があるので、一定水準で抑制される。逆に、景気が悪化すると、失業保険の給付が増加するが、所得税の負担は小さくなる。この給付金がマクロの消費の落ちこみを最小限にとどめる。好況期に、景気の加熱を抑制し、不況期には悪化を押しとどめる。累進課税制度や社会保障制度は、こうした自動調節装置であるという説から、その必要性が認められている。

 現行のスクラップ・アンド・ビルドも自動制御装置として一定の効果を発揮している。官僚に対する監視は、言うまでもなく、必要である。政治家のみならず、メディアやNPOが目を光らせ、行政の放漫や腐敗を見つけたら、市民へ報知しなければならない。また、市民が政策決定過程に参加し、行政に質問や意見をぶつけることも大切である。と同時に、日常的な行政の活動を管理・評価する自動更新装置の意義も認めるべきだろう。行革をいたずらに行うよりも、スクラップ・アンド・ビルドのルールを徹底化する方が有益である。

 政治家でなければできない行政の変革も確かに存在する。霞ヶ関には、推進者と規制者が同一の省庁に所属しているケースが少なからず認められる。旧大蔵省の金融部門はその典型例である。自由化を進めながらも、金融機関への検査・監督・監査が不透明で、バブル経済を招き、その破綻後の対応も遅れに遅れている。橋本龍太郎内閣は、こうした癒着を改革するため、大蔵省の銀行局・証券局から検査・監督・監査部門を分離して、1998年6月、金融監督庁(現金融庁)を創設させている。推進と規制の癒着は原発行政でも改めて問題になり、菅直人政権で細野豪志原発事故担当相がその分離を明言している。既存省庁から規制部門を分離して推進部門に対する自動制御装置を仕掛けることは政治家ならではの行政変革である。どうすればそれが最も効果的に機能するかは政治家の想像力にかかっている。

 政治家に求められているのは増税正当化のためのガス抜きとしての行政改革ではない。霞ヶ関に対して自動制御装置、すなわちサイバネティックスな制度を設計・導入することである。「われわれの状況に関する二つの変量があるものとして、その一方はわれわれに制御できないもの、他の一方は制御できるものとしましょう。そのとき制御できないものの変量の過去から現在にいたるまでの値にもとづいて、調節できる変量の値を適当に定め、われわれに最も都合のよい状況をもたらせたいという望みがもたれます。それを達成する方法がCyberneticsにほかならないのです」(ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス』)。
〈了〉

参照文献
ノーバート・ウィーナー、『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』、池原止戈夫他訳、岩波文庫、2011年
真渕勝、「変化なき改革、改革なき変化」、『レヴァイアサン』24号、1999年
総務省行政管理局
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/index.html