エントランスへはここをクリック   


バブル


佐藤清文

Seibun Satow

2011年1月26日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


The Nation too too late will find,
Computing all their Cost and Trouble,
Directors Promises but Wind,
South Sea at best a mighty Bubble.

Jonathan Swift The Bubble

 『週刊ポスト』2011年2月4日号の「バブルを起こせ!」のように、バブルを引き起こし、それによって日本経済を再生しようという提案が時々メディア上に登場する。けれども、80年代後半のバブル経済を振り返ると、円高とデフレにあえぐ現在の日本社会の救済につながるとは言えない。

 バブル期の年平均成長率は高度経済成長期のほぼ半分の4.9%で、不動産価格と株価は高騰したものの、消費者物価はさほど上昇していない。内需拡大のため、円高ドル安の為替レートが続き、輸入品の価格が上がらない。物価水準の安定は、バブルへの日銀の対応が遅れた一因でもある。また、バブルの効用は、短期間に資金が集中するため、特定産業の急成長を促すことである。弾けた後、極めて少数が生き残るだけだが、それらがその産業を支えていく。ただ、社会の受ける損害は甚大で、回復までに長い年月を要する。

 あのバブルは突然弾けたと言うよりも、徐々にしぼんだと見るのが適切である。90年〜91年の成長率は4〜5%台を維持している。また、平成不況は、バブルの後遺症だけでなく、成長を牽引する新たな技術革新も生まれないなどそれ以外の要因も大きく影響し、長期化したと考えるべきである。アップル社は、iPodを開発する際に、自分たちより先にソニーが携帯音楽端末に進出することを恐れ、さらに彼らが興味を示していないと知るや、いぶかしく思っている。

 そもそも、バブルの定義から、作為的に起こすことは困難である。バブルはたんなる投機熱ではない。バブルは資産価格が短期的に急騰し、その後、さらに短い間に急落するが、それを経済的要件から必ずしも説明できない現象と定義できる。この価格の高騰は、経験則から、3倍が臨界点と見なされている。バブルには過剰流動性、いわゆるカネあまりがあることは確かだが、日本の土地の総額でアメリカが二つ買えるなどという当時の通念は経済学からは解明できず、社会心理学の助けが必要である。

 「バブル」は、18世紀初頭にイギリスで起きた「南海泡沫事件(The South Sea Bubble)」に由来する。それで大損したジョナサン・スウィフトの詩『バブル‘The Bubble’』(1720)によってこの現象の名称は永遠のものとなる。加えて、エドワード・マシュー・ワード(Edward Mathew Ward)の『南海泡沫事件(South Sea Bubble)』(1846)は反ラファエル前派の傑作として知られている。この事件は壊れて消えただけでなく、芸術の分野に遺産を残している。

 17世紀後半、三度に亘る英蘭戦争の結果、新大陸の植民地と海上覇権はオランダからイギリスへと移る。1688年から翌年にかけて、名誉革命が起き、他国に先駆けて、イギリスは立憲政治の道を歩み始める。絶対王政の長官会議で「密室」を意味した”Cabinet”は「内閣」へと変わる。1707年、イングランドとスコットランドが合併し、グレート・ブリテン王国が成立する。1714年、スチュアート朝の断絶に伴い、ハノーヴァー選帝侯が国王ジョージ1世として即位、ハノーヴァー朝が始まる。「カカシ(The Scarecrow)」とあだ名されたエーレンガルトと「ゾウ(The Elephant)」と陰で呼ばれたシャーロットという個性的な愛人を好んだ国王は英語を解せず、ドイツ滞在も多く、国政を内閣に任せきりにする。「王は君臨すれども統治せず(The King reigns, but does not govern)」。

 南海泡沫事件は、こうしたイギリスが欧州の最強国へと成長していく過程で、発生している。政治的・経済的自由が拡大し、市場と情報網が発達した中で、投機熱が起きる。この事件には、株式転換保障付き債権、すなわちワラント債やストック・オプションなど後のバブルでも使われる手口がすでに登場している。

 1690年代、イギリスで金融革命が起き、資金を国債で運用する会社型投資信託という新たなビジネス・モデルが登場する。1711年にトーリー党所属の大蔵大臣ロバート・ハーリーの提案によって設立された南海会社(South Sea Company)もその一つである。株式発行で調達した資金で国債1000ポンドを引き受ける。同社は政府から許可を得て、西インド諸島およびラテン・アメリカのスペイン植民地事業を兼業し、とりわけ奴隷販売権の独占を認められる。南海会社設立の真の目的は、政府の財政危機を解消するために、国債を引き受けさせ、貿易で上がった利益でそれを賄うことである。

 1720年1月、南海会社は英国国債を積極的に購入し始める。その資金を調達するには、株式が売れなければならない。それには、セクシーさが必要である。そこで経営陣は国債の引き受け枠の追加を政府に許可させるべく働きかける。政府要人のみならず、カカシとゾウにも株の購入権を賄賂として渡す。狙いは株価の時価発行権、すなわち自由な決定権の獲得である。従来であれば、国債買取枠の範囲内でしか株式を発行できなかったが、それを時価発行できれば、取得費用を差し引いた差額が利益として得られる。総額3000万ポンドに上る国債引受を含むこの計画が議会を通過するや否や、南海会社の株価は急上昇し、半年で10倍に達する。政治家も、南海会社の重役も、株主もみんなこの株価高騰から大儲けしている。イングランド銀行や東インド会社の株価も上昇し、これに便乗して無数の株式会社が設立され、国をあげての空前の投機ブームが巻き起こる。

 けれども、1720年7月、膨らみ続けた泡は突然弾け、株価はわずか二ヶ月で5分の1にまで暴落する。多数の株主が破産し、自殺者が続出する。議会内に設置された調査委員会によって政府高官と南海会社との癒着や株価つり上げ操作が明らかになり、国王とその側近が事件に関与した疑惑も浮上し、一大スキャンダルとなる。政府高官と会社重役の責任が議会から厳しく追及される。1721年4月、下院で多数派を占めるホイッグ党の党首ロバート・ウォルポールが首相──当時の名称は第一大蔵卿──に就任、政局安定を理由に国王へ南海泡沫事件の責任追及を緩めることを進言する。と共に、彼は、重役たちから没収した財源を元に、株式の3分の1を投資家に補償させている。責任内閣制がこのときから始まる。

 これ以後、経済的要件からだけでは説明できない資産価格の短期間での急騰と急落の現象が「バブル」と呼ばれるようになる。

 数学者の森毅は、『バブル経済はサイコロにも賭ける麻雀』において、「バブルが破綻することは、ぼくには初めからわかっていた」と自身の麻雀経験から次のように解説している。
 麻雀をつまらなくする方法をご存じだろうか。やり方は簡単である。何にでも賭けていいというルールをつくってしまうのだ。(略)
 いったいどんな麻雀かというと……。ひとりにリーチがかかった、とする。すると誰かが、振り込みに賭けるといい出す。この牌が当たりにいくら、である。賭けた人間は振り込んだほうが特になる。当たり牌を見抜くには高等な技術を必要とするから、けっこうおもしろい。そのうち、また別の誰かがソウズ待ちに俺は賭けると宣言する。果ては、サイコロを振ったときの目はゾロ目か、半か丁かと、ありとあらゆるものに賭け始めるようになる。
 かくして点棒が目の前を盛んに行き来する。最初はおもしろがって賭けていたが、そのうちやめようとみんながいい出した。賭けがどんどんエスカレートし、自分が何で勝ったのか、何で負けたのか、さっぱりわからなくなってしまった。これがつまらない。どこかに自分の腕で勝ったのだという幻想がほしい。でないと麻雀をやっているかいがないのである。
 このルールでは、麻雀を始めたはずが、まったく別のことに関心が向き、本来の目的が忘れられている。大三元で勝つよりもサイコロの目に賭ける方がおもしろいのだったら、チンチロリンを始めればいい。バブル経済はこの麻雀に似ている。カネは頻繁にやりとりされるが、実態は伴わない。自分の知恵や工夫、行為が価値生み出しているという幻想がない。「自分の持ち味をどう生かし、どう稼ぐかによってお金の持つ意味合いも変わってくる。バブル経済に踊らされた人々や企業の過ちも、ここにある」。

 将来には不確実性が伴う。経済的利益を上げる方法は、そのため、無数にある。けれどもバブル経済には、この不確実性が忘れられ、確実な金儲けの方法があると信じられて、そこに資金が集中する。常識では考えれば、信憑性のない物語に多くの人々が飛びついてしまうのは、自分の属する社会や国への過信がある。国の経済が急成長し、世界的に影響力が強まったとき、人々は自信を持つ。しかし、それは、勢いに飲みこまれ、冷静さが失われ、過信へと変わる。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳歌した80年代後半の日本社会がそれをよく物語っている。

 過信を抱くほど国家が上り調子でなければ、バブルは生まれない。現在の日本では、そのため、生じようがない。しかし、バブルよりも、「自分の持ち味をどう生かし、どう稼ぐか」を考えて経済活動に臨み、「自分の腕で勝ったのだという幻想」が社会を活気づける。

 ただ、新興国で勃発する危険性はある。その場合、経済のグローバル化が進んでいる今日では、日本も損害を被るだろう。最大の貿易相手国の中国のバブルを予想し、その破綻を期待して溜飲を下げようとしている連中は、真に能天気だと言うほかない。

〈了〉

参照文献
守毅、『みんなが忘れてしまった大事な話』、ワニ文庫、1996年
村松岐夫・奥野正弘編、『平成バブルの研究』上下、東洋経済新報社、2002年
エドワード・チャンセラー、『バブルの歴史』、山岡洋一訳、日経BP社、2000年
C・P・キンドルバーガー、『熱狂、恐慌、崩壊─金融恐慌の歴史』、吉野俊彦他訳、日本経済新聞社、2004年