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ガラパゴス化を支える
共感と洗練


佐藤清文

Seibun Satow

2011年1月5日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「お客様は神様です」。

三波春夫

 高度に多機能化が進みながら、日本国内以外の市場では広まらない携帯電話を指して、「ガラパゴス化」と呼ばれて久しい。日本の商品の中には、世界標準から隔絶された独自規格・仕様で発展したものが少なくない。しばしば揶揄されて用いられる「ガラパゴス」について、2011年1月3日付『朝日新聞』は連載記事「ガラパゴスの先へ」においてその意義を検討している。

 もっとも、表面的な理解にとどまっている記事の内容よりも、日本ガラパゴス会理事で生態学が専門の清水善和駒澤大学教授のコメントの方がはるかに興味深い。ガラパゴス諸島は「閉じた系の中での独自の進化」をもたらした「進化の実験室」であり、「地球の縮図」である。「ガラパゴスは独自に進化した生態系だからこそ、地球に普遍的な価値があるのです」。

 ところで、ガラパゴス化を考える際に、忘れてはならないのは日本の消費者である。日本の消費者、特に女性の消費者が世界で最もタフで、スマートだということは半ば世界の常識である。たんに文句を言うのではなく、問題点を指摘し、改善案を提示する。直観・感性で把握したものを明示化できるコミュニケーション能力を有している。彼女たちのおメガネに適う商品・サービスであれば、世界のどこへ持っていっても通用する。彼女たちの意見を積極的にとり入れることが成功の鍵の一つであり、「お客様センター」の充実は企業には欠かせない。

 日本の消費者に鍛えられた企業としてP&Gが挙げられる。1837年にシンシナティで創設されたこの老舗は、1973年、三木鶏郎の「ワ・ワ・ワとワが三つ」でおなじみのミツワ石鹸が倒産すると、それを買収して日本進出の足がかりとする。「ソープ・オペラ」を生み出したこの巨大企業は、しかし、日本市場で苦戦を強いられる。熱湯を使うアメリカに対し、風呂の残り湯を活用する日本の洗濯習慣の違い、水の硬度の違い、食習慣からくる衣類の汚れの違いなどの対応に追われ、泣かず飛ばずの有様である。それは、1975年に鳴り物入りで東京ジャイアンツ入りした大リーガーのデーブ・ジョンソンが日本の野球に戸惑う姿を思い起こさせる。

 1977年に発売した紙おむつ製品のパンパースは、日本の消費者に初めてP&Gの名を知らしめる。消費者の抵抗感が当初は強かったものの、徐々に浸透し、紙おむつ市場の9割を占めるほどのヒットになる。ところが、国内メーカーが本格的に参入してくると、あっという間に、パンパースの市場占有率は10%にも満たないまで急降下する。アメリカ仕様のままのパッケージが日本の消費者に不評だったのが最大の原因である。

 日本市場からの撤退も検討したが、尻尾を巻いて逃げ出した負け犬と嘲笑されるのを彼らはよしとしない。この道場で修業を積むことを決心し、これまで以上に猛稽古に励む。製品開発・流通改革・販売促進活動を真摯に続け、1983年、日本市場仕様の新パンパースの開発・販売をきっかけに、経営が立ち直る。

 市場が外部と隔絶されると、競争が緩くなり、技術革新も進まず、消費者の目も肥えないというのが旧東側諸国の教えてくれるところである。しかし、日本は島国であり、歴史的に何度も、完全に遮断されてはいないけれども、市場がガラパゴス化しながら、文化が独特の爛熟を見せている。市場が外部と離れているか否かが問題なのではない。

 ガラパゴス化した市場から生まれたものが普遍的価値を持ち得るのは、消費者の共感に基づく洗練を体現している場合だけである。共感を欠いていれば、どれだけ高度に洗練されていても、たんなる自己満足にすぎず、その外の市場に通用しない。

 それを少女マンガに見ることができる。60年代まで、少女マンガを描いていたのは主に男性である。手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫なども活躍している。70年代から女性の少女マンガ家が支配的になり、男性はその場から離れていく。少女マンガを描くのも読むのも女性とガラパゴス化する。しかし、このときから少女マンガは著しく質量共に発展する。女性マンガ家は読者である少女たちの共感を基盤に、特に、心理描写の面で大胆な改革に着手し、表現を洗練していく。少年たちは少女マンガなんて所詮お涙ちょうだい話さと見向きもしない。80年代を迎え、少女マンガが面白いという噂が少年たちの間でも広がり、彼らはページを開いて驚愕する。見慣れた少年マンガとは比較にならないほど洗練されたラディカルな表現に満ち溢れている。少女マンガの方が少年マンガを技術的に凌駕しているのは明らかである。それを最もよく物語っているのは高橋留美子であろう。彼女は少女マンガの技法を少年マンガにたくみに導入、『うる星やつら』と『めぞん一刻』で爆発的な人気を博し、80年代前半、「女王」と称される。少女マンガの黄金時代は80年代と言っても過言ではないが、それをもたらしたのは市場のガラパゴス化である。

 けれども、こうした共感に基づく洗練の意義が不況になると見失われがちである。

 キャッチアップ型からフロント・ランナー方へ産業が移行する際に、必ず人材の国外依存が起きる。成長するに連れ、内外価格差が生じ、企業は国際競争力を維持するために、人件費の安い外国の労働者に依存する。最も早く始まったのが海運業である。この業界はドル建てであったため、1970年代の円高ドル安のトレンドを受けて、船籍をパナマやリベリアに便宜的に置き、船員も安い外国人の採用枠を随時拡大する。こうした国外依存は製造業にも後に広がる。80年代後半から、生産拠点を海外に移転したり、国内工場でもペルーやブラジルの日系人を雇い入れたりしている。こうした状況はものづくりの伝統の継承を危うくしている。

 危ないのは生産現場の人材枯渇だけではない。日本は少子高齢化に伴う人口減からくる市場縮小が予想されるため、国内企業の中には軽視さえするところさえある。しかし、それは日本市場を量的に見ているだけで、質的に認識していない。日本市場には世界で最もタフで、スマートな消費者がいる。日本市場は「進化の実験室」であり、「地球の縮図」である。消費者は日本における財産であって、それを生かすことこが経済の面でも文化の面でも求められている。

〈了〉

参照文献
林敏彦他、『世界の中の日本』、放送大学教育振興会、2009年