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押収資料改竄事件と
『検察官』


佐藤清文

Seibun Satow

2010年9月22日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「巨悪を眠らせない」。

伊藤栄樹

 東京・大阪・名古屋の各地方検察庁には特捜部が設置されている。東京地検特捜部の前身は、1947年に発足した隠退蔵事件捜査部であり、その設立目的は、戦後の混乱期に旧軍部や政府関係の財産を不当に奪った者の摘発である。彼らが最初に注目されたのが48年の昭和電工事件である。これにより、時の芦田均内閣は総辞職に負いこまれている。その後、76年のロッキード事件や88年のリクルート事件など政界を揺るがす大事件を手がけている。

 特捜部はハイレベルな事件、すなわち政官界の汚職や複雑な経済事件を担当する。このような犯罪の摘発に踏みきれるのには理由がある。検察庁法第6条に「検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる」と規定され、検察官には非常に広範囲な捜査権限が認められている。税法や独占禁止法、労働法違反など特定の案件に対しては、当初から検察官が捜査を行っている。また、国家公務員である検察官は裁判官に近い身分的保障を認められ、地方公務員である警察よりも政治的影響を受けにくい。

 特捜部の仕事は、本来、派手ではない。集めた膨大な量の資料に、文献学者の緻密さや粘り強さ、慎重さを持って眼を通す。彼らはハイレベルを扱う以上、いわゆるトカゲの尻尾きりや証拠隠滅の時間稼ぎを避けるため、中心人物、すなわちトップを先に逮捕する。逮捕がボトム・アップ式になった場合、その捜査は失敗だったと言ってよい。これは、特捜部が関わった事件に関する報道を見る際の基準として考えられよう。

 社会的公正さの番人としての検察官への信頼をたくみにとり入れ、ロシアの作家ニコライ・ヴァシリヴィチ・ゴーゴリ(Николай Васильевич Гоголь)は喜劇『検察官(Ревизор)』(1836)を著わしている。

 ニコライ1世統治下のロシアは、官僚主義の強圧性や欲深さ、御都合主義が蔓延している。1825年の即位前から反動的として知られたこの皇帝は、欧州の自由主義的な流れに逆らい、秘密警察を創設して、自分の意にそぐわない者を次々と弾圧し、大学での哲学講座を禁止する。国内を管理するため、強固な官僚機構を整備し、対外的には、拡大政策を推進していく。マニファクチュアの育成や鉄道建設、農奴問題など近代化政策に取り組む姿勢を見せつつも、内実は非常に消極的で、ロシアは発展からとり残される。そうした強権的な体制では、当然ながら、不正や腐敗が横行する。それを風刺したのが『検察官』である。

 ロシアの田舎町に、検察官がサンクトペテルブルクから行政視察にやってくるというニュースが伝わる。町長や判事、慈恵院主事、校長、郵便局長等有力者は賄賂や横領などで甘い汁を吸っていたから、その対策に追われる。そこへ、放蕩の挙げ句有り金を使い果たしたプレスタコーフが現われると、緊張していたお偉方は彼を検察官と勘違いしてしまい、あの手この手で彼にとり入ろうとする。誤解に気づいたこのニセ検察官は彼らから金を巻き上げ、トロイカに乗って町を去っていく。その直後、郵便局長が彼の手紙を開封して正体を知ってしまう。手紙の中でこき下ろされていた町の連中が青ざめていると、本物の検察官の到着が告げられ、一同が言葉もなく、固まったところで幕となる。

 ゴーゴリはこの上演によって一躍有名となるが、プレスタコーフよろしく、国外へ逃亡する。「自分の顔が曲がっているのに、鏡を責めて何になるのか」と劇中のセリフを引用したいところだろう。体制の腐敗を諷刺したその内容が進歩派から喝采を浴びたものの、守旧派を激怒させたからである。天才詩人アレクサンドル・セルゲヴィチ・プーシキンは『検察官』を目にし、「わがロシアは何と悲しい国だろう」と嘆いている。

 『検察官』は、20世紀中、最も公演された戯曲の一つであるが、その人気は官僚主義の弊害という普遍的な問題を扱っているからだけではない。登場人物たちが凍りつくというエンディングはカタストロフというもの自体を具現している。それは自分たちの立っている世界がもろく崩れていく臨界状態に到達した瞬間にほかならない。

 しかし、2010年9月21日付『朝日新聞』のスクープは、もしゴーゴリが生きていたら、その舞台劇を書き直しただろうという衝撃を日本社会に与えている。ロシアの片田舎のお偉方以上のカタストロフに直面している。笑いごとではない。

〈了〉

参照文献
ゴーゴリ、『検察官』、米川正夫訳、岩波文庫、1961年