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見立ての世界


佐藤清文

Seibun Satow

2010年8月22日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「名医というのは、特効薬を持っている人であるが、それを持っていない場合は、持っている者に自分の患者を治させる人である」。

ジャン・ド・ラ・ブリュイエール『人さまざま』

 2010年8月17日、訪米中の自見庄三郎金融・郵政改革担当相は、ベンジャミン・バーナンキ連邦準備制度理事会議長と会談し、自己資本比率教科の問題に言及している。現在進められている国際交渉において、銀行の自己資本規制は個々の国の経済状況に配慮し、性急で過剰な導入は避けるべきだと主張している。

 この発言には、金融危機の際に起きた貸し渋りや貸しはがしの再燃への危惧があることは確かである。2000年代に日本の金融当局が国内のみで業務を行っている銀行にまで自己資本比率規制を強化した結果、それを守るために、中小企業への貸し渋りや貸しはがしが頻発し、黒字倒産が相次いでいる。

 日本の中小企業は、アメリカと違って、市場から資金を調達するのを好まない。市場に頼ると、経営情報を一般に公開しなければならないし、乗っ取られる危険性も生じる。しかし、経営規模が小さいので、自己資金も低い。そこで、金融機関からの融資が重要な運転資金となる。

 上場に関する経営者の意識は国によって異なる。英米では、企業は市場から資金を調達するものという通念がある。逆に、独仏の経営者は上場にさほど意義を見出しておらず、株式上場の規模も大きくない。世界最大の自動車部品メーカーの一つロバート・ボッシュ社は売り上げが5兆円にも及ぶが、ドイツ本国では、かつての日本の有限会社に相当する会社形態である。また、日本の場合、上場は経営者の実績と見なされている。達成した際、しばしば会社案内にそのことが大々的に宣伝される。市場から資金を調達しないからと言って、企業経営として不健全なわけではない。

 経済でも規範は大切だが、実態を無視してそれを押し通そうとすれば、不安定さを招く。よく調べてみると、実働している制度が歴史性や合理性に基づいていることも少なくない。

 地銀や第二地銀、信用金庫、信用組合は、地域に密着した中小企業への融資を主な業務にしている。アメリカと違い、コンサルティングはそれほど行っていない。こうした金融機関にとって、地域経済の活性化は預金量の増加につながるため、中小企業への融資は死活問題である。

 国内基準行は、市場に代わって、融資先の中小企業の経営実態を把握している。あの銀行から融資を受けられたということがその企業の信用のアピールにつながる。例えば、岩手銀行はバブルにも踊らず、不良債権をほとんど抱えなかった地方銀行である。「石橋を叩いても渡らない」という割れるほど手堅いことで知られ、同行から融資を受けたというだけで、関連先が安心するほどである。

 さらに、担当者は工場に毎週足繁く通って社長と会話をし、近所や取引先などから話を聞いて、つねに情報を収集する。融資の基準は定量化されていない。担当者の長年の経験と勘に立脚して行われる。これを「見立て」と呼ぶ。地域密着の中小の金融機関には、必ずと言っていいほど、この名人がいる。彼らのような人材がその銀行にとっての宝である。

 こうした名人芸に依存した融資が現代の金融機関としてふさわしいかは別である。このような中小企業への融資実態は、金融機関に関する大学の教科書でも言及されている。石原慎太郎東京都知事や木村剛前会長のようなうぬぼれ屋はもちろんのこと、新銀行東京や振興銀行の設立への賛成は、そうした基本的知識さえ調べていない証拠であり、無責任と言うほかない。見立てのノウハウがない金融機関が新規参入したところで、失敗することは眼に見えている。審査をせずに、無担保で金利を高く設定して融資すれば、当然、不健全な借り手が群がった挙げ句、焦げつく。「借りて支払うつもりのないものは契約条件に気を配らない」(ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』)。

 見立ての世界という現状を無視した金融の発想は、おそらくうまくいかない。日本の銀行はその横並び体質からよく「護送船団」と呼ばれてきたが、中小企業への融資は個々の担当者による名人芸が展開されている。世間知らずの銀行設立の問題は一般的にもっと非難されていい。
〈了〉