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戦争と社会階級
第1章 The War Dreamer

佐藤清文

Seibun Satow

2010年3月25日


無断転載禁


       
 戦争が戦争を養う
        
         
フリードリヒ・シラー
         
『ピッコロミーニ』

第1章 The War Dreamer

 ブラックウォーターを始めとする民間軍事会社がアフガニスタンやイラクで深く関与していく中、『論座』2007年1月号に赤木智弘の「『丸山真男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」が掲載される。

 このタイトルは、「戦後民主主義なんぞクソッくらえ!」と考え、戦争のアウトソーシングに加わりたい31歳の男性の主張なのかという印象を読者に抱かせる。

 しかし、軍務経験もなく、特殊技能も有していない31歳を雇う民間軍事会社はおそらくない。未経験者を一から育てる余裕などそこにはない。

 そもそも、31歳では従軍するには年をとりすぎている。自衛隊を例にとってみよう。

 こうした経歴の31歳が自衛隊に志願するとしたら、道は非常に限られている。一般候補生・任期制自衛官の資格はいずれも18歳以上27歳未満のため、不適格である。

 予備自衛官補の一般公募であれば、受験資格が18歳以上34歳未満であるので、これならば可能である。ただ、この一般公募の予備自衛官補制度は、広報活動の意味合いが強い。

 事実、教育訓練期間は3年以内に50日、合計400時間で履修とされている。また、アメリカ軍の場合、公募の兵士の年齢制限は35歳未満であるが、30歳以上の志願者については基準が厳しく設定されている。

 志願制を採用している国の軍隊はほぼ同様である。一般兵士は過酷な状況でも戦闘できる身体能力を必要とするし、加えて、現代の兵器は高度にハイテク化しており、遅くとも20代半ばくらいから訓練を始めないと、使い物にならない。一民間人を一人前の兵士にするには、31歳はロートルだ。

 もっとも、現代社会において戦争は国家間で起こる戦闘だけを指してはないない。この作品発表当時の米国のジョージ・W・ブッシュ政権は「テロとの戦い」を標榜しており、その過激派に参加すれば、戦争に行ける。

 彼らは年齢制限を設けず、未経験者も歓迎している。あるいは、メキシコやコロンビアなどで展開されている麻薬戦争に、シンジケートの一員として加わるという手もある、これらなら31歳のフリーターでも十分間に合う。

 けれども、「『丸山真男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」の内容に目を通すと、自分が従軍したいという主張ではなく、格差・貧困問題の解決手段としての戦争の提案だということが明らかになる。

 今日、貧富の格差が拡大・硬直化し、いくら働いても抜け出せない貧困状態に陥っている人たちが少なからず生まれている。しかも、一般の人々は、彼らに対して、自分たちのせいだと言わんばかりで無関心である。

 この状況を流動化するには、革命では不可能であって、戦争しかない。その上、戦争は人々に平等に苦しみをもたらす。

「『丸山真男』をひっぱたきたい」というタイトルは、戦時中の丸山真男のエピソードに由来している。1944年3月、30歳の丸山眞男に召集令状が届き、陸軍二等兵として平壌へと送られる。そこで丸山は中学にも進んでいない一等兵に執拗にいびられる。

「社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ」。

 赤木も現段階で日本が戦争に突入することはないと見ており、この作品を問題提起のつもりで発表している。しかし、彼のイメージする戦争は現代ではなく、第二次世界大戦下の日本のある状況である。

 第二次世界大戦中に参戦国で、平時であれば出会わなかった人たちの接触があり、それがある種の流動性をもたらしたことは確かである。

 御厨貴東京大学教授は、『エリートと教育』において、戦時体制下での人材の「接触効果」が高度経済成長への道をサポートしたと次のように述べている。

 戦時動員体制は、一九四三(昭和十八)年に主として中学校以上の勤労動員、そして大学生の学徒動員を決めた。

 かくて戦前の教育体系が予想もしなかった方向への人材の戦時強制動員が行われた結果、戦後へいくつかの人材育成面での遺産を残すこととなった。もちろん、戦争のため多くの有為な人材が失われたことは言うまでもない。

 しかし明治の教育体系が解体の危機に陥った時、軍隊や軍需工場の中で、これまでは絶対接することのなかった人間同士の接触がおこった。

 嫌な思い出もたくさんある反面、戦後すぐの教育への情熱、進学熱はこうした「接触効果」(小池和男)がもたらした。猪木武徳の指摘にある通り、戦後の新制高等学校の進学率の上昇、激しい学歴競争と企業内競争が、経済復興から高度成長へと進む戦後日本をサポートしたことは疑いえないであろう。

 赤木の戦争を通じた社会における流動性の確保と痛みの共有は、この接触効果を論拠としている。けれども、接触効果は戦争一般ではなく、ここで指摘されている通り、特殊な状況で生じる。

 日本は満州事変から15年間も戦争を継続したが、それが起きたのは1943年の勤労動員や学徒出陣などが始まって以降である。明治に基本設計された教育システムが瀕死の状態に陥ったとき、戦時動員体制によって従来であれば出会わなかった人々が接触し、戦後の教育熱につながり、復興をサポートしている。

 徴兵制に基づく軍による総力戦も押し迫った段階でしか接触効果は期待できない。しかも、クラウゼヴィッツ流の消耗戦が否定された現在であれば、内戦を除けば、教育制度が解体に追いこまれる状態を迎える前に戦争は終結している。

 第二次世界大戦は、日本にとって、総力戦である。それを遂行するためには、官僚機構が人・モノ・カネ・情報を総合的に管理統制する必要がある。開戦時の首相が統制派のリーダーの一人で、優秀な軍官僚の東条英機だったことは象徴的である。

 社会の流動性ではなく、国家全体を一体化させることがその目的である。接触効果は結果として起こっただけで、国家総動員の副産物にすぎない。接触効果による高度経済成長の後押しは確かであるが、社会の流動性の実現という点では、農地解放・財閥解体・公職追放などGHQの革新的な占領政策も忘れてはならない。

 念のため、赤木の期待する戦争状態の可能性を内戦および国家間戦争から検討してみよう。主な内戦の原因は分離独立である。しかし、日本国内でこの動きは活発ではない。また、麻薬シンジケートと軍や警察の間の抗争が激化して、内戦状態に陥る場合もある。けれども、麻薬の製造でもしなければ暮らせないほどの貧困地域も日本国内にはない。

 国家間戦争であれば、通常兵器だけの戦争で、その時点で、海上自衛隊が壊滅状態だという設定になる。これが可能なのは唯一アメリカ軍である。

 自衛隊はアメリカを仮想敵に想定していないが、現時点で日米開戦の至るシナリオを考えるとしたら、次のようになろう。扇情的な報道に溢れ、国内政治が混乱する中、思いつきと思いこみで判断する無責任で好戦的な政治家が国民の圧倒的な支持を背景に首相に就任し、国内外の反対に耳を貸さず、核武装計画を進める。

 IAEAの常駐査察官を追放し、アメリカを始めとする国際社会の外交圧力も無視する。とうとう合衆国はこの動きに対して日米安保条約を破棄、在日米軍は撤収する。日本は国際社会から経済制裁を受けるも、外需依存の産業編成と低い食料自給率も省みず、計画を放棄しない。日米の国交が断絶、アメリカを中心とする多国籍軍との間で開戦してしまう。

 このようにして始まった戦争もいつかは終わる。しかし、赤木の意見には、戦争自体もそうだが、戦後のイメージが曖昧である。

 尊い多くの人命と財産が失われることは言うまでもない。少子高齢化の進展する日本が戦争に突入した場合、若年人口の大幅な減少が見込まれ、そのいびつな人口構成では、戦後復興はおぼつかない。戦争で心身に傷を負った人々のケアも欠かせない。

 現在の日本の債務残高はGDP比で150%を超え、先進国最悪である。戦費を調達する場合、政府は国内の豊かな預金量を当てこんで国債を発行すると考えられるけれども、日本経済は耐えきれず、財政は破綻する。交通・生活インフラの復旧も最優先項目の一つであるが、一朝一夕でできるはずもない。

 また、戦時下では、国内に破壊被害が甚大でなかったとしても、災害・疾病・環境などへの対策が二の次にされる傾向があり、戦後、その影響による相当の被害も予想される。持続可能性のある社会の実現という国家的な目標の達成が著しく後退し、修復不可能な状態に陥る危険性もある。接触効果がこうした状況の飛躍的な改善につながっていくとは考えられないだろう。想像力を少し働かせただけでも、このくらいの光景が目に浮かぶ。

 この作品が発表されると、各種のメディア上で賛成反対のいずれの意見が飛び交う。中でも、『論座』は4月号で、7人の識者による批判論文を掲載し、赤木がそれに対して、同誌6月号において、「けっきょく、『自己責任』ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──」で反論する。

「考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて『考える』という行為をすることができる。そうした人間が、考えて活動するための『土台』を整備することこそ、私に反論する方々の『責任』ではないだろうか」。

 しかし、環境的に余裕がない場合、体系的には難しいが、考えること自体は不可能ではない。マクロシンキングは無理でも、ミクロシンキングはできるはずだろう。この結語は、大戦終結後に戦争責任を免れるためにある種の人々が使った言い訳に似ている。吉本隆明が1956年にそれを批判したのだが、赤木はその前に舞い戻っている。

 吉本隆明にとって許しがたかったのは、自分の無知です。(略)戦中世代の人たちは。われわれは知らなかった、教わらなかった、欺されていた、ということができました。しかし、吉本がとったのは、無知にも責任があるという態度です。では、無知に責任があるとするならば、どのように責任をとればよいのか。自分をふくむ世界を、徹底的に認識するほかないのです。
(柄谷行人『倫理21』)

 31歳のフリーターが戦争を望んでいるというショッキングなタイトルが話題をふりまいたけれども、社会の流動性の確保と痛みの共有のために戦争を提案するのは暴論でしかない。

 流動性は時代の変わり目に生じる。19世紀の近代化=産業化というグローバル化は日本に石炭産業を勃興させたが、20世紀の石油によるエネルギー革命のグローバル化は国内の炭鉱に国際競争力を失わせ、閉山に追いこむ。グローバル化とイノベーションが流動性をもたらすとも言える。

 痛みの共有は、戦争を持ち出すまでもなく、災害時にしばしば見られる。災害直後、被災者の間で相互扶助の意識が芽生え、「困ったときはお互い様」とコミュニティが形成される。しかし、復興が進むにつれ、この精神は薄れていく。

 また、接触効果は生き残った人の間でのみ働くのであって、死者はそれを感じられない。沖縄では、決戦前に、第一次・第二次防衛召集で17歳から45歳までの男子2万人を二等兵として徴用、その後、中学生の一部も入隊、さらに、沖縄勤労動員礼が公布され、15歳から45歳までのほとんどの男女が動員されている。

 沖縄戦により、約10万人の県民が犠牲になる。出征した兵士も合わせれば、対戦中の沖縄の犠牲者数は15万人以上であるが、戦前の同県の人口は、最も多かった1937年で60万人弱である。それだけの損害を被りながら、失業率は国内最悪、一人当たりの県民所得も最低であり、しかも日本の領土の2%しかない沖縄に全日米軍の全基地75%も集中している。戦争の傷跡は非常に長く残る。この作品をめぐる議論は感情的なすれ違いも多く、結局、不毛に終わっている。

 もっとも、赤木とは別に、デフレ傾向を脱却するには戦争特需しかないという意見も根強い。デフレは平和の時代の産物である。朝鮮特需の夢をもう一度とばかりに、戦争による大量生産・大量消費があれば、デフレを脱却できるというわけだ。

 しかし、時代が違いすぎる。現代の戦争はいたずらに長引く内戦が主流である。当初は国家間戦争であっても、内戦化するケースも少なくない。当該地域の政治的・経済的制度の基盤まで破壊し、流出した難民が周辺地域に負担となる。

 相互依存の進んでいる現代の国際社会では、局所的な戦争であっても、グリーバル規模で悪影響を及ぼしかねない。しかも、持続可能性な発展という国際的な目標を最も阻害している原因の一つが戦争である。エコロジカルな戦争などありえない。

 今日、戦争か経済に好影響を与えるという主張は時代遅れでしかない。政治も経済もエコロジーを考慮しており、戦争では気候変動問題を始めとする環境問題を解決どころか。悪化させる。

 こうした手合いに戦争の悲惨さを訴えたところで、聞く耳を持たない。戦争待望論は、結局、国内問題の打開策を外に見出そうとする発想である。しかし、これが夢想でしかないことは、1930年代の日本の歴史を見れば明らかだろう。こんな夢からとうの昔に目が覚めていてもいいころだろう。


つづく