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津波来襲

佐藤清文

Seibun Satow

2010年3月5日


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「いいか、大尉!オレがこのビーチで安全にサーフィンができると言ったら、このビーチで安全にサーフィンができるんだ!」

フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』


 2010年2月28日の津波をめぐって最もはっきりしたことは、津波に関する知識が一般にあまり知られていない点である。

 避難率は各地とも著しく低く、第一波の到来した段階や大警報が警報に変更された時点で帰宅した人も少なくない。それどころか、津波でサーフィンをしようとした者さえいる。これは、漁民やサーファーなど普段から海と接している人たちの間でも、津波に関する知識・経験が共有されていないことを物語っている。

 この事態には驚かされる。2004年のスマトラ島沖大津波の映像が世界中に配信された記憶は新しい。また、日本は歴史的に何度も津波の被害にあっている。それは、NHK教育テレで放映された『おがなしのくに』の第12回「津波!命を救った稲むらの火」からも伝わってくる。

 ここからわかるのは、「津波」という単語は知っているものの、その定義とメカニズムを理解していない人が多いことである。

 「波」という文字にのみ気をとられ、津波を大きな高潮と誤解している。しかし、一般の波、すなわち水面波と津波は性質がまったく異なる。

 水面波は水面が上下する波である。一方、津波は地震や海底火山の噴火などによって生じる巨大な波である。実態は海の洪水であり、丘も駆け上る。「津」は入り江や湾を指す。沖合いでは穏やかであるが、湾内に入ると、急激に暴れ出すことから「津波」と呼ばれる。台風などによる高潮の場合と違い、沖合いにいる船舶が津波に気がつかないことも珍しくない。

 津波は、当然、サーフィンに適さない。かのサーファーたちが、海に向かう前に、津波について自分で調べていないことは明白である。それにしても、波の良し悪しも見極められないで、サーフィンをしているのは不思議である。魚の良し悪しがわからないで漁師を続けているようなものだ。彼らは、『地獄の黙示録』のビル・キルゴア中佐に「おまえにサーフィンの何がわかるんだ」と軽蔑されることだろう。何しろ、このヘリコプター隊の隊長は、サーフィンをするためにベトコンの拠点を攻撃し、銃弾が飛び交うビーチで、部下に波の状態調べさせているほどだ。

 津波到来以来の報道は、津波の性質に関する科学的な説明が少なく。気象庁による予測内容の是非や非常識な人々への非難ばかりが目につく。中には、津波に限定した提言が建設的であるはずなのに、日本人は自己責任の意識が弱いくせに、何かあった関係当局を責めたてるなどとワイドショーで発言しているコメンテータさえいる。今後の防災対策の上でも、津波についての知識・経験の専門家と一般市民との共有が不可欠である。思慮の浅い意見よりも、メディアがすべきことは、こうした啓蒙活動だろう。

 1960年5月23日、いつものように、22歳の新任教師が釜石の唐丹(とうに)中学校に出勤すると、校長から津波のため休校にしたと告げられる。彼の下宿先や学校は高台にある。明け方に大津波が来襲したことに気がつかなかったこの新米教師は、海の見えるところまで山を下る。そこで目にした光景は生涯に亘って彼の脳裏に残ることになる。急激に湾の底が見えたかと思ったら、あっという間に水が溢れ出すように辺りを飲みこみ、丘を駆け上がってくる。

 その6年後、彼に男の子が生まれる。津波のニュースがある度に、彼はこの長男に自分の経験を語って聞かせる。その息子が今この作品を書いている。

〈了〉

参考文献
DVD『エンカルタ総合大百科2007』、マイクロソフト社、2007年
NHK教育『おがなしのくに』第12回「津波!命を救った稲むらの火」
http://www.nhk.or.jp/kokugo23/72/story.html