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コミュニケーションが亡びるとき
─水村美苗の『日本語が亡びるとき』


佐藤清文

Seibun Satow

2009年2月22日(4月25日掲載)


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「真の背反関係は、永遠に相容れえないものを和解させようとする誘惑と、その誘惑の拒絶とのあいだにある」。

水村美苗『リナンシエイション(拒絶)』


「茶室であるから和服でなければならないなどとうのは伝統ではない。ジーンズでもさまになってしまうのが茶室の伝統というものである」。

森毅『ジーンズでもさまになってしまうのが茶室の伝統』


 かつては首相を含め閣僚の演説は官僚の用意した原稿を読むだけと揶揄されていたが、今ではそれさえも懐かしい。国会で、麻生太郎首相は「詳細」を「ようさい」、「頻繁」を「はんざつ」、「未曾有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」、などと読んでいる。

 「踏襲」を「ふしゅう」とするのは、いわゆる湯桶読みであり、日本語のお約束が頭に入っていないのかと言われても仕方がない。また、「頻繁」を「煩雑」とした場合も、日中の関係の文脈で使われているのだから、その流れをたどっていれば、間違えるはずもない。ワープロによる打ち間違いをよく目にする御時世であり、ケータイ・メール好きで知られる吉田茂の孫も推測力は普通なら自然と身につきそうなものである。

 政治演説は近代日本語における書き言葉の誕生のきっかけの一つである。自由民権運動の活動家は街頭に出て、民衆に自らの主張を演説で訴えている。街頭演説は近代日本政治の原点である。維新以前、演説という政治行動は日本には存在しなかったため、新聞はこの新奇な光景を読者に伝えようとどうしたら臨場感が出るか四苦八苦している。読むだけで、その姿が目に浮かぶような今までにない新しい書き言葉が必要だ。

 読み間違いだらけの演説は活字媒体よりも、You Tubeで動画として見られ、広まっている。ここから新たな書き言葉の芽は出てきていない。

 水村美苗の『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』はこのような状況下で刊行され、文学界で話題となっている。各種のグローバル化とインターネットの伸張と共に、英語の覇権が強まっている。こうした状況に危機感を覚える水村美苗は「日本語をいかに護るか」を訴える。旧英植民地だったインドやシンガポールではローカルな言語と英語を公用語とする政策をとってきたが、このような二重言語圏は今後アジアで拡大していくだろう。さらに、ウェブを通じて英語の図書館には、ますます情報が蓄積されていく。日本語は話し言葉としては存続するかもしれないが、事実上、書き言葉は消えていくだろう。それは日本語にとっては致命的であり、死語も同然である。英語の世界制服という危機意識に基づき、水村美苗は、七章に亘って、日本語が生き残る術はどのようなものかを明らかにしようとする。
 私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史を辿った言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
 それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
 自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。
(水村美苗『日本語が亡びるとき』)

 この三島由紀夫の『文化防衛論』を彷彿させる挑発的な著作について、『ウェブ進化論』の梅田望夫が自身のブログで二〇〇八年一一月七日に絶賛し、論争に火がつく。

 英語がラハールか津波の如く押し寄せ、日本語も飲みこまれてしまうという水村美苗のヴィジョンには、賛同もさることながら、反論も数多く寄せられる。日本は植民地経験を持っていないし、日本語の話者数は一億人以上と決して少なくない。少子高齢化が進んでいるとは言え、世界的に日本語への関心も高まっており、書き言葉の市場規模は小さくなく、いかに英語が支配的になろうと、そう簡単に亡びるわけがない。または、日本語がデカダンスであるとすれば、「正視」にとどまらず、フリードリヒ・ニーチェや坂口安吾のように、よりよく亡んでいくべきだろう。こういった反論が示されたとしても、不思議ではない。

 水村美苗の主張がカサンドラの予言であるかどうかはともかく、これまで無数の言語が亡び、今でも多くの言語が存亡の危機に直面していることは確かである。

 ユネスコは、二〇〇九年二月一九日、全世界で約二五〇〇の言語が消滅の危機にさらされているという調査結果を発表している。最も危険な「極めて深刻」には五三八言語、続く「重大な危険」に五〇二語、「危険」に六三二語、「脆弱」に六〇七語がそれぞれ分類されている。また、一九五〇年以降に消滅した言語は二一九語にも及び、最近では、〇八年にイヤック語がアラスカ州にいた最後の話者の死亡に伴い途絶えている。

 本では、日本語は載っていないが、八言語がリスト・アップされている。アイヌ語が「極めて深刻」に指定されたほか、沖縄県の八重山語と与那国語が「重大な危険」、沖縄語や国頭語、宮古語、鹿児島県奄美諸島の奄美語、東京都八丈島などの八丈語が「危険」と分類されている。国内では、アイヌ語以外は方言と見なされているが、国際的な基準においては独立した言語として扱われている。

 ユネスコは九六年と〇一年にも危機に瀕する言語の調査を実施し、今後も定期的に継続する。「言語は常に変化する。その変化の実態を知るため」とその目的を説明している。ユネスコのフランソワーズ・リビエール事務局長補は、〇九年二月二〇日付『朝日新聞』によると、「言語消滅の原因には、次世代に伝える意思を失うという心理的要素が大きい。自信を持って少数言語を話せるよう条件づくりに努めたい」と語っている。

 アイヌ語は、近代日本政府による非妥協的な同化政策もあって、アクティヴ・スピーカーがもはや15人しか生存していない。もし生きていたならば、金田一京助は大いに嘆くことだろう。現在、各方面で四人称を持つこの言語の継承活動が続けられている。共同通信は、〇九年二月二三日、道立釧路明輝高校が新学期から自由選択科目としてアイヌ民族の歴史や文化を学ぶ「アイヌ文化」科を設けると伝えている。

 また、特定の共同体内でのみ使われている言語もいくつかある。かつてはアケメネス朝ペルシアの公用語だったアラム語は、シリアのマルーラを代表としてレバノンやトルコ、イラク、イランなどに点在する共同体が使われている。

 このアラム語が示す通り、歴史的に、政治的・経済的な大国の公用語が国の衰亡の後に、衰退していく現象が何度か見られる。古代ローマのラテン語も同様のケースである。覇権を持っているから、永遠不滅だということはない。

 日本語の心配もさることながら、長期的に考えると、こういった歴史的経験を踏まえるなら、英語も亡びる運命が待っていないとは言えない。事実、アメリカ合衆国を英語の国と考えるのには、いささかためらいを感じる。ヒスパニックの人口は四四〇〇万人にもおよび、世界第三位のスペイン語の話者を抱える国である。各種の選挙でも、テレビ・コマーシャルやネットを通じ、スペイン語を使った運動が必須である。合衆国最大のマイノリティであるヒスパニックの声を政治家も無視できない。しかも、アメリカにおけるヒスパニックは移民問題に限定されない。一九世紀、合衆国は、戦争によって、メキシコの領土の半分やスペインの植民地を支配領域に組みこんでいる。アメリカの膨張主義がスペイン語圏を統治することになったのであり、この言語の問題は一筋縄ではいかない。こうした経緯から、アメリカ合衆国は、今後も、ラテン・アメリカ色がさらに強まっていくだろう。

 さらに、ローカルな話し言葉としては一般的であるが、一般的に、書き言葉には用いられていない言語もある。アラビア語には、フスハーとアーンミーヤが存在する。両者は漢文と白話の関係に似ている。

 フスハーはアラビア語を公用語としている地域で共有されている標準語である。印刷物や電波媒体など各種メディア、ならびに政治・経済・学問・宗教の場で使用される。子供向け番組もフスハーが用いられる。なお、フスハーは、『アル・クルァーン』や古典作品などで使われている古典アラビア語と文法的に若干簡略化された現代標準アラビア語に大別される。『アル・クルァーン』は翻訳は聖典の価値を失うとされているため、読んだうちに入らない。

 水村美苗も親交のあったポール・ド・マンは、柄谷行人によると、前置きの長いエドワード・サイードの文章を「考える以上に書く(He writes more than he thinks)」と評したが、これはアラビア語の文章の書き方を英語でも通しただけのことである。アラビア語に慣れ親しんだものにとっては、英語の文章は非常に事務的で、気持ちがこもっていないという印象さえする。

 他方、アーンミーヤは各地域で日常会話で用いられている非公式な言語である。これはフスハーの文法を簡便化しており、発音や語彙の点で違いがある。メディア上では、テレビや映画、文学の現代劇、ポップ・ミュージックの歌詞に使われる。概して、アルジェリアのアーンミーヤをカタール人は解さないし、イラクのアーンミーヤをモロッコ人にはわからない。ただし、エジプト制作のテレビ・ドラマや映画が中東地域で広く楽しまれているため、エジプトのアーンミーヤは例外的に他地域の人々も理解できる。それは日本における関西弁の状況を思い浮かべればよい。

 もっとも、亡びるだけではなく、言語を生き返らせようという活動も生まれている。国民国家が抑圧したエスニシティ復権の動きが世界的に進み、各地で、話し言葉として細々と存続してきたローカルな言語を拡充させようという運動も起きている。ケルト語やコルシカ語、ブルトン語などがそうした例である。さらに、事実上、死語となった言語が人々の努力によって復活する場合もある。その代表がヘブライ語である。ただし、現代ヘブライ語は聖書ヘブライ語とは多くの点で異なっている。いずれの場合も、アイデンティティの確認・共有という動機が見られる。

 水村美苗は、人類の叡智の英語による一極集中化に危機を覚えている。今日ほどグローバルな規模ではないにしても、支配領域を広げていく勢力が周辺の叡智を翻訳・収集していくことも、歴史的に、珍しくはない。

 七世紀にアラビア半島で誕生したイスラームは急速に影響直拡大している。イベリア半島からブラック・アフリカ、中央アジア、東南アジアまでムスリムの為政者が生まれていく過程の中で、数々の叡智を吸収していく。アリストテレスを代表に古代ギリシアの文献をアラビア語に翻訳したのは、その一例である。『アル・クルァーン』に最も頻繁に登場する単語が「イルム」であり、知識や情報、知性、知覚、認知など「知」に関する全般的な意味がある。また、自然科学が「イルムタビーヤティ」であるように、学問の「学」という用法もある。そのため、アラブの出版社がこの語を社名に入れているのをよく目にする。知識を追求することは非常にイスラーム的であるというわけだ。「知識を求めよ、中国までも」。彼らのアーカイヴなくして、欧州のルネサンスはありえない。

 また、一八世紀のヨーロッパに、世界中から新奇な情報や物品が大量に流れこんでいる。この知識の大洪水時代に対応するため、啓蒙主義者たちは百科全書にそれらをまとめ上げるプロジェクトを開始する。これは、なるほど、フランス語による知識の集中化であるけれども、教会権力などから自立した思考を獲得しようとする態度変更があり、それは近代の目標の一つを具現している。何でも知ってやろうというわけだ。この頃の欧州には、フランス語を共通語とした「文芸共和国」が成立している。フランス語で手紙を書けさえすれば、このネットワークに参加できる。当時最高のセレブのヴォルテールに自分の考えをロシアの商人やドイツの弁護士が手紙を書き送れる。ただし、書簡は公開されるのが前提であり、私信など存在しない。この共和国は公共空間であり、私的な自由裁量権は参加者には許されていない。WikipediaやGoogle、You Tube、My Space、Facebookなどが花開いた今日のインターネットは「電子版文芸共和国」と言える。

 特定言語による叡智の集中は、次の時代の大きな変革を用意することにもつながる可能性もある。ただ、この作業は翻訳を通じて行われるため、その際、訳された言語の持つ固有の特徴や味が消えかねない。水村美苗が特に懸念するのはこの点である。

 水村美苗は、二〇〇八年一一月八日付『読売新聞』の「語の機能・陰影 どう護る」というインタビュー記事において、書き言葉としての日本語について次のように答えている。
 無限の造語力を持つ漢字を音訓自在に組み合わせて語彙を広げ、ひらがな、西洋語を表すカタカナ、ローマ字……多様な文字を縦にも横にも併記して、歴史も感情もすべてを含み込む。書き言葉としての日本語は、希有なだけでなく、世界に誇れる機能的かつ陰影豊かな言葉ですが。
 言語では、音・文法・文字の順で時を経ても残りやすい傾向がある。日本語は文字は中国語の影響を強く受け、文法構造はトルコ語やモンゴル語、朝鮮語とよく似ている。ところが、音はポリネシア語系と類似している。書き言葉としては亡んだとしても、話し言葉は存続する可能性は高い。しかし、水村美苗にすれば、書き言葉の亡んだ日本語は死んだも同然である。

 言語は音・文字・文法・語彙・表現の五分野に分けられる。習得言語として学習した場合、京助の孫に当たる金田一秀穂の『日本語のカタチとココロ』によると、近隣の諸言語と比較して一般的な難易度はそれぞれでは次のようになる。

 まず、音は、日本語の音数は少なく、非常に容易である。バングラデシュのベンガル語は発音が非常に難しいことで知られている。ベンガル語には日本語の一〇一の音すべてが含まれている。また、アクセントも高低のみで、スウェーデン語のように、高低と強弱の二つを併せ持ってもいない。

 ただし、他の言語では、別の音として区別して発音するけれども、日本語においては、音の並びで自然にそうなってしまうために、同じに扱うケースもある。日本語にはhの摩擦音はないとされている。しかし、「御飯」の「ハ」は、意識せずとも、hの摩擦音として発音される。外国語の発音を学習する際に、こうした音を参考にすると効果的である。

 第二の文字は非常に難しい。ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットなどの使う分けがあり、中でも漢字の読み方は極めて複雑である。漢字は訓読みと音読みに大別できる。いずれも一通りでないものが多い。

 漢字は非常に長い年月に亘って中国から渡来してきたため、その時々の発音が伝わってきたことが一対一対応にならない一因である。このトピックを議論する際に、よく例として用いられるのが「行」である。これは「いく」・「おこなう」という二種類の訓読み、それに「ギョウ」・「コウ」・「アン」の三種類の音読みを持っている。「ギョウ」は、五、六世紀に中国南部の呉の国から伝わった読み方で、「呉音」と呼ばれる。「コウ」は遣隋使や遣唐使が滞在先の長安で使われていた標準的発音を持ち帰ったものであり、「漢音」と称されている。「アン」は「唐音」ないし「宋音」と言われているが、実際には、平安時代中期以降に元や明との交流の過程で伝わっている。音読みの中で、最も一般的なのが漢音である。呉音は、「修行」の如く、仏教用語に多く、唐音もしくは宋音は、「行脚」が表わしているように、禅宗にかかわる単語で用いられている。

 こうした歴史から日本語には多くの漢語が含まれている。その漢語は必ず二拍目に「イ」か「キ」、「ク」、「チ」、「ツ」、「リ」、「ン」、もしくは長音になるという規則性がある。「会話」は「カイワ」、「学問」は「ガクモン」、「文学」は「ブンガク」、「行動」は「コードー」と確かにその通りである。これでは、当然、同音異義語が多発することになる。なお、同音異義語が最も多いのは「コウショウ」である。

 また、当て字も頻繁に使われ、固有名詞を始めとして名前には不規則な読みをしているものが少なくなく、そういったケースは一つ一つ覚えていかなければならない。「温泉津温泉」は「ゆのつおんせん」、「藤原宇合」は「ふじわらのうまかい」、「円谷幸吉」は「つぶらやこうきち」、「公孫樹」は「イチョウ」、「鸚鵡」は「オウム」とそれぞれ読むが、知っていないとお手上げである。また、デーモン小暮閣下のバンドは「聖飢魔II」で「せいきまつ」であるし、七〇年代に「影道」と書いて「シャドー」と読む暴走族が活動している。「夜露死苦」は、もちろん、「ヨロシク」である。

 一八世紀に完成した『明史』には、日本に関する記述も見られる。しかし、そこには少なからず誤認が含まれている、その中に、漢字が複数の読み方を持っているという日本の習慣に起因するものがある。明智光秀が「阿奇支」と「明智」という別々の人物だと解釈されている。文字史料と口承史料を入手した書記が日本における漢字の読み方のルールを確認しないまま、執筆したのではないかと推測できよう。

 今回の議論は近代日本語に限定されているが、明治以前も含めると、文字の形態や用法が統一されていないため、さらに複雑になる。今日、一般的に刊行されている古典文献は現行通用の文字に改める作業である「翻字」されている。しかし、ひらがなやカタカナ、漢字に数多くの字形・字体・書体・異体字が存在し、古文書を読む際には、それに関する知識が要る。「決闘」を「決斗」と記したりするものの、近代日本語の書き言葉は、こうした多様性を抑圧して成立していることは否めない。

 第三の文法は、難しくも、やさしくもなく、普通である。区切りにくい膠着語であるという点もあるものの、それは漢字の機能が吸収している。動詞の不規則変化、時制や人称、男性・女性・中性名詞、単数・双数・複数などの規則もゆるい。文法が非常に難しいのがアラビア語である。言語の達人フリードリヒ・エンゲルスも挫折したほどである。しかし、文法さえ身につけば、語彙もそれに依存していることもあり、上達する可能性は高い。

 第四の語彙は、漢字を知っていれば、やさしく、それを最初から始めるとなれば、きつい。語彙自身は少ないが、文字、特に漢字でそれを補っている。

 最後の表現は普通である。難しくもないが、容易でもない。よく言われる敬語表現も、朝鮮語やジャワ語の方がはるかに細かいし、グルジア語も結構入り組んでいる。

 以上のような特徴から、日本語において会話の習得は一、二ヶ月くらいの比較的短期間で可能であるが、読み書きとなると、漢字の問題があるため、困難を伴う。日本語は何よりも漢字の習得こそが上達への絶対条件である。その点で、日本語は聴覚的と言うよりも、視覚的言語である。

 水村美苗の指摘する通り、文字を駆使した日本語の造語力は驚くべきものがある。活字媒体に目を通したり、巷を見回したりすると興味深い表記に気がつく。

 80年代後半、浅野温子と浅野ゆう子がブレークし、二人合わせて「W浅野」と称されている。これは「ダブリューあさの」ではなく、「ダブルあさの」と読む。また、二〇〇九年二月一一日付『東京新聞』のスポーツ面の見出しに「きょうW杯最終予選 豪の高さ 中沢で対抗」とあるが、この「W杯」は「ワールド・カップ」と理解できる。

 「W」というアルファベットがほとんど漢字として使われているのだから、これでもかまわない。しかし、「W」を「ダブル」と読むのは、本来はおかしい。「W」は"double u"に由来するから、「ダブル・ユー」で「ダブリュー」である。"uu"、すなわち"2u"であって、「ダブル」とは読みようがない。また、小泉今日子は「キョンキョン」と呼ばれ、「kyon2」としばしば表記される。「kyon」の二乗という意味であるが(テキスト・ファイル上であれば、正確には「kyon^2」と記すのが慣例である)、それでは(kyon)×(kyon)となってしまう。むしろ、「2kyon」として「ダブルkyon」で「kyonkyon」と読ませる方が適切である。もっとも、積記号の省略ならびに累乗という数学上の慣例を応用したという発想それ自体は、非常におもしろい。

 日本語の散文のルールをつくったのは藤原定家(一一六二─一二四一)である。定家は意図を持って漢字とひらがなを使い分けている。日本語では、英語と異なり、分かち書きをしない。そのため、文内の意味の切れ続きをどうするかが課題となる。現在では句読点があるが、当時はそんなものなどない。そこで、定家はひらがなから漢字に移るところを文節の切れ目とすることを思いつく。

 定家は、彼以前の人たちと違い、文字を続けて書くことをあまりせず、一文字一文字を独立させ、筆記の面でも、明らかに文の切れ続きを意図している。なお、定家はひどい癖字で知られ、そのため、定家流として江戸時代に愛好者もいたのみならず、その自筆本や写本が特定しやすい。日本語の散文は、この時、生まれたと言って過言ではない。

 カタカナは、今の文内では、ほぼ漢字と同じ自立語の機能を果たしている。カタカナは漢字の字画の一部を省略して生まれ、九世紀頃に、確立したというのが定説である。それは、主に、漢文の訓読のために用いられる文字である。漢籍や仏典の漢文を訓読(翻訳)する際に、送り仮名や返り点といった訓点を行間や字間に補う必要がある。文字の四隅や中間に記号をつけ、送り仮名や助詞、助動詞などを表わしている。現在、助詞を「テニヲハ」と言うが、それはこの記号の配置に由来している。記号のつけ方や意味が門流や宗派によって異なっている。それは秘伝である。カタカナは書き言葉の世界の文字である。定家のルールが現在までもほぼそのまま適用されているのだから、驚くべき独創性である。

 歌謡曲やポップ・ミュージックの歌詞は、歌番組やカラオケの字幕を見ると、非常にユニークな漢字の使い方をしているのがよくわかる。歌は音声として発せられているけれども、その歌詞は音があってそれに文字をつけて構成されているわけではない。沢田研二の『危険なふたり』に「年上の女(ひと)」という一節がある。表記に従い「年上の人」としては男か女かわかりにくい。さりとて、文字通りに「年上の女」で欲望がストレートに出すぎて、悩める心がかすんでしまう。「の」と「お」が連続する場合、区切りを入れないと、「のんな」に聞こえてしまうし、第一、字余りだ。歌詞には、あくまでも歌であるため、数多くの制約がある。「あなた」で始まる歌は多いが、「わたし」は少ない。これは「わ」の発音のしにくさに起因する。他にも、歌詞では漢語は避けられる。ひらがなは漢字の草書の崩しから生まれ、九世紀頃に確立したと考えられている。和歌を書いたり、私的な文章を記したりする際に用いられる声に出すための文字である。こうした歌詞特有のリテラシーから、作詞家たちは大胆な表記を用いている。また、漢字そのものを歌詞に取り入れた曲さえもヒットしている。「明日」を「明るい日」とつぶやくアン真理子の『悲しみは駆け足でやってくる』や「春」を「三人の日」と歌う石野真子の『春ラ!ラ!ラ!』、「忍」を「心に刃をのせる」と思い悩む因幡晃の『忍冬』がその代表であろう。「忍冬」は「スイカズラ」と読み、花言葉は「献身的な愛」である。さらに、外来語を漢字やアルファベットのままで記し、日本語の別の単語として歌わせるというケースまである。

 読みを無視して、意味のみを伝えるための表記もよく見かける。切符売り場にて、「小人」とあっても、「こびと」とは読まない。これで「大人」と対比された「こども」の意味だと理解している。また、二〇〇九年二月一一日付『ニッケイ新聞』は、ブラジル国内ニュースの見出しに、「バチスチ亡命容認=伊首相が訪伯中止=地下組織の手引きで伯国へ」と掲げている。「伊首相が訪伯中止」は文字通り読まず、{イタリア首相がブラジル訪問中止}と理解するようになっている。さらに、二〇〇九年二月一四日付『スポニチ』の「チェルシー・ヒディンク監督キッパリV宣言」という見出しにおける「V宣言」は、もちろん、「勝利宣言」の意味である。これらの用法では、他と区別したり、象徴したりするための記号として漢字やアルファベットが使われている。

 こういった文字の多種多様な使い方が日本語を豊かにしていることは、いささかアナーキーであるとしても、間違いないだろう。書き言葉が消えてしまったなら、日本語は亡んだも同然という水村美苗の憂いも、決して、的外れではない。

 水村美苗は、日本語の頂点を二葉亭四迷や夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎らが活躍した明治後半から昭和初期だったと主張する。蓄えた漢学の素養を基盤に、西洋と互角に渡り合える思考力を担う「国語」が形成されていくが、文学者たちはそこで大きな役割を果たしている。

 水村美苗は、「語の機能・陰影 どう護る」において、その頃の知識人たちへのリスペクトを次のように応えている。
 福沢諭吉が一年間も枕を使って眠るのを忘れたほど、猛烈な勢いで西洋の知識を輸入し、急速に日本語は近代化した。ところが英知を受け取るほどに、西洋との隔たりにも苛まれもしたわけです。
 近代日本語は国民国家の形成と植民地支配という二つの契機によって発展している。言文一致運動は国内における国民国家体制の確立と密接な関係がある。しかし、近代日本語が標準化されていくのは、日本が帝国主義化していく過程においてである。水村美苗が賞賛する時期は、石橋湛山が厳しく批判した「大日本主義の幻想」の時代と言ってもよい。

 台湾の教員として新規則の制定に関与した山口喜一郎は、一九〇四年、「新公学校規則を読む(一)」において、日本語の中には「国民の知識、感情、品性」のすべてが含まれており、日本語教育によって台湾人と日本人の「同情同感」が可能になり、「母子両地」が確かなものになると主張している。山口に従えば、日本人の「国民性」とは何か、あるいはそれを指し示す「知識、感情、品性」とは何かという問いは意味をなさない。日本人の「国民性」は日本語が体現している。日本語で語られれば、西洋近代文明であろうと、中華文明であろうと、天皇の勅語であろうと、日本人の「国民性」そのものになる。植民地支配における屈折は日本語によって改称されたのである。その上で、山口は日本語教授法として体験的に日本語を「体得」させる直説法、すなわち全教科目における教授用語の日本語化を推進する。教師は、台湾語を用いて、日本語を理論的に教えるのではなく、日本語を体に叩きこまなければならない。一九一〇年代前半には、総督府の刊行していた教科書から台湾語の対訳が削除され、教育現場より台湾語を完全に排除する。山口への批判は当時からすでに強かったが、日露戦争という時代の中、山口の意見は主導権を獲得する。正統性の欠落を日本語審美主義によって埋めざるを得ない。借り物の近代化を背景に、文化的に負っている中華文明を支配するのを正当化するには山口の主張は有効である。日本語審美主義として、日本の帝国主義は日本語の普及のために、行われていく。

 こうした占領政策がとられたのは、日本語が植民地政策において特別の意味を持っていたからである。政治や司法、官庁、軍部が日本の帝国主義を正当化するために、国家的プロジェクトとして日本語に過剰な意味づけを行っている。日本語は、近代日本において、天皇制以上の政治的イデオロギーである。日本語の表記に関する問題は言語学ではなく、国内外の政治情勢と密接に結びついている。日清・日露の両戦争の勝利を通じて、台湾や朝鮮半島、中国大陸へと侵略を進めていく中で、漢字廃止の運動も盛んになり、加えて外地での日本語教育の問題から漢字を制限しようという動きが高まっている。ところが、昭和に入ると、極端な復古主義・国粋主義の立場からそれに抵抗しようという勢力が生まれる。教育現場での方言の尊重という意見が内地では出ていたものの、植民地において、正しい日本語の確立と確実な教授が要請されていた理由から、標準語の絶対性は揺るがせない。大日本帝国は、言語の面でも、大東亜共栄圏の規範とならなければならない。不純な日本語では日本の帝国主義政策が不純ということになってしまう。一九〇二年に政府によって設置された国語調査委員会は調査方針の一つにとして「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」をあげている。なるほど、言文一致に関しては、文学者が積極的にかかわっているように、民間主導で達成されているのに対して、標準語を目指す国語は、文学以外の領域で始まり、学校現場を通じて、広まっている。けれども、自然主義文学から派生したドメスティックな文学である私小説という特殊な文学ジャンルが日本近代文学の主流となっていく過程には、帝国主義政策が関連している。日本の国語政策が日本的帝国主義と不可分であるとしたら、日本近代文学はこの日本的帝国主義の産物である。それどころか、日本の帝国主義を強化する役割の一端を担っている。日本近代文学は、西洋の近代文学とは異なった方法で、植民地支配に荷担してきたのである。

 植民地支配の言語に及ぼす影響は、意識的であろうとなかろうと、小さくない。日本手話は、語彙の面で、韓国手話や台湾手話との共通点が多く、その原因をかつての大日本帝国統治と考える専門家も少なくない。なお、日本では二種類の手話が使われている。日本手話は、聾唖者の間で、自然発生的に生まれ、日本語とはまったく別の言語である。他に、日本語を逐語的に翻訳した日本語手話がある。前者は音声言語による会話以上に微妙なニュアンスを表わせる非常に豊かな原義であるが、中途失聴者にとっては習得が難しいとされている。そのために後者の必要性が説かれていたはずなのだが、従来、教育現場やメディアではこちらがあまりにも優勢となっている。両者の位置付けや関係をどうすべきか関係者の間で議論が続いている。

 現在の中国語の語彙には日本で考案されたものが少なくない。オランダ語のテキストの翻訳が始まった江戸時代中期から二〇世紀初頭までに生み出された一連の訳語を「新漢語」と呼び、既存の漢語の意味を転換したものと新たにつくったものの二種類がある。国の知識人も翻訳を試みたものの、日本製の新漢語にとって代わられ、大部分が死語となっている。清朝の学者が近代西洋学問の概念を従前の語彙に置き換えようとしたのに対し、江戸や明治の知識人たちは意訳に努めたからである。中国は東アジア文化圏の機軸であるため、王朝が交代すれば別としても、体系全体の改変につながる知的試みは起こりにくい。特に、社会科学の用語は半分以上が日本生まれである。「権利」や「宗教」、「義務」、「人民」、「共和国」などが新漢語に含まれる。二葉亭や漱石、鴎外はひらがなで小説を書いていたが、戦前、公文書はカタカナで記されるのが一般的である。外来語をカタカナで表記しては、非常に読みにくいし、漢字にすることで、その未知の概念の意味も推測できる。明治期の文学を真に楽しむには、そのため、漢文の素養が必須である。

 「素養」は日本における漢文をよく物語っている。科挙制度によって叩きこまれた台中華・小中華の役人・学者と違い、江戸期における武士の漢文の技量は貧弱である。漢詩を書き下し文で読んだのでは、押韻や平仄を味わえない。朝鮮使節団は新井白石のような優秀な知識人の存在に敬服しつつも、ろくに漢文を解さないものが幕府の要職に就いていることに首をかしげている。しかし、その無知と無教養さゆえに、訓読みが生まれ、普及したとも推察されている。

 けれども、大正時代に入ると、漢文の知識がさらに衰退したと見られる兆候が現われる。「券売」や「砂防」はそうした例である。漢文の規則では、動詞が先で目的語が後になるため、前者は「売券」、後者は「防砂」とするべきである。さらに、経典に慣れ親しんでいるはずの寺院が「志納金」と言っている。これは「志を納める金」であるから、当然、「納志金」でなければならない。さらに、昭和四〇年代から、カタカナ語が多用され始める。経済企画庁が電子計算機の意義に気づき、情報理論に影響され、文書を作成するようになる。これをきっかけにして、政治経済の場で漢語に翻訳しないまま、カタカナで表記する風潮が強化されていく。もはや外来語を漢語に翻訳することは今の日本人には無理な作業である。どうしてもカタカナ語を減らしたいのであれば、中国人の翻訳を借用するほかない。

 水村美苗は、「語の機能・陰影 どう護る」において、この危機への対処法を提言する。
 中途半端な国民総バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版の伝統を維持する。作文を書かせるより、古典をたっぷり読ませる教育を積む。それが日本語の生命を保つ現実的な方策。もちろん小説家は密度の高い文体を全力で築く。さもなければ日本語はやがて亡びゆく。私たちは分かれ道に立っています。
 かりにこの危機意識がただしかったとしても、この処方箋では日本語の亡びをとめられないだろう。エリート選抜は学力向上につながらないどころか、逆の結果を招きかねないというのが教育学の共通認識だからである。

 現代教育における学力はリテラシーとコミュニケーションに要約される。これは、中でも、言語において把握しやすい。水村美苗の指摘はリテラシー能力の上達に主眼が置かれるあまり、コミュニケーションの面では少々短絡的である。

 現在、OECDも調査しているように、教育が直面している課題は「学力向上」と「格差の是正」である。明治維新以来、後発の産業国だった日本は、欧米に追いつき、追い越すため、マニュアル通りに作業ができる均質な労働者を育成する教育を必要としてきている。地域や階層の区別なく、全国一律の教育内容を一斉授業を通じて指導し、階段を登るように、目標を達成していくことが教育である。けれども、今や日本企業は、生き残るために、オンリー・ワン型を目指している。マニュアルに忠実な労働者ではなく、独創的なアイデアを考案したり、高付加価値の商品・サービスを生み出したりする人材を探している。この社会変化に教育が十分に応えられていないことから、その二つの教育問題が生じている。

 与えられた問題を解くことができる生徒ではなく、その意味を理解し、拡張させていく生徒を育む教育が望まれ、その方法の制度化が必要とされている。「学力向上」と「格差の是正」は教育における「質」と「平等」をいかに確保し、両立されるかという問題に言い換えられる。一般的にはこれは不可能と信じられているが、研究者たちは両者の両立は可能であり、その方法論もほとんど共通した結論を導き出している。それは、さまざまな生徒が協力して主題を探求し、表現する「協同学習(Collaborative Learning)」である。各種の調査研究の結果、競争も、個別指導も、能力別編成も、格差の是正だけでなく、学力向上にさえも、このプロジェクト型のグループ学習と比べて、効果が薄いというのが専門家の共通した意見である。

 これを劇的に証明したのが、二〇〇〇年に実施されたOECDのPISA(Programme for International Student Assessment)調査の結果である。「読解リテラシー」・「数学リテラシー」・「化学リテラシー」の三分野を調べているが、その時は「読解リテラシー」が対象である。フィンランドがトップであり、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、アイルランドと続き、日本はイギリスについで八位である。最高位のフィンランドは競争原理を教育行政ならびに学校現場に導入してはいない。また、PISAのトップになるために、教育制度を整備したわけでもない。それはよい教育を目指した結果である。

 フィンランドは能力別編成も、個別指導も、エリート選抜も行っていない。与えられたテーマにプロジェクト・チームで取り組む協同学習を採用している。そのおかげで、フィンランドは平均点、優秀な学力の生徒の比率、学力格差、学校間格差といずれもトップである。質も平等も両立している。

 このランキングに最もショックを受けたのがドイツである。二一位で、OECDの平均以下である。ドイツは、小学校四年生の段階で、エリート教育とそれ以外とに選別する。ところが、平均点においてだけでなく、エリート教育を受けた上位グループも、それを実施していないランク上位の国の上位層にかなわない。現状のドイツの教育では質も平等も得られないという結果が示され、教育の優秀さを自負してきたドイツ人は打ちのめされる。リテラシー向上にはコミュニケーションの拡充が不可欠だと思い知る。

 しかも、フィンランドやカナダ、ニュージーランドなどランク上位の国は複式学級を採用している。これは、一学年一クラスではなく、二学年一クラスという編成の学級で、グループ学習に適している。日本では僻地などの生徒数が少ない学校で実施されることはあっても、非効率的だという信念が根強く、茨城大学の附属小学校で実験的に使われている以外は、採用されていない。けれども、質的に向上するのであれば、同じことを二度学んだ方が身につくというものだ。

 巷では、依然として、習熟度別編成や少数精鋭、個別指導などの個人主義的な競争の教育が学習には効果的だと信じられている。どれだけ覚えているかという知識の量を教育の目安にするなら、競争も可能だろう。しかし、知識の意味を理解し、それを使っていかなること探求し、表現するかを学ぶのが教育の意義とするなら、競争は不要である。

 一斉授業は、一七世紀のヨハネス・アモス・コメニウスの『大教授学(Didactica Magna)』に由来している。彼は、ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷機の意義を踏まえ、学校を「印刷機」、教科書を「活字」、教師の声を「インク」、生徒を「白紙」に譬える。印刷機が知識を一斉に白紙に印刷するように、教師は一斉授業により生徒を教育すべきだというわけだ。コメニウスは「教授学(didactik)」と「印刷術(typographia)」を組み合わせた「教刷術(didacographia)」という造語を考案している。それはまさに新たな時代の到来にふさわしい教育のあり方である。

 グーテンベルク革命の歴史的意義は認めるとしても、今や、テレビやラジオ、インターネットが普及している時代である。一斉授業の光景は時代錯誤だろう。別のアナロジーを編み出すべきである。考えてみると、実社会では、企業であれ、研究所であれ、官公庁であれ、個人でと言うよりも、プロジェクトを組み、チーム・ワークで問題に対処するものである。コンピュータのプログラミングにしても、大人数で書くことを前提としたオブジェクト指向プログラミングが主流である。一方向のコミュニケーションでは対応できない。

 このような社会的環境も手伝って、EQが注目されている。この概念は"Emotional Intelligence Quotient"の略で、「こころの知能指数」とも翻訳される。たんなる短期的な知識の習得能力ではなく、複合的・コンビネーション的な知能の能力、もしくは社会的な知能を示す指数である。感情的にならずに、行動できる能力と言ってもいい。EQは幼いうちからトレーニングすればするほど高められ、対他的・社会的コミュニケーション能力の向上につながる。協同学習はEQ教育を具現している。

 また、協同学習は各種の学習障害への対応も期待されている。彼らは一〇人に一人よりは多いが、五人に一人よりは少ないと見られている。一般的に、個性的な能力を持っており、それを発揮できることは彼ら自身の生きがいのみならず、社会にとっても有益である。学習障害以外の生徒にとっても、ありきたりではないコミュニケーションを発見できる。

 しかも、協同学習では教師同士の連携も必須となる。教師が教室でのことを自分だけで抱えこんでしまうというのは常々問題とされている。しかし、教師自身が教授も協同学習と認知するならば、これも解消される。さらに、教師たちは生徒からも、既存の理解にとらわれ、見逃していたことも見出し、新たな認識を学ぶだろう。教育は多様なコミュニケーションの有機的活動である。協同学習はそれを実現する。

 このような協同学習の考えは、実は、伝統的である。寺院は多くの修行僧を抱えている。それは経済性が理由なのではない。和尚から学ぶだけではなく、僧同士のコミュニケーションも修行だからである。協同学習は近代以前の知恵の見直しでもある。

 ただ、協同を考える際に、注意しなければならない点がある。それは協同が一つではなく、戦術的と戦略的の二種類に大別できることだ。前者は短所を補い合うリーム・ワークであり、後者は長所を伸ばし合うチーム・ワークである。両者は似ているように見えて、基本的な認識が異なっている。一般的に、日本ではチーム・ワークと聞くと、戦術的の方をイメージする傾向がある。

 戦術的協同は、違いを認めつつ、同じところを見出し、そこから出発する。メンバーを集め、目標が決まった後に、それをどうっやって効果的に実現するかを全体でとり組む。夏祭の神輿かつぎに似ている。この集中型の協同は既存のものを向上させていくことに向いている。

 他方、戦略的協同は、同一の部分を大切にしながら、相違するところを発揮していこうとする。目標に応じてチームが編成され、その後の戦術は個々のメンバーに委ねられる。カーニバルのパレードを思い起こさせる。この分散型の協同は革命的なものを生み出すのに適している。

 水村美苗の教育に関する提言には、現代の教育学から見れば、疑問が残る。体系的・総合的な理論と言うよりも、日本文学の現状に対する義憤、それとの間でコミュニケーションが成り立っていない苛立ちから発せられているものとして受けとるべきだろう。もし日本語を亡びさせないようにするとしたら、必要なのは多様なコミュニケーションを有機的に結びつける協同学習である。古典もそのようにして扱うべきである。
 私が、日本文学の現状に、幼稚な光景を見いだしたりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。(略)この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。
(水村美苗『日本語が亡びるとき』)
 水村美苗は、二葉亭四迷の 『浮雲』から谷崎潤一郎の『細雪』までを「日本近代文学」と括り、これと「現代小説」を対照させる。これは「大衆消費社会」における「文化商品」であり、その最たる例が『ハリー・ポッター』シリーズである。水村美苗は、グローバリズムに無批判的で、安直な本しか手にとらない人の日本語は「すでに自国の文学を持たない、現地語に墜ちた響きを感じる」と嘆く。しかし、真に問題なのは両者が断絶している事態である。文学全体のコミュニケーションが固定的・限定的になっている。

 漱石の孫の夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いのか』の中で、多様なコミュニケーションの必要性を次のように言っている。「マンガがとても豊かな娯楽性を発揮して、大衆文化として根づいているとすれば、先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離しないで、交流しながら発展しているからだろうと考えられます。おうおうにして批評家やマニアがバカにしてしまうような作品、どこを読んでも同じような類型的な作品がたくさんあることによって、初めてマンガ文化全体が豊かなダイナミズムを持ちうるのです。『いいマンガ』、『優れたマンガ』、『先鋭的なマンガ』のみを評価して、『くだらないモノ』は排除するという発想でマンガをとらえると、自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。これはマンガに限らず、文化全般に言える。文学も「『くだらないモノ』は排除するという発想で」とらえると、「自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。

 文化は協同学習のような相互作用が不可欠である。ところが、今の日本文学は「先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離」し、コミュニケーションが固定化・限定化されている。コミュニケーションの多様化を促進させ、それらが有機的に「交流しながら発展」していくことを目指す必要に迫られている。水村美苗の『日本語が亡びるとき』が示唆するのは、内容もさることながら、それが登場せざるを得なかった文学の現状を「正視」しなければならないということである。
 最近テレビで、インドの番組を見ていて感心したことがある。祭の山車をつくる大工の棟梁が、自分の技術を次代に伝えようという意識をまったくもっていないのだ。さりとて秘芸として隠しているのではなく、むしろ極めて公開的。
 そのおじいさんのいわく、「必要になったら、神様が教えてくれはりますがな」。
 文化というと、このごろみんな伝承を気にしている。学問だってそうだ。ぼくはインド人ではないので、神様を信仰していないが、別に伝承なんかしないでも、機が熟したなら、似たような文化はいつでも生まれそうに思う。消えてしまうのなら、それは神様のおぼしめしにかなわなかった、ということにしておこう。時代がほんの少しだけずれたり、歴史的な文化の個別性によって色あいが違ったりするかもしれぬが、そこが文化のおもしろいところ。正統性の一筋なんて、信じることもあるまい。時間も空間もクロスオーバー。
(森毅『「必要になったら神様が教えてくれる」』)

〈了〉


参考文献
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金田一秀穂、『金田一先生の厳選大人の漢字講座』、学校図書、二〇〇七年
金田一秀穂、『「汚い」日本語講座』、新潮新書、二〇〇八年
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夏目房之介、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー、一九九七年
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森毅、『みんなが忘れてしまった大事な話』、ワニ文庫、一九九六年
森毅、『「頭ひとつ」でうまくいく』、知的生き方文庫、一九九八年
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Munir Baalbaki, Al-Mawrid: A Modern English-Arabic Dictionary 2006 , Kazi Pubns Inc, 2006

DVD『エンカルタ総合大百科2008』、マイクロソフト社、二〇〇八年

国立特別支援教育総合研究所
http://www.nise.go.jp/blog/index.html
全日本ろうあ連盟
http://www.jfd.or.jp/
梅田望夫、『My Life Between Silicon Valley and Japan』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
佐藤清文、『THE END OF ASIA─植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立』
http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/
unpublished/ceremony.pdf