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内閣改造と『かちかちやま』


佐藤清文

Seibun Satow

2007年9月3日


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「政治家をつくるものは優れた洞察力ではなく、彼らの性格である」。

ヴォルテール『ルイ14世の世紀』

 早くも一人目の大臣の辞任です。自身が組合長を務める農業共済組合における補助金を不正受給していた問題の責任をとって、200793日、遠藤武彦農林水産大臣が辞任しました。これで安倍内閣では五人目の閣僚の交代となります。

 普通は誕生してからつけられるものですが、今回の内閣は生まれる前にすでにあだ名で呼ばれていました。先週、メディアでは何と命名するかとあちこちで尋ねていましたが、「泥舟内閣」とそのまま使った方がいいようです。

 ところで、この「泥舟」は民話『かちかちやま』に由来することは周知のことでしょう。泥舟は沈没することが自明であるという意味の譬えではありません。

 『かちかちやま』は民話ですので、多くのヴァージョンがあります。出版物だけでも、福音館書店やポプラ社、フレーベル館などの間でも微妙に内容が異なっています。現在一般的に流布しているいずれの場合でも、兎が親しい老婆に悪さをする狸を成敗するという核心はほぼ一致しています。泥舟は、根性の悪さや強欲さのために成敗されるべき存在が乗るものという比喩なのです。

 今回の組閣にあたっては、政治と金の問題でまた有権者から批判されないために、いわゆる「身体検査」をしたはずなのですが、やはり泥舟に乗るのはそういった体質があるのでしょう。

 言うまでもなく、多くの民話同様、『かちかちやま』も、元々は、残酷な話でした。勧善懲悪というテーマもありません。坂口安吾はそういう現代の読者を突き放すような昔話を「文学のふるさと」と呼んでいます。約束が違うのではないかという読後感は、その作品を生み出した時代や社会の無意識が現代の読者が持っているそれと異なっているからです。

 もしかりに現在そういう内容の作品を書いたとしても、シニシズムや悪意の発露となってしまうだけです。「ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないのだから」(坂口安吾『文学のふるさと』)。

 第一次安倍内閣は「お友達内閣」と揶揄されました。200791日にNHK総合テレビで放映された『週刊こどもニュース』でも、そう紹介されていました。一国の政権が小学生に「お友達内閣」と説明されている体たらくでしたが、昔話に由来する泥舟に譬えられているのですから、依然として「大人の仕事」からは程遠いようです。

 民話はその共同体の集団的無意識によって形成・変容されてきたものです。『かちかち山』の内容の変更はそういった時代・社会の無意識の現われと解せます。

 泥舟内閣の民話の結末がどうなっていくかは、その意味で、日本の有権者の集団的無意識であることは間違いないのです。

〈了〉

参考文献

松谷みよ子=瀬川康男、『かちかちやま』、ポプラ社、1967

岩崎京子=黒井健、『かちかちやま』、フレーベル館、1984

おざわとしお=赤羽末吉、『かちかちやま』、福音館書店、1988

坂口安吾、『坂口安吾全集14』、ちくま文庫、1990

深層心理研究会編、『本当は怖い!日本むかし話』、竹書房、2006