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日本国憲法とその新しさ

佐藤清文

Seibun Satow

2007年5月5日


無断転載禁
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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「憲法というのは、この国の『使い方規則』と思っている」。

森毅『憲法は外注がよい』

 日本国憲法が還暦を迎えました。人間だったら、日本では、赤いチャンチャンコを着て、みんなからお祝いをされるものですが、改憲を支持する人々がかつてないほど勢いづいています。

 メディアに、第九条を念頭に、理念と現実が乖離しているから改憲すべきだと主張している人たちが登場します。

 しかし、交戦権を憲法に入れようとしたところで、サンフランシスコ講和条約で日本は国際紛争の解決のために軍事力を行使しないとしているのですから、間の抜けた話です。憲法はあくまで国内法です。国際条約以上ではないのです。それは、NPTに加わっているのに、核兵器の保有が可能だと口にするのと同じくらいに愚かです。

 こういう意見を発する人たちの顔ぶれには、イラク戦争に肯定的な見解を述べていた人が多いことに気がつきます。

 この種の似非リアリズムほど危なっかしいものはありません。

 国際的名声と政治的野望を求めて、状況を熟慮せず、性急に軍隊の派遣を判断し、失敗してしまうからです。イラク戦争に突入したアメリカの指導部は、明らかに、知識と経験に乏しいくせに、専門的・批判的見解を無視しました。また、イスラエルによるレバノン戦争も同様です。

 憲法は統治者を縛るものです。そういう制約があるから、慎重に考え、知恵を絞れるというものです。部下に白紙委任状を持たせて、交渉に向かわせる上司はいないでしょう。これは理念以前の利害の問題としてわかることです。それがわからないと指導者だとしたら、したたかさとしなやかさを欠いた未熟者と言って過言ではありません。

 憲法第九条は日本を護ってきた歴史的な意義があります。そのおかげで、韓国と違い、ベトナム戦争に自衛隊を派遣せずにすみました。サンフランシスコ講和条約を無視して、似非リアリストの言う通りに改憲して、もしイラク戦争を迎えていたら、ぞっとします。犠牲者を出し、中東での評判を落とすだけでなく、失敗の原因までアメリカから押しつけられていたところです。ちなみに、イラクもサンフランシスコ講和条約を批准しています。

 今時、押しつけ憲法論を信じているほど無知な人はいないでしょう。第二五条の生存権は英米系の憲法観にはなく、ワイマール憲法からの影響です。これだけを見ても、その説に根拠が希薄であるのは明白です。

 改憲論者の中には新たな権利の明記を目的としている人たちもいますが、それらはこの画期的な権利を超えるものではありません。研究者の間で、日本国憲法は日米合作が主流の学説です。まだまだ研究途上ですから、新しい発見があるとしても、この前提が覆ることは先ずないと思われます。

 その制作過程にこそ、現行の日本国憲法の比類のない新しさがあります。それは国際条約の制作過程と類似しています。日本国憲法は、その制作過程において、異質で多様な人たちの議論や葛藤、妥協がありました。通常、憲法は国内法ですから、国内の人たちだけで論じられます。

 けれども、日本国憲法は外国人も参加しているのです。
GHQ、その女性職員、ワシントン、連合国11カ国の代表が参加した極東委員会、昭和天皇、政治家、官僚、民間人などが討論し合い、形成されています。これらの意見の多くは明治憲法制定時には無視されただけでなく、松本草案の段階でも黙殺されたのです。これほどの独自性を持った憲法はありません。

 いわゆる芦田修正によって、憲法第九条は、自衛のための軍備であるならば、実際に持つかどうかはともかく、保持が可能であると解釈できるようになりました。これはすでに極東委員会も気づいていました。そこで、2007429日に放映されたNHKの『日本国憲法誕生』でも言及されていましたが、ソ連代表が文民統制の条項を憲法に盛りこむことを提案し、憲法第六六条二項にそれが明記されたのです。

 自民党の予定している憲法のお粗末さがよく示している通り、ある方向からだけ見られたものはどうしても偏ってしまいます。改憲の支持者でも、まさかあの反動的な草案を支持してはいないでしょう。今、物事をよくしていくために、多様で異質な人たちの目に触れさせることが欠かせません。日本国憲法はその先駆けなのです。

 条文以前に、この新しさを超える新しさを提起できないのであれば、後退以外の何ものでもありませんから、変えるべきではありません。

 グローバル化する時代にあって、外国人の居住も多くなり、環境問題やネットは国境に縛られるものではありません。また、かつては無視もしくは軽視されてきた先住民の権利も世界的に認められるようになってきています。先住民の権利は国民の権利に縛られません。アジアには多種多様な先住民族がいます。一国ではなく、多国間の間で考えられていくべき課題が山積みです。

 こうした状況を考慮する限り、改憲を論じるよりも、むしろ、日本国憲法の制作過程を参考にして、アジア共同体の憲法を考える方がはるかに建設的です。日本国憲法の新しさの意義は依然として失われていないのです。

〈了〉

参考文献

佐藤清文、『軍備への不満─平和憲法と自衛隊』、2003

http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/peace.pdf

http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/peace.html