エントランスへはここをクリック   

捏造と窯変

佐藤清文
Seibun Satow

2007年1月22日


無断転載禁
本連載の著作者人格権及び著作権(財産権)は
すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。


「あまり健康のことなんか気にしないで、機嫌よく生きていくのがハッピーじゃないでしょうか」。

森毅『人なみの健康より、自然な姿』

 フジテレビ系の番組『発掘!あるある大事典U』において、納豆のダイエット効果を紹介した20071月7日放送分にデータ捏造などの問題が判明し、20日、制作した関西テレビが記者会見しました。放送直後から疑念を抱いた『週刊朝日』がこの問題を追求し、記事公表の最終確認を関西テレビに申し入れたのに、それには回答せず、ことに及んだのです。

 局の幹部は番組の制作に問題があったことは認めたものの、納豆のダイエット効果自体は否定しないという悪あがきを見せています。詳しい事情が判明するにつれ、「悪質」という表現がふさわしいと言わざるを得ません

 しかし、こうした捏造のニュースはテレビ番組だけではありません。学術論文が捏造され、食品の原材料の消費起源がごまかされて、タウンミーティングがしこみとやらせで誘導され、新教育基本法も参議院での委員会で与党と民主党が裏で手を組んで決議されました。

 いずれも先に結論が決められ、過程はそれを導き出す儀式と化しているのです。こうでなければならないという強迫観念に囚われ、数量的な成果だけを追い求め、早急に答えを知りたがる最近の風潮の現われでしょう。社会の流動性が増しているからこそ、決定論にすがりたくなるのかもしれません。ダイエットに効くと情報が流れると、その食品が小売店で売り切れるのも同様です。

 ところで、20世紀において、絵画の世界を変えた巨人の一人にジャクソン・ポロックがいます。彼はドリッピングを用いました。それは絵の具や塗料をスティックから床に敷いたキャンバスに滴らせる技法です。そのため、完成するまでどういう作品が出来上がるか見当もつかないと言っていました。どうなるかわからない変化が絵画の歴史を変えたのです。

 この美術界のジェームズ・ディーンは、東洋風の表現を用いれば、思いもかけない「窯変(ようへん)」を待っていたのです。

 橋本治が『窯変源氏物語』を書いていますが、本来は窯変は陶芸の用語で、その意味は窯の中で質や色などが変化することです。それぞれの陶磁器に特徴的な窯変の種類があります。備前焼であれば、胡麻(ごま)や桟切(さんぎり)、火襷(ひだすき)、牡丹餅(ぼたもち)、青備前(あおびぜん)などが窯変として知られています。

 もっとも、窯に入れる前の予想通りの出来上がりである場合もあれば、それを上回っていたり、思いもよらなかったりすることもあるのです。陶芸家の中には、意外な窯変を待つ人もいます。その予期不明の釉色・釉相自体を窯変と呼ぶこともあります。

 ポロックはこうした陶芸家と同じ姿勢を持っていたと言えます。彼の独創性は思いこみを乗り越えたところにあるのです。

 宮崎県知事選の結果が既成政党にとってそうであるように、既存のエスタブリッシュメントは窯変を忌み嫌います。

 とはいえ、今の日本社会における変革では、決めた結論に到達させるための捏造ではなく、窯変が必要でしょう。

 官僚や政治家、プロデューサーといった権力者が決定した結論に向けられた儀式に参加し、それに従属するだけでは社会が滞り、腐敗していきます。

 決められたレールを拒否し、思わぬ窯変にトライしてみるというのは、不安かもしれません。けれども、ジャクソン・ポロックが窯変の姿勢によって美術を根底から変えたように、社会を本当に改新するには、窯変を待ってみるのも不可欠なことなのです。

 決めた結論に辿り着くよりも、思いもよらなかった方向に向かい、発展していく方がはるかに実り豊かなものを手にすることも少なくないのです。

〈了〉