エントランスへはここをクリック    
世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

新潟県出雲埼町ちらっと訪問

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次   


◆出雲崎町ちらっと訪問

 私たちは、直江津から佐渡の小木港に向かうフェリーに乗る前、当初から柏崎刈羽原発広報センターに立ち寄ることにしていた。

 そこで、そのさらに前に、柏崎刈羽原発から日本海沿いに走る国道352号で北上したところにある歴史ある街出雲崎町を訪ねることにした。北陸自動車道を西山インターで出て北国街道沿いの街に向かったのだ。


出典:グーグルマップ

 出雲崎町は、江戸時代、徳川幕府の直轄地(天領)であり、佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港地で、北国街道の宿場町として栄えた街だった。廻船問屋街、旅館街が立ち並び、それに伴い遊廓も発展していたという。

 様々な業種が集まり近隣の農家の二男、三男は「天秤棒1本持って出雲崎へ行け」といわれるほど働き口に不自由ないところだったと言われている。


出典:出雲埼町パンフ

 特に有名なのは、その当時、小高い丘と日本海に挟まれたわずかな平地に約2万人もの人が暮らし人口密度が新潟一と言われたこの町の町並みである。多くの人が居住できるように、また、当時は間口の広さに税金を掛けられていたことから二間や三間半といった間口が狭く奥行きの長い「妻入り家屋」が軒を連ね、約4qにも及ぶ妻入りの街並を形成していたというのだ。この町並みは今も残され、「出雲崎町 妻入りの街並み」として観光名所となっている。


出典:出雲埼町パンフ

(参考:出雲崎町観光協会WEB)

 また、良寛和尚誕生の地でも有り、縁の名所も残されている。そのひとつが、明治時代から今も続いている和菓子店「良寛さまお菓子本舗 大黒屋」だ。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:大黒屋Web

 私(池田)には、どうしてもこの機会に大黒屋に立ち寄り、懐かしいお菓子を買い求めたいという強い思いがあった。なかでも有名な「月の兎」饅頭と良寛せんべい、そして白雪こうという干菓子である。午後2時直江津港発のフェリーに間に合うように、急いで出雲崎町を目指した。

 最終的に私たちは、出雲崎町の港からほど近い旧街並みに今も続く「大黒屋」の店先にたどり着いた。お盆のさなかではあったものの、お店は開いていて念願のお菓子を買い求めることが出来たのだ。店先で対応して下さったお店の方といろいろお話しすることも出来て大満足。

 なぜ、私が大黒屋にこだわったかと言えば、父が終戦直後から昭和50年に亡くなるまで開業医をしていたのだが、家事や医院の受付、事務などを手伝っていただいた何人かの女性たちがこの出雲崎の地から来ていたからだ。50年も前のことだが、私にとっては数年ともに暮らした人々の思い出につながる懐かしい地であり味なのだった。大黒屋さんのお菓子は当時、お土産としていつも美味しく頂いていたので今もなお、変わらぬ味が続いていることがとても嬉しかった。


◆出雲崎町 妻入りの街並み 出雲崎町Webサイト
https://www.town.izumozaki.niigata.jp/kanko/spot/tsumari.html

 良寛記念館から見下ろす出雲崎町の街並み。家と家とが重なり合うように軒を連ねています。通りに面して大棟が直角になっている「妻入り」という形式で、海岸線に沿い約4kmも続いており、これは日本一の長さです。江戸時代の出雲崎町は、越後で一番人口密度が高く、多くの人が居住できるように間口(まぐち)が狭く、奥行きの長い妻入りの形式がとられていました。また、当時は間口によって税金が掛けられていたとのことで、二間や三間半の家が多く並んでいます。この、全国でもめずらしい「妻入りの街並」の散策に訪れる人も多く、街並み景観保存事業も進んでいます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく