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ベトナム戦争と枯れ葉剤

中村悟郎

掲載月日:2008年7月26日

無断転載禁



 ※本稿は、2008年7月18日、横浜市にある武蔵工業大学
   環境情報学部、公共政策論(青山貞一担当)における特別
   講義の要旨である。

ベトナム戦争、そして枯葉作戦とは何だったのか

1945年、日本軍を武装解除したホーチミンらは、ハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言した。しかし19世紀以降、ベトナム・インドシナ地域を植民地支配していたフランスが再び介入、1954年にベトミン軍に敗れて撤退すると、交代に介入を始めたのがアメリカであった。南北の分断を固定化し、南にゴジンジェム政権を擁立して軍事顧問団を送り込んだ。中国に続いてベトナムも社会主義国となればアジア各国が次々と共産化する―というドミノ理論をかざし、60年代には公然と米軍が進駐、北ベトナムへの北爆を敢行した。爆弾を満載したB−52戦略爆撃機は沖縄から連日発進してハノイやハイフォンなどの都市爆撃を行なった。南ベトナムでは解放戦線武装組織がジャングルや市民の中に隠れて抵抗を続け、米軍へのゲリラ攻撃を展開した。

枯葉作戦はケネディ大統領の命令で始まり、1961年から71年まで行なわれた。解放戦線の拠点である熱帯雨林と食糧供給源である田畑を砂漠化させてしまえば彼らを一掃できる、という考え方であった。散布総量は約9万キロg。枯葉剤に不純物として混入していた2378四塩化ダイオキシンの総量は168s(米空軍)。コロンビア大学のステルマンらは366sあるいは500s余としている。ダイオキシンは、劇毒性の発ガン物質であるとともに生殖毒性があり、次世代に障害を背負わせる。ベトナム戦争は1975年に米軍側の敗退で終焉したが、戦争と枯葉剤の後遺症は戦後のベトナムを苦しめ続けた。癒合体双生児のべトとドクの兄弟はよく知られているが、その背後には多くの先天異常を背負う子どもたちがおり、流・死産で失われた生命が存在した。ベトは26年間生きて先日他界した。

米兵の体にあらわれた疾病

全米科学アカデミーによる20年あまりの疫学調査は枯葉作戦の影響を次のように示す。

@枯葉剤被曝との関連が明白な疾病: 軟組織肉腫、非ホジキンりんぱ腫、ホジキン病、塩素にきび、晩発性皮膚ポルフィリン症(遺伝的影響を受ける型の)

A枯葉剤被曝との関連を否定できないもの: 呼吸器がん(肺/気管支、喉頭、気管)、腺がん、多発性骨髄腫、急性亜急性末梢神経麻痺、晩発性皮膚ポルフィリン症、U型糖尿病、帰還兵の子どもの(先天性)脊椎二分症、帰還兵の子どもの急性骨髄性白血病(Veterans and Agent Orange, 1998)

ここで注目されるのは発がん性のみならず、子どもの脊椎二分症など、男性が被曝しても次世代の子どもに障害が出ることが確認された点である。帰還兵のこれらの疾病は、すべてアメリカ政府による補償対象となった。ベトナム戦争に従軍した米兵は259万人である。帰国後に枯葉剤被曝症の検診を受けた兵は297194人。そのうち99226人が枯葉剤との関連が見られるとして登録され、7520人が傷痍軍人手当ての支給を受けている。化学企業からの和解金の配分は30万件余に達した。

ベトナムでの調査

 べトナムでは480万人が被曝し100万人が何らかの疾病を背負っているとされる。作戦当時の流・死産は激しく、特に胎児への影響は重大であった。現在、120万人の障害児のうち15万人が枯葉剤の影響によると見られている。先天障害には四肢や臓器の欠損や癒合など、定型化しない影響が見られる。

ベトナムは04年に米連邦地裁に対して枯葉剤被害賠償請求の訴えを起こした。しかし05年3月に連邦地裁はそれを却下した。アメリカ兵には枯葉剤と疾病の因果関係を認めていながら「ベトナム人には証明がない」というのが却下の理由であった。アメリカはベトナムへの補償は行なおうとしていない。

対日枯葉作戦

 ベトナム戦争より20年近く前の第二次大戦末期に、アメリカは日本に対する枯葉作戦計画を練っていた。メリーランド州フォートデトリックにある米陸軍生物化学兵器研究所では、有機塩素系、有機リン系の化合物の殺菌、殺虫効果や、植物への枯死効果のあることを見つけていた。当時のアメリカは同時に原子爆弾研究にも全力を挙げていた。1945年春には原爆投下の準備が完了し、5月には対日枯葉作戦計画がたてられた。米スタンフォード大学のB・J・バーンスタイン教授は「東京や横浜、名古屋、大阪、神戸周辺の穀倉地帯に、B29からチオシアン酸アンモニウムを散布し、飢餓を作り出そうという作戦だった。戦争が11月まで続くようなら枯葉作戦は必ず行なわれたはずだ」と証言した。24‐Dなどの枯葉剤もすでに開発されていた。悲劇は日本で起きるはずだったのだ。ベトナムの事態を他人事と捉えるわけにはいかない。米軍は、まずは原爆投下、それでもだめなら枯葉作戦と決定した。そして広島、長崎へと原爆が落とされた。日本は直ちに降伏。対日枯葉作戦はそのままお蔵入りとなった。

その恐るべき化学作戦を、ベトナムで息を吹き返させたのがケネディ大統領だったのである。

戦争は最大の環境破壊

 米軍によるイラク攻撃から5年がたった。大量破壊兵器も無くテロリストとの関係も無かったイラク。そこへの侵略はいかなる正当性もなかった。それどころかイラクで大量に(2000d)使った劣化ウラン弾(DU)は、現地住民を今後数百年にわたって放射線に曝すものとみなされている。劣化ウラン(U-238)の半減期は45億年。白血病をはじめ悪性腫瘍や子供の先天障害を誘発している。

 戦争の世界史を振り返ってみれば、大量破壊兵器の頂点にある核兵器を、実際に使ったのはアメリカだけである。しかも市民が密集生活する広島・長崎といった都市に投下するという大虐殺だった。史上最大量の化学兵器を使ったのは誰か。これもアメリカである。ベトナムでの枯葉作戦は、空前の化学戦争であった。しかも薬剤の中に不純物としてのダイオキシンが高濃度に混入していることを知った上で10年間も散布したことは、残酷さにおいて類を見ない。そして、ボツリヌス菌や炭疽菌など最大量の細菌兵器を備蓄しているのもアメリカである。

兵器の役割は、環境とモノの破壊、そして人の殺傷にある。それ以外には使い道が無い。地球環境への影響はどうか。岩波ブックレットNo.675『戦争って、環境問題と関係ないと思っていた』によると「米軍は戦費1億ドルあたり3万klの石油を消費しており、それは軽油換算で8万1千トンのCO2を排出するものとなる。……アメリカの軍事費は世界全体で4553億ドル(2004)(だから約37千万トンが1年に排出された計算となる)。さらに世界各国の軍事費に代入してみると7億9千万トンの排出となる。これは世界のCO2排出量の3.4%を占め、6位のドイツを上回る。しかも爆弾などの爆発によるCO2排出量は計算に入れていないから、それを含めれば突出した排出源となる」とされている。また、戦車は1Lの燃料を200mで消費する。戦闘機は1分間で908Lの燃料を使う。 (同上)排気ガス浄化もしなければ、NOx・SOxも除去されない。ヒトを殺すための装置なのだからヒトへの影響に配慮はしない。

ベトナム戦争中にアメリカは「アジアでの戦争にアメリカ人が犠牲になる必要はない。アジア人同士で戦わせることが大事だ」と公言した。アメリカ側が、これからは日本兵の犠牲にも期待したい、そのためには海外参戦を妨げている憲法九条の改変は必須の条件、と考えたとしても不思議はない

化学兵器や核兵器が使われることなく、殺戮し合うこともない社会を速やかに作り上げる賢さが、今日求められている。  
(拙著「新版・母は枯葉剤を浴びた」2005年・岩波現代文庫参照)