飯田市よりも南の下伊那郡泰阜(やすおか)村は人口2100名、高齢化率4割、森林面積が9割の寒村です。貧しかったが故に、往時の長野県が強要した満蒙開拓に1200名を越す村民が参加し、その半数は故郷へと戻れなかった負の過去を有します。
村長を務める松島貞治氏は、無機的な病院や施設で最期を迎えるのでなく、愛着のある地域の中で天寿を全う出来てこそ我が村、との持論に基づき、村職員であった15年前から村独自の訪問介護と配食事業を企画実行してきました。
助役を置かない条例を始め、様々な改革を進めて捻出した年間1億円の予算を全額、在宅福祉の充実に投じています。年間予算20億円に過ぎぬ村の努力は、霞が関に置き換えると「有能」な課長を3万5000人、一夜にして消滅させるのと同じ選択と集中です。
斯(か)くなる自治体の住民であってこそ納税する悦びを実感し得る、と僕は昨秋、村長宅に部屋を借り、村の行事にも参加し、週に2、3回は高速バスで北の外れの県庁所在地へ登庁を開始しました。これに対して、建材業者だった長野市長は長野県を訴えると述べ、それに先立ち、自民党長野県連の幹部が泰阜村選管を提訴しました。
元日弁連会長の土屋公献、憲法学者の杉原泰雄、社会学者の上野千鶴子の3氏で構成される委員会は、その後、5月13日に退去する迄マンションを借りていた長野市にも、泰阜村にも生活の実態は有るとの住所複数説を採り、憲法が保障する居住の自由の下、泰阜村が住所地と認定しました。
他方、下級審に当たる長野地裁は、選管が選挙人登録した3月1日迄、最も多く寝泊まりしたのは長野市のマンションで、故に選挙権は長野市、との「画期的」判決を言い渡したのです。
この判決に従えば、品川区の仮首相公邸に寝泊まりする小泉純一郎氏は、横須賀市に選挙権を有せぬ事態に陥ります。夫の選挙区に住民票を置き、普段は東京で暮らす国会議員の妻も、です。関西の企業経営者で、東京でも財界活動に忙しい方々の選挙権も、会社が借り受けた森ビル系マンションが位置する港区となります。
映画「トゥルーマン・ショー」やジョージ・オーウェルの「1984」同様、それぞれの住民の生活実態を調査し、これに基づき、お前はウチの住民だからヨソに登録してある住民票と選挙権を強制的に移し替えるぞ、と権力を行使しなさい。判決は、こうした義務を長野市に課したとも言えます。しかも、国家権力ではなく基礎自治体に斯くなる「権利」を与えるとは、地方自治の時代に相応(ふさわ)しき戦前にも勝る統制管理社会の到来です。
単身赴任者や親元離れた学生も国会議員も、無論、こうした対象です。総務省や自民党は、この恐ろしき「画期的」判決の意味を、どこまで理解しているでありましょう?【田中康夫】 |
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