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16才の静かな終わり  森沢 典子

掲載日:2004.5.26
                            
みなさん、こんにちは。

23日の朝のことです。

ナブルス通信 http://www.onweb.to/palestine/を編集・管理している京都の友人(通称ビーさん)が、「こんなニュースが入っている・・・」と一通の短い英語の記事を届けてくれました。

それは22日付けの記事で、2000年秋にイスラエル軍によって銃撃を受け、寝たきりになっていたパレスチナ・ラファ難民キャンプのムハンマド・アル・ハマス君(16歳)がサウジアラビアの病院で亡くなったというものでした。

(ムハンマド・アル・ハマス君は、前回メールでお知らせしたムハンマドとは 別の人物です。 「ムハンマド」という名前は、とっても多いのです)

2000年10月1日(第二次インティファーダが始まってすぐです)学校帰りに、サラハディーン・ゲート(※1)のすぐ近くを通りかかった際、イスラエル兵から銃で頭を撃たれ重態になりました。この時当たった弾は、「ゴム弾」と呼ばれるものでした。

ガザでは処置ができないので、サウジアラビアの病院で手術を受けますがそれ以来動くことも話すこともできずにいました。
四肢麻痺になってしまったのです。

このムハンマド君の家を、私は昨年春に訪ねました。その時、すでに2年半年も寝たきりの生活をしているため、足や腕は枝のようにやせ細り、あちこちに酷い床ずれが出来出血していました。

(訪ねたときのムハンマドくんの写真・2003年4月)
http://www.onweb.to/palestine/siryo/otoros/moh-photo.html


頭部を見ると、ゴム弾が当たった跡に頭蓋骨に直径1・5センチほどの丸い窪みが深く残っていました。

「ゴム弾」と呼んでいるのはイスラエル軍側ですが、実際には鉛の弾を黒いゴムでコートしているだけなので、殺傷能力があります。

ムハンマドくんの頭のへこみは、その威力を語っていました。その衝撃が、彼に重い重い後遺症を残したのです。

そんな彼をお父さんのサミーさんが、献身的にお世話をしていました。

「話せないし、動けないけれど、聞くことは出来るんだ」と汗を拭いたり、手作りの流動食を食べさせたりしていました。

意識はしっかりしていて、お父さんが差し出したコップを目で追いのどが渇いていたことがこちらにも伝わりました。

壁に元気だった頃の彼の写真がかかっていました。

意識がある・・・
人生で最も動き回りたい、感受性も強い成長期の彼がこうした状況の中でどんな思いで過ごしているかを考えると、本当に辛い気持ちになりました。

そしてその彼を見つめて過ごすご家族の心情を思い、重たい気持ちになりました。

何もかも、たった一つの「ゴム弾」で。

治療を続けるために大変なお金がかかり、それが家族にとってさらに別の苦しみとなっているということでした。

報告になりますが、日本で講演会などの折にいろんな方たちからお預かりした支援金のうち500ドルをムハンマド君のお父さんにお渡ししました。その時はお金を持ち歩いていなかったので、後日知人を通して届けていただきました。

その時、お父さんより次のようなレターが届きました。

To.Ms.Noriko Morisawa and Her Friends.
I,Sami Sobhi El Hamas,the father of Mohammed(14 years old)
has received five hundred US Doller(US$500.00)to cover medical
expenses for my son on the date of 23 May2003
Yours sincerely,Samy
(文中の名前と、サインのスペルが違うのですが)


知人がお金を届けてた時には、イスラエル軍のラファへの攻撃によって、ムハンマドくんが寝ていた部屋も破壊されてしまっていたそうです。約一年前になります。(下記参照)

****お金を届けてくれた友人からのメール(2003.5.23)******


先ほどラファから帰ってきました。目的はラファにいる友人に会うためでもありましたが、森沢典子さんが支援者から集めた寄付金の一部を、3年前にゴム弾で頭部を撃たれそれ以来植物人間状態になっているムハンマド君の家族に森沢さんに代わって届ける目的もありました。

ムハンマド君は13歳から16歳まで話すことも体を自ら動かすこともできず寝たきりの状態です。彼の家はラファ難民キャンプのイブナ地区というエジプト国境に近い危険な場所にあります。

数週間前にラファへの侵攻があった時、彼の家の周辺も壊されました。彼の隣の家がハマスの幹部の家で爆発物で破壊された時、隣接のムハンマド君が寝ていた部屋の天井と壁も崩れおちました。彼のための特殊なエアマットのベッドも壊れてしまいました。

家族は隣の家の取り壊しことを知ってムハンマド君を部屋から避難させました。それは隣の家が爆破されるたった数分前のことでした。もし部屋の中にいたら瓦礫の下で亡くなってしまっていたことでしょう。

今日訪ねてみると、部屋の中は崩れ落ちた壁や天井の一部の瓦礫で覆われており、私や森沢さんが訪問した時の部屋の面影はすっかりなくなっていました。ムハンマド君は家族のまだ残っている2部屋のうちの一つで寝ています。11人家族がその2部屋で寝ているのです。今、他からの寄付金などで、ムハンマド君を介護できる部屋を現在の家のそばに建築中のようですが、中途半端のような形でいつ完成するかわからないようです。

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ムハンマド君のように、攻撃によって怪我を負い、後から亡くなっていく子どもたちや青年たちは後を絶ちませんが、ニュースとして注目されることなく静かに通り過ぎて行ってしまいます。

ムハンマドの家に案内をしてくれた方から、こうしたケースは、ガザでも西岸でも彼だけだ・・・と説明を受けたのですが、私はその後昨年4月だけでも同じような状況の10代の青年に二人会いました。

ラファ難民キャンプのシャブラ・ブロックで、17歳のヒンティという女の子に会いました。
彼女は1990年(当時7歳)に、やはり学校帰り頭を撃たれそれ以来寝たきりになっていて、時々ヒステリーを起こす以外は何も話しません。

またナブルスのアル・ナジャハ病院で、2003年1月にイスラエル兵に頭を撃たれ、寝たきりになっている青年マハムード(17歳)に会いました。16歳の弟アハマッドが、毎日病院に通い、話しかけたりトイレの始末をしたり、音楽を聞かせてあげたり、お兄さんの介護をしていました。

お医者さんは、これ以上の回復の見込みはないとはっきり私に言いましたが、アハマッドは、お兄さんがすぐによくなると本気で信じていて、ニコニコお世話をし、「もうすぐ治るよ」と何度も私に笑いかけました。

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ムハンマド君のニュースを知らせてくれたビーさんも、ご自身のブログに下記のようなコメントを書きました。このニュース以外も、彼女のブログは必見です。

22日付のIMEMCニュースで、2人のガザの若者が死んだことが報告されていた。ひとりはこの11日のガザ、ゼイトゥーン地区への攻撃の際に重体に陥っていた18歳のフセイン・アル・ラダさん(よくわからないが、ラファ出身のようだ)。もうひとりは、2000年の秋にイスラエル軍によって撃たれて、ずっと寝たきりになっていたラファのムハンマド・アル・ハマスさん、16歳。こちらのムハンマドさんは、森沢典子さんの報告などで聞いたことがある青年ではないかと思う。
(続きを読む)
http://nekokabu.blogtribe.org/entry-217d13f9bd6462621c7630456e15511c.html

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※1サラハディーン・ゲート
パレスチナのラファ地区と、エジプトの国境。イスラエルが軍を構えコントロールしていますので、パレスチナ人は自由に行き来が出来ない上近づくこともできません。
イスラエルは、この地区のコントロールを確実なものとするために、家の破壊を組織的に行っていると思われます。