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柏村議員の「異常な発言」を批判する
岡本 厚(雑誌『世界』編集長)

 掲載日:2004.4.30

  解放された人質をバッシングしたり、渡航費用を請求するなど、日本政府・与党、あるいは一部の報道や世論の「異常な」対応が、驚きをもって海外で受け止められ始めている中で、さらに驚くべき「異常な」発言が国会でなされた。

 4月26日、参院決算委員会での柏村武昭議員(広島選出)のこういう発言だ。「人質の中には自衛隊の派遣に公然と反対していた人もいるらしい。かりにそうなら、こんな反政府、反日的分子のために血税を用いるのは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」。

 この人は、民主主義とか議会というものの基本的な意味を、まったく理解しないで国会に席を占めているらしい。

 第一に、国民が、現在の政府の施策に反対して一体何が悪いというのか。イラク派兵の時点で、世論の半分以上は派遣に反対し、民主党をはじめ野党すべても反対していた。国民の半分が「反政府」だと、この議員は言うのだろうか?もちろん、数が問題なのではない。主権者である日本国民は、日本政府のいかなる施策に対しても、批判し、反対する権利がある。その意思を多くの人々に表明し、伝え、広げる権利がある。それが、たとえ一人であっても、である。

 現在は少数派であっても、やがて世論が変わる中で多数派になる可能性がある。その中で、政策は転換される。これが議会制民主主義の原理である。だからこそ民主主義国では、言論・表現の自由が重要であり、少数派を尊重することが求められているのである。
 自民党(や公明党)のやる施策は、未来永劫誤らないとでも、この議員は考えているのだろうか。

 政府の施策に反対していても、日本社会に暮らす国民、市民は、それこそ“血税”を支払い、閣僚が支払ってもいない年金も負担し、日々勤労の義務を果している。政府の政策を批判し、反対することによって、反対派は公共に寄与しているのである。政府の政策に反対するものは公的なものによって守られないというのは、民主主義の国でなく、「独裁者」の国のすることである。

 第二に、「反日的」という言葉である。この議員は、「反政府」と「反日的分子」を同義で使っており、そうすると「反政府」であることは即ち「日本に反する」ということであるらしい。ではここでいう「日本」とは何を指すのだろうか?自民党(+公明党)政権が、即ち「日本」だとでもいうのであろうか?

 この言葉には、意見の違うものを異端として排除する全体主義の臭いが濃厚にする。日本の戦前でいえば、「非国民」という言葉であり、米国の50年代を席巻したマッカーシズムで使われた「非米」という言葉を想起させる。

 特徴的なのは、この場合、「日本」とか「米国」といわれる中身がまったく曖昧なことだ。日本であれ日本人であれ、それを定義、規定する法はない(「日本国民」はある)。だからその言葉を使うものの恣意によって、何でも盛り込むことができる。逆にいえば、使うものの恣意によって、いくらでも人々を恫喝できるのである。お前は「反日」だ、あるいはお前は「非米」だ、と。

 言われた側は有効に反論できない。なぜならこの言葉には実態がないからである。だから、こうした言葉を使うこと自体を、私たちは徹底的に批判しなければならない。

 小泉首相の「ワン・フレーズ」、意味不明、ズラシ、非論理の答弁を罷り通らせているうちに、この国にはいよいよこうした全体主義の芽が吹き出した。「自己責任」を振りかざして「人質被害者」を襲ったのは、民衆の中にあるファッショ的な雰囲気であり、それが「反日」発言の土壌である。

 4月28日の朝日新聞の社説は正しいし、社説できちんと批判したことを評価する。
 こうした批判を、ジャーナリズムはさらに強めなければならない。見過ごして、この非論理と全体主義が蔓延すれば、論理が死に、民主主義が死に、自由が死ぬ。遠からず私たちは「茶色の朝」を迎え、後悔の臍を噛むことになるだろう。