今年の花粉はまれに見る大量発生、新参花粉症患者が町に溢れている。花粉ばかりでなく、やはり大気中(特に大都市部)に漂う有害な化学物質にも改めて目を向けてほしいと思うこのごろである。
さて、数日前、私の手元に、環境ホルモン学会のニューズレター(EndocrineDisrupter
News Letter March 25, Vo.7 No.4)が届いた。その中の3頁目に、「研究最前線」という1頁のコラム欄があり、本号では、化学品安全管理研究所の大島輝夫氏が「正確な情報こそ基本−安心を求めて−」と題して昨今の「環境懐疑主義的論調」についてコメントしている。その中から渡辺正+林俊郎共著の「ダイオキシン」(日本評論社)について触れている部分を紹介する。
−−−以下引用
正確な情報こそ基本−安心を求めて−
化学品安全研究所 大島輝夫氏のコラムより
リスク評価には必然的に不確実性が伴うが、これには2種類あり分布または不均一性に基づく不確実性と知識が不十分なためモデルやパラメータの選択などに基づく本質的な不確実性とがある。前者をvariability、変動性とよんで後者と区別する。
本質的な不確実性のために同じデータを用いてリスク評価を行っても人により、結果が非常に異なることがある。従っていろいろなリスク評価の結果が報告されるのは、前提条件が明らかにされている限り歓迎すべきことであり、また、その結果にどう対応するかは色々な条件、場合により文化、人生観により支配される。しかし事実を歪曲したり、他人の文章の中でその結論を無視して自分に都合のよい部分のみ引用したりするのは、リスクコミュニケーション以前の問題で、これはモラルの問題であり、リスクコミュニケーションの目標である相互の信頼関係とは程遠いものである。
また、安全と安心とよく言われるが安全はリスクアセスメント、安心はリスクコミュニケーションの問題で国民に安心を与えることは簡単ではなく、日頃のの努力が必要である。
ここに環境ホルモンとリスクコミュニケーションに関連したいくつかの問題を取り上げてみよう。
1 「奪われし未来」は探偵小説か。(略)
2 「環境ホルモン」西川洋三著 日本評論社 (略)
3 「ダイオキシン」渡辺正+林俊郎 日本評論社
これは「環境ホルモン」と同じシリーズであるが、この本には驚いた。原稿枚数の関係で一例のみ記す。WHOや厚生労働省などのTDIについて(111頁)「ラットの話をヒトに当てはめるのは正しいのか?」として和田攻先生(学士会会報2001・T 9頁)の文章から2行を引用しているが、和田先生のこの記事の結論は「現在では最も大きい発生源とされる焼却炉からの排出を行政的に減少させること、以下略」であって著者はこれを無視し「焼却炉を問題にする理由は何一つないことがわかるだろう。87頁」としている。科学者は自分たちの都合のよいところだけを数行切抜きして、もっとも重要なところに使ってよいのだろうか。
これは科学者の倫理と社会的責任の問題と思う。またこの本はダイオキシンの健康影響のみを取り上げ環境影響に触れていないことも大きな問題である。
4 個人攻撃はやめよう (略)
5 SPEED98のリストについて「海外の国で同様のリストをそのころ作成した例
があるか」(略)
6 海外で環境ホルモンの名称が使われているか(略)
−−−−−−−−−−部分引用終わり
頷く向きも多いことと思う。この種の本はかなり売上を伸ばしているという。また、話題性もあるのか、各地で講演会も花盛りとのこと。読む側、聞く側が見識をしっかりと持つことが問われている。
|