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『官の詭弁学−誰が規制を変えたくないのか』
著者メッセージ 2004.8.12
福井 秀夫
政策研究大学院大学教授


掲載日:2004.8.27

 米国留学から帰国してすぐの2001年夏、旧知の日本を代表する知識人たる何名かの委員から誘われ、総合規制改革会議に参加しました。初年度は各省庁とのやり取りが非公開で、規制の根拠を聞かれて返答に窮給すると、省庁が「所詮見解の相違だ」、「無理なものは無理」などと開き直る場面が続出しましたが、翌年度より多くの議事録が公開されるようになり、実質的な議論が行いやすくなりました。この過程で思いつきや惰性で維持されてきた根拠のない規制の数々が明らかになったのです。

 私自身、旧建設省に十数年勤務し、霞ヶ関の論理と心理のことはわかってきたつもりでしたが、それでも議事では、吹き出したり、耳を疑ったりせざるをえない詭弁と強弁が、公開の下ですら頻発することに驚きました。例えば、「保育園に調理室がないと園児がきちんとした大人になれない」、「理容師と美容師が同じスペースでヘアカットすると顧客に危険が及ぶ」、「外国人の永住許可に当たって必要な専門の学識は、法務省入管局の職員だけで専門家の見解も聞かずに、本人の申告のみに基づいて判定する(本人がこれは高度の学術論文だといえばそのまま認める!)が、それは『上に立つ者』の『高度の政治的裁量』である」等々です。しかもこれらの理由の大半は、これまで所管部局以外の誰に対しても明らかにされてこなかったというのですから、二重の意味で愕然としました。

 やはり、政策の存在理由は、普通の市民が普通の常識で理解できるようなものでなければならないはずだし、少なくとも、それを論じる公的会議は一種の公共財であって、官僚や関係者だけが独占することは民主主義国家では許されないはずです。初期の議事録を見て、私が未知の分野できわめて素朴な疑問を投げかけている珍妙な応酬に驚かれたフォーサイト編集部より依頼を受け、公開議事を素材に、日本に鳴り響く「官尊民卑」、「権力偏重」の執拗低音たる思考様式を分析する連載を同誌で行ったのが、本書の原型になりました。実際に議論のポイントが公になることで世論が動き、多くの改革が成就しました。

 私としては本書を、元官僚というよりは、一市民の立場で、特に、仮に福沢諭吉なら、丸山真男ならどう評価しただろうかと自問自答しつつ、執筆しました。むろん元官僚である分経験上少しは官の詭弁の論理がわかりやすかったかもしれません。読者が、豊かで公正な社会を築くための政策の改善に関心を持っていただければうれしく思います。