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圏央道事業認定・収用裁決取消訴訟
第一審判決及び圏央道代執行手続き
執行停止事件最高裁決定−東京地裁
2004年4月22日判決及び最高裁2004年3月16日決定
福井 秀夫
政策研究大学院大学教授

掲載日:2004.8.27


T.事案の概要

 圏央道建設のため、起業者である国・日本道路公団が土地収用法による建設大臣の事業認定を受けた。任意買収に応じなかった権利者について、起業者の申立てにより東京都収用委員会が収用裁決(明渡裁決及び権利取得裁決)を行いこれらの事業認定及び収用裁決に対して提起された取消訴訟の判決が、東京地判2004年4月22日判時1856号32頁(以下「本件判決」という。またこのうち事業認定取消しに係る部分を「本件事業認定取消判決」、収用裁決取消しに係る部分を「本件収用裁決取消判決」という。)である。

 また、本件判決に係る事件を本案として、東京都収用委員会及び行政代執行庁である東京都知事に対して代執行手続き等の執行停止の申立てがなされ、一審の東京地決2003年10月3日判例時報1835号34頁(以下「一審決定」という)は執行停止を認容した。これに対して国・日本道路公団は抗告し、抗告審である東京高決2003年12月25日判例時報1842号19頁(以下「原審決定」という)では、代執行手続きの停止を命じた一審決定を取り消し、た。

これに対して権利者らは抗告したが、最高裁第三小法廷決定2004年3月16日(判例集未搭載。以下「本件決定」という。)は、原審決定の結論を維持した。

 本稿では、本件判決、本件決定と本件決定に関わる原審決定について論点を抽出し、検討を加えることとする。

U.本件判決

 「起業地内の不動産について権利を有していない者については、事業認定によりその権利若しくは法律上保護された利益が侵害され又は必然的に侵害されると解すべき根拠は認められない。」

 「当該事業の実施によって瑕疵を帯びた営造物が設置されるものと認められるにもかかわらず、そのような事業計画につき事業認定をすることは、本来設置すべきではない瑕疵ある営造物の設置を許容することにほかならないのであり、事業認定庁に与えられた裁量の範囲を考慮するまでもなく違法性を生じさせる」

 「法二〇条三号の判断に当たり事業認定庁に認められる裁量とは、事業認定庁の有する専門的技術的知識に由来するものではなく、得られる価値と失われる価値との比較衡量をするに当たり、性質上そのままでの比較衡量をするに当たり、性質上そのままでの比較対象が困難な複数の価値について、事業認定庁における政策的判断としてそのいずれを優先させるかという意味においての裁量であり、事業認定庁の政策判断能力に由来する」

 「代替案の検討を行わなくても当該事業計画の合理性が優に認められるといえるだけの事情があればともかく、そうした事情が存在しないにもかかわらず、代替案の検討を何ら行わずに事業認定することは、不十分な審査態度といわざるを得ず、本来考慮すべき要素を不当に軽視することによって、その結果が判断を左右している可能性があるから、事業認定庁に与えられた裁量を逸脱する疑いを生じさせる」

 「明渡裁決の義務の履行としていったん占有を解除したとしても、明渡裁決が取り消された場合には対象となった土地を正当に占有する権利を回復すると解されるのであるから、(法一〇一条二参照)、占有がいったん解除されたとしてもなお明渡裁決の取消しを求める独自の訴えの利益は失われていない」

 「事業認定処分における違法性の主張は、通常の行政処分を争う場合の違法事由の主張に該当するにすぎないものであって、事実認定の適法性について既に裁判所の判断が確定し、既判力によって当該違法性の主張が遮断される場合を除き、当然に許される」
 「先行処分である事業認定処分に対して争訟の機会が設けられていることは、これによって不利益を受ける者のために特に認められた保護手段というべきであって、これがあるがために、逆に、その段階で争わなければ、後行処分における争いが排除されるという趣旨ではない」

 「現時点で事業を中止すれば無益な投資の相当部分は避けられることと、当事者はいずれもこの点について何ら主張をしていないこと、また、事業認定及び収用裁決を取り消す旨の判決の効力が生じるのは、当該判決が確定した時点であるところ、本件訴訟のこれまでの経過に照らせば、本件取消判決に対して被告らが控訴することなく第一審限りで確定させることはおよそ想定し難いというべきであるから、結局のところ、第一審裁判所である当裁判所において、行政事件訴訟法三一条の事情判決の可否を検討する必要性はない」

「法の支配を有効に機能させるには、都市計画法等の個別実体法において事業計画の適否について早期の司法判断を可能にする争訟手段を新設することが是非とも必要である。これが実現するならば、事業推捗前に事業計画の適否が明らかとなっており、それを前提とした事業の進行を図ることにより、事情判決という例外的な制度の発動を検討する必要性もほとんど消滅する」

V.本件決定

 「本件事実関係の下では、抗告人らが本件明渡裁決の執行によって行政事件訴訟25条2項にいう回復の困難な損害を被るものとは認められないとした原審の判断は、正当として是認することができる。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、抗告人らの本件申し立てを却下すべきものとした原審の判断は、是認することができる。」

W.原審決定

 「居住の自由は、国土利用や社会的基盤の上に成り立つものにすぎず、この利益は経済的、社会的、文化的に同一な地域社会ないし地縁社会に住む限り直ちに失われるというものではなく、現在の土地自体に居住し続けなければ失われるというものではない。」
 「相手方らは、・・・市内ないしその付近において現住居と経済的、社会的、文化的に同一な地域社会ないし地縁社会の範囲内に移転することは十分可能である・・・から、転居により直ちに故郷や居住の利益を失うというものではないし、その精神的、肉体的負担も土地建物に対する金銭賠償により十分に填補することができる」

X.本件判決・本件決定の論点の検討

 本件判決の事業認定関連部分では、原告適格、国家賠償法上の可視がある営造物の土地収用法事業認定に対する影響、事業認定の裁量の性質、代替案の検討など、裁決取消訴訟に係る部分では、違法性の承継、事情判決の可否、立法論としての計画争訟など、これまでの学説、判例を踏み出す新しい考え方や論点が多く提示されており、本件判決は今後の収用関連訴訟の動向に大きな影響を及ぼすと予想される。

 また、本件決定については、高裁決定を基本的に維持しているが、執行停止を認めた地裁決定と高裁決定との間には、「回復困難な損害」、「本案について理由がないと見える」などの執行停止要件に関して大きな見解の隔たりがある。決定でも論点となっている違法性の承継についても見解が分かれている。

本件決定が、「回復困難な損害」に関する争点のみを理由として、高裁決定の結論を是認していることから、それ以外の論点については、最高裁が地裁決定、高裁決定のいずれの見解を是とするかについての最高裁の判断は示され出しておらず、高裁決定と地裁決定のそれぞれの論点の考え方についてを対比して整理をしておくことは、今般改正の運びとなった行政事件訴訟法による新しい執行停止の要件との関わりにおいてもきわめて重要な意義を有すると思われる。

1. 本件事業認定取消判決

(1)起業地外の地権者の原告適格について

本件判決は、事業認定と収用裁決の対象地である起業地の中の権利者に原告適格を認める一方、それ以外の権利者の原告適格は一切認めなかったが、これはほぼ従来の判例で確定した見解である。本件判決も述べるように、本案審査における土地収用法20条3号の要件では、起業地外の文化、環境等の諸価値を含めてむ(土地の適正かつ合理的な利用に寄与するか否かの)という判断を求められており、その限りにおいて起業地外の権利者の利益が考慮されることは言いうまでもないが、本案の審査要件で考慮されるからといって、それが直ちに土地収用法が保護する利益である、あるいは、土地収用法による事業認定によって直接に侵害される利益が発生するということを意味するになるわけではない。重要なことは、土地収用法はしょせん公共用地の強制取得手続きを定めた法であって、それ自体が事業の施工権限を付与するわけではないことである。土地収用法の手続きを争いうるのも、その手続きが取られた場合に限られ、また、任意買収によって事業が施工される場合には、およそ土地収用手続きを捉えて争う余地はなくなるのであるから、この点から見ても、土地収用手続きについて起業地外のの人の権利者の原告適格を認めることには無理があり、端的に事業の遂行自体を攻撃する方法こそが、民事、行政を問わず本来の方法と言いわざるを得ない 。

  それでは2004年改正後の行政事件訴訟法(以下「改正行訴法」という)9条2項の原告適格の勘案事項を踏まえたとき、土地収用手続きの原告適格の判断は変わりうるであろうか。同項では、「根拠となる法令の規定の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮する」と規定されたが、事業認定と土地収用手続きに係る原告適格の判断の場合、既に述べたように、そもそも土地収用手続きの「目的」が用地取得にあること鑑みれば、改正行訴法の追加条項は土地収用手続きの原告適格の判断に影響を与えることはないと解される。

(2)瑕疵ある営造物設置を目的とする事業について事業認定を行うことはの違法性であることについて

  本件判決では、土地収用法20条各号に定める要件とは独立に、明文の規定はないものの行政機関である事業認定庁が瑕疵ある営造物の設置を許すことは、法秩序の否定につながるものであり、許されないという見解を述べ、瑕疵ある営造物を前提とすることが事業認定の違法要件となるという新しい考え方を示した。土地収用法20条3号の「土地の適正かつ合理的な利用」とは、本判決も明示的に述べるとおり、土地が事業のように供されることによって得られる公共の利益と当該土地がその事業のように供されることによって失われる利益等を比較衡量し、前者が後者に優越する状態であるとされている 。同号の認定にあたって、得られる利益と比較する失われる利益の中で、道路が事業に供されることによる大気汚染や騒音被害などについては、当然に考慮されることとなるわけであるが、同号の要件認定の問題としてのみこれらの言いわば外部不経済的不利益を考慮することではたりず、国家賠償法2条1項の公の営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態という意味での、設置管理の瑕疵が当該事業にある場合には、それだけで目次黙示的な事業認定要件を満たさなくなるすことがないという判断を示している。国家賠償法上の設置管理瑕疵を、そのような瑕疵がある場合には、事業自体本来存在すべきものではないという規範が示されたものとしてとらえるものであり、ことが可能であるならば、本件判決の示す基準はきわめて明解快であって、そのような瑕疵が生じない場合において、初めて土地収用法20条3号の比較衡量が行われ、同号要件該当の有無が判断されるということになる。理論的枠組みとしては、画期的であり、きわめて魅力に富む提案ではあるが、一方で以下の問題点があると考えられる。

  すなわち、第一は、私人の土地を強制的に取得してまで、ある事業を行うことが妥当か否かという意味での事業認定の適法性と、瑕疵ある行為や営造物のために発生した被害をいかに償うべきであるかを定めた国家賠償法上の責任とが完全に一致する、という前提をとることができるかどうかには疑問が残るである。設置管理の瑕疵を認定することができる受忍限度の水準をどの程度に設定するのかは、優れて政策判断の問題でもある。受忍限度論で前提とされているとおり、道路などの営造物から発生する大気汚染、騒音など周辺にもたらされる外部不経済についは、施設の供用形態、立地、社会経済情勢の変化等によって大きく異なりうるものであって、非常に低い水準から受忍限度をはるかに超える高い水準まで、連続的な被害を想定することができる。しかも、いかに通行量が少ない道路であっても、周辺に一切の騒音や大気汚染を発生させない道路はが想定できないことからも、およそ外部不経済性のある事業を行う場合には、常に周辺の環境に対して、何らかのマイナス要素がもたらされることは否定できない。

受忍限度の水準を低下させることによって、程度はともかく必ず発生して、誰かが苦痛を味わっているところの被害を、少なくとも金銭換算によって救済することが可能となるわけであるから、法解釈によっても、あるいは立法による明示的な判断基準の変更によっても、受忍限度水準を国家賠償法上の責任や、民事上の責任の判断にあ当たっても、限りなくゼロに近づけていくことには、一定の合理性があるといえる 。

  しかし、受忍限度の検討に当たって、救済範囲を広げるために受忍限度その水準を下げようとするとしたとき、それが事業認定の違法性を同時にもたらすこととなるときには、損害賠償の救済範囲の拡大が、直ちに事業の差し止めをも意味するということを念頭において受忍限度水準の設定を行わなければならなくなることから、その場合にかえって判決の現場では、国家賠償責任の救済範囲を広げることをちゅうちょするようになり、現場の司法判断へのプレッシャーとして機能することが予想される。このような意味で、差し止めを正当化できる受忍限度を超えた場合と、事業認定に係る土地収用法20条3号要件とが、原則として一致することは望ましいとも言いえるが、金銭賠償の場合の本件判決のような判断は、予期したところとは別の副作用をもたらす可能性がもあることに留意する必要がある。

(3)土地収用法20条3号の裁量の性質について

  土地収用法20条3号に関する裁量の根拠として、「専門的技術的知識」を明白に否定し、「政策判断能力」に由来する裁量を認めた点で、本判決はこれまでの裁量の理解と異なる新しい枠組みを示している。最高裁は、いわゆるマクリーン事件最判1958年7月1日民集12巻11号1612頁で、出入国管理行政について法務大臣の総合的政治的価値判断に基づく裁量を認めているが、教科書検定に関して最判1993年3月16日民集47巻5号3483頁が認める学術的教育的な専門技術的判断などとは異なり、土地収用法の土地利用に係る判断を一種の政治的価値判断に分類している点が注目される。現実に事業認定庁が「専門的技術的知識」に基づく精密で客観的な裁量判断を適格的確に行使しているかどうかはともかくとして、少なくとも失われる諸利益と得られる諸利益との比較衡量という枠組みの中での、専門的技術的知識に基づく判断であるならば、政策判断能力に由来する裁量よりも、第三者による検証がより容易であるとともに、その裁量の幅は小さいものとなる。実態の説明に近いという意味では本件判決の裁量認識は妥当であるが、それを正面から認知することに伴って、う裁量の幅にの過度に広がりが生じるの可能性を懸念せざるを得ない。むしろ、政策判断・、政治判断にの基づく裁量は、効果裁量たる土地収用法20条本文の「できる」という条項によって発揮すべきことが法では想定されていると解するのが妥当であろう。

(4)代替案の検討について

  代替案の検討を重視する本判決の論理は妥当である。仮に失われる諸利益と得られる諸利益との比較衡量を行い、後者が前者を上回る場合であったとしても、複数のそのような案の中で、最もその上回る度合いの大きい案ものに決することこそ社会的利益を増大をに資することになるからである。この点本判決では、代替案の検討を土地収用法20条3号の判断要素として位置付けているが、同号要件を失われる諸利益と得られる諸利益との比較衡量で定義付ける限り、代替案の検討をその中で、直接読み込むことは困難であると思われる。むしろ、同法20条3号の要件を満たしうる複数の案の中でも、相対的に得られる利益の水準が小さいものをあえて選択するような場合には、同法20条4号の「土地を収用する公益上の必要」が存在しないものと判断して、4号要件違反となると解すべきであろう 。

(5)事業認定違法の理由について

  本判決では、事業認定庁及び起業者が主張する事業による都心部交通混雑緩和、周辺道路の渋滞緩和などが具体的裏付けに欠けること、他の環状道路の建設に先行して圏央道を建設することは人的物的投資の分散であって問題の解決を遅らせるものであること、本件事業地たるインターチェンジは既存のインターチェンジから約2キロメートルしか離れていないことの合理的説明がなされていないこと、代替案の検討を行っていないことなどを認定し、判断過程に重大な過誤欠落があったと結論付け、事業認定が土地収用法20条3号の要件を満さないと判断した。

  当該部分は、事実認定に関する部分であるので、その当否自体を具体的に論じることは困難であるが、土地収用法20条3号要件の政策的判断に係る裁量を過度に広く認めるものでない点で評価できる。本件判決で指摘する事項について被告側の主張立証がどの程度精密に行われていたのかは定かではないが、本来土地収用法20条3号で想定する失われる諸利益と得られる諸利益との比較衡量とは、すなわち、費用便益分析そのものであって、騒音や大気汚染による環境被害などの要素も含めてある事業の施工によって増大した便益や増大した不利益は、大部分が周辺の土地価格にの反映されることから、事業固有の影響を、地価への価値の帰属すにより、分離測定するヘドニック法などの手法を用いるならば、不透明な裁量判断を介在させずに、厳格な諸利益と諸費用の衡量が可能となるのである 。

  なお、本件判決は、土地収用法20条各号要件のうち3号要件のみを審査することによって、事業認定が違法である旨の結論を引き出しているが、3号要件と、同条4号の「公益上の必要がある」という要件との関係は、どのように位置付けられるのであろうか。3号にいう「土地の適正かつ合理的な利用に寄与する」ものではない事業について、「土地を収用する公益上の必要がある」と判断することは一般的には困難であって、収用適格事業であることを要件とする1号、起業者の意思能力を要件とする2号も含めて、土地収用法1号から3号までの各要件は、4号要件を満たすために必要条件であって、逆に4号は、1号から3号までの要件を満たすための十分条件であると解して差し支えないと思われる 。

2. 本件収用裁決取消判決

(1)明渡後の明渡裁決取消訴訟の訴えの利益について

  本件判決は、明渡後に明渡裁決の取消を求める訴えの適法性を検討し、占有解除後もなお明渡裁決の取消を求める利益が存続するとの判断を示したものであり、正当である。明渡裁決の取消の利益については、明渡が終了した場合には、権利取得裁決を争えばたりるとして、これを否定する判例もある が、妥当でない。例えば、明渡裁決固有の瑕疵を争うような場合には、明渡裁決の取消を求める固有の利益が当然に存在するうえに、そのような場合に仮に明渡がなされた後であっても、明渡裁決の効力を消滅させなければ、土地収用法102条による土地等の引渡し義務・物件移転義務も消滅しないのであるから、訴えを認めないことはそもそも占有を回復するために争う手段を一切奪うという結論を強いることを意味する。

また、事業認定の違法性が明渡裁決に承継されるという前提にとる場合において、明渡裁決のみについて、取消訴訟が提起されている場合、権利取得裁決を争うことは不可能であり、明渡が終了したからといって、取消の利益が失われると解することは、やはり救済手段を一切封じることになる。このような帰結は憲法の裁判を受ける権利に照らして許されるいわれはないというべきである。り、本件判決の訴えの利益の解釈は正当理論的にも妥当である。

(2)事業認定の違法性の承継について

  本件判決では、違法性の承継を認める従来の考え方を踏襲している。特に先行行為である事業認定が独立の争訟の対象であるからといって、この段階で争わない限り、違法性の主張が後行行為における争訟において遮断されるという結論は、救済の機会を狭めるのでをとる採るべきではないという点が強調される。しかし同様のことは、一般的に違法性の承継がない判例が確定している租税賦課処分と滞納処分との関係においても、妥当することであって、土地収用手続きとの差異を実定法解釈論として十分に説明しうるか否かは疑問である。

また、現行の行政事件訴訟法の枠組みの下では、処分性の容認とはすなわち、出訴期間後の付加争力の発生を意味すべく制度が仕組まれており、手前での救済を図ろうとすることが、かえって後から当該行為の違法を争うことを制約するというジレンマは、もともと立法の産物として存在していると解釈せざるを得ない。後に論じるように、本判決も指摘するような、専ら救済や保護を手厚くする方向で機能する計画の早期段階での争訟手段を、実体法において立法で、仕組むことには、十分な合理性があると思われるが、現行法の解釈論として、先行行為に処分性を認めるのは、とにかく救済を拡大するためであって、後行行為がある限り、実質的に先行行為の出訴期間が開始をしないこととするのを合理化する見解を採ることは、解釈論としては困難であろうあると思われる。

本判決も採用する田中(1974)327〜328頁の基準は、美濃部(1936)209〜210頁をほぼそのまま踏襲するものである。しかし、重要なことは、美濃部(1936)が前提としていた見解がは、土地収用法によるの事業認定に対する直接の争訟手段が認められておらず、裁決のみを争いうるにすぎなかった制度の下でのものであったという事実である。このような前提の下でにあっても、当時の多くの判例では、事業認定の違法を裁決取消訴訟で争うことを認めず、いわば事業認定の違法について一切司法による是正措置がないままとすること結論を正当化する異常な判例が集積していたことを、美濃部説が厳しく非難したのでありが、美濃部説であったのであり、その前提の下では正当な、しかし司法救済の性質上当然の主張でもあった。 

事業認定が独立の出訴対象として明確に位置付けられている現在の法制の下においては、美濃部説の前提は消滅し、そのままでは成り立たなくなったと考えるべきであったが、田中説ではその点の吟味を一切せずに、漠然と美濃部説の文言のみに即した違法性の承継理論を存続させてしまった。それがさらに無批判に受け入れられて学説・判例で広まったのが、現在ある違法性の承継理論であるということもできる 。少なくとも、この点これらの吟味のない違法性の承継学説は学術的見解に値しない。

(3)事情判決について

  本件判決で注目されるのは、取消判決が第一審限りで確定することは想定しがたいことを1つの決め手として、第一審裁判所はが事情判決の可否を検討する必要性がないと判断した点である。原告に対する損害賠償措置などが一切前提とされていない本件事件にあっては、仮に被告側からの申立てがあったとしても、行政事件訴訟法31条1項の要件を満たす蓋然性は乏しいと解されるが、被告の訴訟に対する姿勢、それに起因してする一審判決の確定可能性がの小さいことさを考慮事項とした点は、同項の「その他一切の事情を考慮」という要件に照らして、正当に成り立ちうる考慮事項であると解される。被告が争う姿勢を鮮明にしている場合の一審段階では、事情判決の実質的必要性は必ずしも大きくないことを明示した点で今後の先例的価値を有すると思われる。

(4)立法論としての計画争訟について
  本判決では事情判決に関連して、立法論としての計画争訟の必要性が述べられている。法解釈論の限界を踏まえたきわめて正当な問題意識である。り、また同様の問題意識は、改正行訴法の立法過程においても議論となり、その趣旨をも取り入れて、改正行訴法4条では例示として、「確認の訴え」が公法上の当事者訴訟として可能である旨明記された。土地利用計画や国土計画等の違法確認の訴えが可能であることが明示された点で、その意義は大きい 。

本来、早期の計画是正の争訟手段を充実させることは重要であるが、その場合には、早期審理により、事業計画等の適法・違法を確定させないまま、長期間にわた渡って関係者を不安定な地位に置かないこと、計画段階での違法はその段階で確実に争訟の中で主張できることとし、反面、後行行為において、計画の違法を主張することを遮断する、すなわち違法性の承継を否定することによって、計画の法的安定性を図ることを明記することも立法論として重要である。

既に論じた通り、現行制度の解釈論としての土地収用法による事業認定の違法性の承継は、これを否定に解さざるを得ないと思われるが、現実に判例が分かれている以上、早い段階での争訟の奨励と違法性の遮断を内容とする立法的手当ては、実質的に重要であると思われる。

3.本件決定及び原審決定について

(1)回復困難な損害について

  原審決定は、居住の利益は重要であるとしつつも、しかし市内やその付近で移転することができるときには、居住の利益を失うわけではなく、金銭賠償によって償うことができる、と認定する。これに対して一審決定では、居住の利益は「財産的な損害と異なり、自己の生活に密着した個別的な利益であるがゆえに、いったん失ってしまうと容易に他のもので置き換えることができない非代替的な性質を有する」となってしており、居住の利益のとらえ方が大きく異なる。

  原審決定は、市内やその付近で移転することさえ可能であれば、居住の自由が失われることはない旨述べと断じるが本当だろうか。金銭賠償によって容易に損害の償いが可能な場合の例としては、純然たる金銭徴収や金銭給付に関わる処分、例えば課税処分、社会保障給付の取消し処分などを想定することが可能であるが、これらについても、終局的な救済までの間に生活に困窮するなどの事情があるならば、そのような場合には「回復困難な損害」と解すべき理由がある 。

そもそも現行の土地収用法による損失補償体系の下もとでは、最判1973年10月18日民集27巻9号1210頁も認める憲法上の「完全な補償」が正確に法令に反映されているわけではなく、「市場価格」などの代替指標に基づく一定の割り切りを前提としていると考えざるを得ない 。損失補償制度自体の精密性もさることながら、もともと土地収用制度には、本人の意思に反して強制的に財産権を剥奪するという通常の契約とは異なる強制売買手続きが採用されているのであるから、強制的に物理力を行使して、当該財産権の占有を解くという行政代執行手続きを行う際、市内やその付近にさえいれば、経済的社会的文化的に同一な地縁社会の範囲内であって、居住の利益が失われるわけではないと断じるのは、相当程度特異な価値判断に立っているといわいわざるを得ない。

また判決は、周辺に移転可能であれば、「居住の利益」を失うわけではないとしながら、その場合れでも「精神的・肉体的負担」が発生する旨述べているが矛盾であろう。「精神的・肉体的負担」が発生するのであれば、その限りにおいては居住の利益が影響を受けているということになるはずだからである。

加えて、土地建物に対する対価の保証によって、精神的な負担が償えるという考え方も理解できない。現行の土地収用法による損失補償基規準においても、ダム建設に伴う少数残存者補償などをいわいわゆる通常生じる損失の一環としており、補償を認める実例は定着している。また原審決定は、「完全な補償」のためには、財産権に対する対価補償のみでは足りず、収用と因果関係のあるすべての損失に対して、完全な補償がなされなければならない、という単純な憲法解釈を踏まえているのか否かも疑問である。居住の利益については、一律に財産的損害に分類したり、また損失補償によって容易に償えると即断したりすることは妥当でなく、一審決定も述べるとおり、個別の事案に応じて、「非代替的な性質」を有するか否かという観点からの個別の事件ごとに具体的な検証が不可欠であると思われる 。

  原審決定は、きわめて形式的な割り切りにより、事件にのおける居住の利益の実態の考察を欠いた判断を行っており、「回復困難な損害」の法解釈自体を誤っていると評価せざるを得ない。同文言の解釈としてはによるかぎり、一審決定こそ精密でかつ憲法の趣旨にも忠実であり、原審決定とは好対照をなしている。なお、本件決定が原審決定を結論において維持しているのは、あくまでも「本件事実関係」を前提としたものであり、原審決定の「回復困難な損害」の法解釈の理論そのものを追認する趣旨ではないと解される。

(2)執行停止要件に関するその他の論点について

  本件決定では直接論じていないので論点の指摘に止めるが、原審決定では他にも、処分庁以外の行政機関に対する執行申立てが可能であること、「公共の福祉に重大な影響を及ぼす恐れがあるとき」についての疎明責任が行政庁にあること、「本案について理由がないとみえる要件についての疎明責任は本案の証明責任の分配原則に従うこと」、などを判示している。

また、具体的な公共の福祉に及ぼす影響についての検討の中では、圏央道事業そのものの意義について、一審決定で論じたられていた様々な懸念を具体的には判断せず、交通混雑緩和、沿道環境改善、地域開発の促進、多大な経済効果、沿線自治体の早期供用意向など、起業者側の主張をほぼそのまま認めたうえで「いずれもその公共的必要性は極めて高い事業である」と断じている。隣接インターチェンジと事業地との間の交通混雑緩和や経済効果についても、その予測や推計が「宣伝本位の作為的な不合理なものであるとまでは認めがたい」ことを理由として、「きわめて公共性の高い事業である」とも断じるが、「宣伝本位」でさえなければ「きわめて公共性が高い」、などとということは飛躍である。

加えて、その結論を前提として直ちに執行停止することは、「公共の福祉に重大な影響を及ぼす恐れがあり、・・・損害と衡量しても無視できない」とも述べるが、ここまでの事実認定と踏み込んだ評価を行うことが、十分な証拠調べも可能ではない執行停止申立ての審理手続きにおいて、果たして可能だったのであろうか。事実認定や法解釈の論理的考察において多くの疑問が残る決定といわいわざるを得ない。

(3)違法性の承継について

  原審決定では、いわいわゆる事業認定の違法性の承継を否定する見解を明示的に示している。が、その結論はともかく妥当であるが、論理構成はずさんである。収用委員会の審理責任を論じる部分ではあるが、事業認定に重大かつ明白な瑕疵があり、収用等が国民に無視できない不利益や損害等をもたらす場合において、違法性の承継があるとして、収用委員会がその場合には裁決の申立てを却下すべき旨述べる。しかし、が、仮に事業認定が無効であるならば、発生する不利益や損害の程度いかんに拘らず裁決は無効となるのであるから、論旨には混乱がみられる。また、訴訟審理において違法性の承継を否定する論拠も、「それぞれは別個の行政処分」であるとするのみであって、その理由についての説明は何らなされない。

4.まとめ

  関連の事件を通じて、本件判決・第一審決定と原審決定とは、結論においても論理構成においても大きく異なる。既に論じたとおり、個別の論点の結論については、筆者として賛同できない点もあるが、法的判断に必要な諸要素を具体的かつ丁寧に取り上げ、緻密な論理構成による判決・決定を行おうとする本件判決・第、一審決定のアプローチはきわめて高く評価できる。これらは、改正行訴法の施行を控えた現在、そこで示された論点をも、法的に可能な範囲で解釈論において一定程度先取りするとともに、改正行訴法に盛り込まれた点以外後のさらなる改正課題についても示唆するところが大きいこれらに示された。ここで論じた解釈論及び立法論の論点をさらに掘り下げていくことは有意義であろう。


注)
福井(1982b)19〜21頁で同趣旨の原告適格論を詳述した。
東京公判1973年7月13日行裁例集24巻6・7号533頁日光太郎杉事件控訴審判決など。
このような問題意識については、福井(2001)425〜428頁、福井(2004)69・85頁等で既に論じた。損失補償についてのいわゆる特別犠牲説を批判する文脈での同様の問題意識については福井(1995)で論じた。
福井(1982a)38〜40頁参照。判例ではいわゆる西大津バイパス訴訟第一審判決、大津地判1983年11月28日訟務月報30巻5号854頁は、代替案の検討は土地収用法20条4号の要件であると明示する。当該解釈も含め同事件については、福井(1984)27〜29頁参照。
福井(2001)422〜423頁、福井(2004c)69頁参照。なお、ヘドニック法については、井堀(1998)142〜143頁など参照。
福井(1982a)39〜40頁
徳島地判1995年10月3日判例地方自治150号80頁、徳島地判1998年7月17日判例地方自治190号104頁、福岡地判1998年3月27日判例地方自治191号72頁、長野地判2000年10月6日判例地方自治211号98頁など。
違法性の承継理論を批判的に検証したものとして、福井(1982c)、福井(1982d)、福井(1998)などがある。本文に掲げた論拠以外にも、違法性の承継理論の原理的問題点について、これらでほぼ包括的に論じられている。
計画争訟の必要性については、福井(2002a)22〜23頁、福井(2002b)29〜31頁で本件判決と同様の問題意識を論じた。また、2002年3月19日司法制度改革推進本部第2回行政訴訟検討会において、委員である筆者から同趣旨の意見陳述を行っている。
司法研修所編(1983)44〜45頁、園部・時岡編(1984)243頁。
福井(2004a)66〜70頁。

司法研修所編(1983)45頁は、文化財や宗教上の聖地が土地収用による失う損害は、「回復困難な損害」とされてきている旨述べるが、そうであっても一概に非代替的利益と断定することはできず、結局のところ個別の損害に着目するほかない。

福井(1982b)19〜21頁で同趣旨の原告適格論を詳述した。
東京公判1973年7月13日行裁例集24巻6・7号533頁日光太郎杉事件控訴審判決など。
このような問題意識については、福井(2001)425〜428頁、福井(2004)69・85頁等で既に論じた。損失補償についてのいわゆる特別犠牲説を批判する文脈での同様の問題意識については福井(1995)で論じた。
福井(1982a)38〜40頁参照。判例ではいわゆる西大津バイパス訴訟第一審判決、大津地判1983年11月28日訟務月報30巻5号854頁は、代替案の検討は土地収用法20条4号の要件であると明示する。当該解釈も含め同事件については、福井(1984)27〜29頁参照。
福井(2001)422〜423頁、福井(2004c)69頁参照。なお、ヘドニック法については、井堀(1998)142〜143頁など参照。
福井(1982a)39〜40頁
徳島地判1995年10月3日判例地方自治150号80頁、徳島地判1998年7月17日判例地方自治190号104頁、福岡地判1998年3月27日判例地方自治191号72頁、長野地判2000年10月6日判例地方自治211号98頁など。
違法性の承継理論を批判的に検証したものとして、福井(1982c)、福井(1982d)、福井(1998)などがある。本文に掲げた論拠以外にも、違法性の承継理論の原理的問題点について、これらでほぼ包括的に論じられている。
計画争訟の必要性については、福井(2002a)22〜23頁、福井(2002b)29〜31頁で本件判決と同様の問題意識を論じた。また、2002年3月19日司法制度改革推進本部第2回行政訴訟検討会において、委員である筆者から同趣旨の意見陳述を行っている。
司法研修所編(1983)44〜45頁、園部・時岡編(1984)243頁。
福井(2004a)66〜70頁。
司法研修所編(1983)45頁は、文化財や宗教上の聖地が土地収用による失う損害は、「回復困難な損害」とされてきている旨述べるが、そうであっても一概に非代替的利益と断定することはできず、結局のところ個別の損害に着目するほかない。

(参考文献)
井堀利宏(1998)『基礎コース公共経済学』新生社
司法研究所編(1983)『行政事件訴訟法に基づく執行停止をめぐる実務上の諸問題』法曹会
園部逸夫・時岡泰編(1984)『裁判実務体系第1巻行政訴訟法』青林書院
田中二郎(1974)『新版行政法上巻全訂第二版』弘文堂
福井秀夫(1982a、,b,、c,、d)「事業認定をめぐる訴訟上の問題点(上)、(中)、(下の1)、(下の2)」用地15巻170、174、178、180号
福井秀夫(1984)「西大津バイパス訴訟判決批評」用地17巻198号
福井秀夫(1995)「阪神大震災復興計画の法的課題」都市住宅学10号
福井秀夫(1998)「土地収用法による事業認定の違法性の承継」西谷剛ほか編『政策実現と行政法』有斐閣
福井秀夫(2001)「権利の配分・裁量の統制とコースの定理」小早川光郎・宇賀克也編『行政法の発展と変革上巻』有斐閣
福井秀夫(2002a)「司法制度改革の一環としての行政事件訴訟改革」第一東京弁護士会開放会報351号
福井秀夫(2002b)「行政訴訟改革の法と経済学」自由と正義53巻8号
福井秀夫(2004a、b)「財産権に対する「完全な補償」と土地収用法による「移転料」の法と経済分析(上)(下)」自治研究80巻2号、4号
福井秀夫(2004c)「景観利益の法と経済分析」判例タイムズ1146号
美濃部達吉(1936)『公用収用法原理』有斐閣