迷走:愛知万博(1) 出会い 青山 貞一 |
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公式サイトによれば、「愛・地球博(愛知万博)は21世紀としては初めて2005年に行われる国際博 覧会です。テーマは「自然の叡智」、サブテーマは「宇宙・生命と情報」「 人生の”わざ”と知恵」「循環型社会」で2005年3月25日から9月25日まで開催される」とある。 コンセプトも場所も二転三転、迷走につぐ迷走を繰り返してきた愛知万博が来年(2005年)開催される。私自身、国際博覧会をいわゆる先進国で開催することの意味に疑問をもっているが、それはそれとして、愛知万博の立地計画を大幅に変えるきっかけとなった、「あるエポック」をいくつか紹介したいと思う。 愛知万博は当初、「環境万博」と言っていた。だがそう言いつつ、愛知県に残された貴重な里山、自然を大規模に破壊しその上にパビリオンをこれでもか、これでもかとたくさん施設(はこもの)を開発する計画であった。 万博の跡地に、愛知県や住宅公団が都市計画道路と新住宅市街地開発事業を行うことが前提となっていたのである。言うまでもない、住宅公団や県住宅供給公社などの組織延命の「公共事業」の実施がそこにあった。 他方、地元のNPO/NGOは、本来「小異をもちつつ大同につく」ことなくして本意は達成しないのだが、さまざま難しい問題を持っていた。地元のNPO/NGOは、当初は「小異をもちつつ大同についていた」。しかし、在京の3つの自然保護団体が愛知万博問題に関与してから、地元団体の一部が「小異のために大同を忘れ」て在京団体に近づき、結果的にいがみあう状態にあった。事業者に対し、NPO/NGO相互のベクトルをあわすことができなかった。その結果、愛知万博の計画は協会など事業者サイドで一方的に進められていた。 そんな中、愛知県の自然保護団体からの依頼により、事業者、すなわち経済産業省、万博協会、愛知県などとNPO/NGOを国会議員を行司役にガチンコ(直接議論)させることになった。当時、吉野川、川辺川はじめ公共事業と自然環境保護をめぐる問題で、このようなやりかた、つまり国会議員を行司役とし、相対立する両者を議員会館にお呼びし、直接的に議論してもらい、問題解決の糸口を見出すやりかたを次々にやっていた。 愛知万博の「ガチンコ会議」は衆議院第一議員会館を使って行われた。ガチンコ会議には、公共事業議員チェックの会メンバーで友人の佐藤謙一郎衆議院議員や中村敦夫参議院議員が行司役として参加した。愛知県からは10以上の市民団体が一挙上京してきた。 だが、通産省(後に経済産業省)、万博協会、愛知県は、この会議でまさにNPO/NGOとまともに目をあわすこともなく、一方的に自分たちの主張を言うだけであった。ガチンコ会議に参加していた田中康夫氏は、通産省官僚をして、「あなた方はオウムと同じだ」と述べた。まさに思考停止の官僚そのものの姿がそこにあったのである。 2000/2/9 衆議院第一議員会館会議室にて愛知万博討論会 手前側が通産省、建設省、愛知県、万博協会関係者、中村敦夫議員(マイクを持っている)の側が国会議員 奥右手・スクリーンの右端が田中康夫氏、その隣が青山貞一、それより右が愛知県から来たNGOと専門家 ガチンコ会議の直後、愛知県の自然保護NPO/NGOから、ぜひ一度、愛知万博開催予定地である「海上の森」を来てみて欲しいという要望が中村議員に寄せられた。中村議員の政策秘書で若い参謀役でもある田中信一郎さんが、どうせ現地視察するなら、終了後に県知事になったばかりの神田愛知県知事にお会いし、意見申し入れをしたらどうか、ということになった。そこでガチンコ会議に参加していた田中康夫さんにも一緒に行ってもらおうと言うことになった。 2000/3/10 万博会場視察 とにかくすごく寒かった海上の森の現地視察。左から中村、青山、田中 私たち3人は議員会館で作戦をねった。私たちが合意した点は次の通りである。すなわち愛知万博の開催そのものを否定はしない。しかし、実施するなら私たちが示す提案書にある条件で行うべきことにあると言うものである。 そてい3人で合意した提案書の骨子、前提は、 @海上の森における新住宅市街地開発事業をやめること,にある。また A海上の森における研究学園施設を含むあらゆる面的開発をしないこと、 B海上の森に計画されているすべての道路の建設をやめること, C入場者数を大幅に削減したうえで青少年公園、科学技術交流センターなど海上の森の外に万博の会場を移し、海上の森は現状を保全、保存しながら、入場者を限定し、大都市近郊に残された里山の自然をそのまま体験できるものとすること、 D青少年公園などでも、従来の形態でのパビリオン方式ではなく、青少年公園地区に世界中のNPO,NGOの参加をえた21世紀に通用する博覧会とすること、 Eさらに今後の計画立案に際しては、従来のアドバイザー,委員,とくにその中心になってきたメンバーを入れ替えること、 F今後の計画修正や環境アセス(及びそれに類する手続き)に際しては、NPO,NGOとの徹底した市民参加を徹底した情報公開のもとで行うことなど、についても要請する。 そして最後に G神田愛知県知事がご自身のイニシアティブで判断され実行されることを進言したのである。 上記の前提をもとに田中康夫氏が執筆したかの歴史的申入書を以下に示そう。 以下の提案書に、のちの「脱」ダム宣言に通ずるエスプリを感じ取ることができる。
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