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小泉首相、靖国参拝
違憲判決の意味するもの


青山貞一
 
掲載日2005.10月3日

 私は先に、「末期的症状を呈する自民、その7 靖国神社問題」で、靖国問題の本質について述べた。これについては、巻末に再掲載するのでご覧頂きたい。

 ところで、中華民国(台湾)の住民から提訴を受けていた小泉首相の靖国神社参拝について大阪高裁は、明快かつ明解な判決を出した。

 まず小泉首相の靖国神社参拝をめぐって旧日本軍に属し戦死した中華民国の遺族らが「政教分離原則を定めた憲法に参拝は違反する」として小泉首相及び国に損害賠償を求めた靖国参拝訴訟の控訴審判決が2005年9月30日大阪高裁であった。

 大阪高裁の大谷正治裁判長は「参拝は憲法違反」であると明解な判断を下した。但し、請求自体は一審の地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。これまで小泉首相の靖国参拝をめぐる高裁判決はこれで3件目であるが、「違憲判断」はこれが初めてである。

 高裁の判決理由において裁判長は参拝の性格につき、

(1) 公用車を使い、秘書官を伴っている
(2) 内閣総理大臣と記帳している
(3) 就任前の公約だった
などを指摘し、「公的」な参拝と断定した。

《判決骨子》

◆職務行為性
 小泉首相の靖国神社参拝は内閣総理大臣としての職務でなされた。

◆違憲性
 小泉首相の3度にわたる参拝で、国は靖国神社との間で特別のかかわり合いを持った。特定の宗教を助長し、相当とされる限度を超えており、参拝は憲法が禁止する宗教的活動にあたる。

◆法的利益の侵害
 参拝で、原告らの信教の自由などを根拠とする権利、利益について強制や干渉、権利の侵害があったとは認められない。


 その上で違憲性について「参拝は特定の宗教に対する助長、促進になり、国と靖国神社とのかかわりが日本の社会文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」と述べている。

 公用車で秘書官を従え靖国神社に行き、内閣総理大臣と記帳した参拝は、誰がどう判断しても公的参拝である。これが憲法違反と判断されるのはいわば当然だ。

 昨年、福岡地裁でやはり靖国神社参拝が憲法違反であると判断されたが、こちらは判決本文でないなど法理上、いくつかの疑義が専門家から提起されたが、今回の高裁の判決は、きわめて常識的な判断である。

 これに対し小泉首相は衆議院の質疑などで、私的参拝であることを強調し、さらにこれは高裁判決でしょ、など最高裁で高裁の違憲判決はひっくり返ることを案に示唆する発言をしている。

 先の衆議院選挙では、郵政民営化問題一本に絞り、Yes か No かの分かりやすい(だけ?)の二項対立により自民党を大勝に導いた小泉首相だが、これほど分かりやすい「憲法違反」について、上記のような発言をすること自体不可思議なことである。
 
 これについて、2005年10月4日付の日刊ゲンダイ(夕刊紙)は、一面で次のように述べている。

日刊ゲンダイ Dailymail Digest
2005年10月 4日号(平日毎日発行)

■ 強情というか嫌がらせが好きなのか
■ 他人がやめろというとムキになってやりたがる
■ 性癖・性格は重大な病気ではなかろうか
■ 戦後60年これほど悪質な首相は一人もいなかった

◆先の総選挙もその例だが、今回も自分の勝手で
◆司法判断を二分し国論を分裂させている靖国参拝を強行の姿勢
◆さまざまな改革をやっていると自慢している彼のやっていることは、
◆全部デタラメ欺瞞の単なる改悪や破壊であると多くの識者がアキレているぞ


 「小泉首相は必ず年内に(靖国に)行くよ」――
自民党内でこんな見方が強まっている。理由は簡単明快だ。「参拝は公約」というより、先月30日の大阪高裁で「小泉首相の靖国参拝は『違憲』」と判断されたからだ。

 「ダメ」と言われれば逆にムキになる。頑迷、強情っぱりの小泉のことだ。「ここは意地でも行くだろう」(官邸関係者)というワケだ。

 実際、首相はさっそく「参拝は憲法違反ではない」などと言い出している。マスコミが批判し、周囲が止めても「火に油」だ。人が止めれば意固地になる。イヤがることをワザとする。この性癖というか性格は何なのか。精神科医で作家のなだいなだ氏の“診断”はこうだ。

 「私には、子供の天の邪鬼と同じに見えます。こうした未熟な行動は、大人になると常識的判断がついてしなくなるものですが、小泉首相の場合は性格として根付いている。病気ではありませんが、田中真紀子さんが言ったように、変人です。つける薬がない分、病気よりヒドイかもしれません」

 大脳生理学が専門の医学博士、米山公啓氏の意見はこうだ。

 「反対されたり、否定されることをワザとやって周りを困らせ、イイ気になる。ワンマン経営者にもこういう性格の人はいますが、一国の首相の場合、問題です」 小泉首相の“危うさ”は先の解散記者会見でも垣間見られた。サプライズ解散でアタフタしている議員をシリ目に、喜々としていた。こんな調子で、ニタニタと靖国参拝を強行されたら、たまらないのだ。

◆ 挑発的な物言いで首脳会談はオジャン ◆

 小泉の靖国参拝をめぐっては、大阪高裁だけでなく、04年の福岡地裁も「違憲」の判断を下している。その一方で、先月29日の東京高裁は参拝を「私的なもの」とし、憲法判断を避けている。首相の靖国参拝は司法の判断が揺れている。世論も真っ二つに割れている。こんな状況でなぜ突っ張るのか。行政のトップが司法判断を批判できるのか。深く考えもせず、軽はずみな意地っ張りは「いい加減にしてくれ」と言いたくなる。

 「外交では、すでに靖国問題の悪影響が出始めました。12月にマレーシアで開かれるアジア・サミットでの日韓首脳会談がペンディングになっている。大阪高裁の判決に対し、『理解に苦しむ』『今後の参拝に影響しない』と言い切った小泉首相は、内外に参拝を宣言したようなものです。会談後に参拝を強行されたら、盧武鉉大統領の面目は丸つぶれにされてしまう。

 おっかなくて、首脳会談なんてできません。中国とも11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で首脳会談が実現する可能性があったが厳しいでしょう。個人的信条か何か知りませんが、司法判断を踏みにじれば、ますます近隣諸国は反発する。強情で日本外交を停滞させるのは得策ではありません」(国際問題評論家・山岡清二氏)

 老獪な政治家ならば、大阪高裁判決を「コレ幸い」に、公約した靖国参拝を凍結させる手もあった。アホみたいに突っ張るだけの小泉首相は、あまりに幼稚だ。


 先に、私が「末期的症状を呈する自民、その7 靖国神社問題」(以下)で述べたように、靖国神社問題は、NHKが2日間に渡り特集を組んだ番組をしっかり見れば分かるように、靖国神社は、歴史的変遷を経て、現在、国内外に次の異なった2つの基準をもつようになる。

 すなわち憲法九条同様のダブル・スタンダードである。それは、中国、韓国、米国など対外的な理解として靖国神社は国家、国体とは無縁な純粋な一宗教法人とされているが、他方、国内的にはA級戦犯までが合祀をされる国家及び戦時色が強い国家神道の延長線上にある宗教施設となっている。

 これらダブルスタンダードは、見る人が見れば歴然としたものである。自衛隊問題にみられるように、日本の司法判断、とくに首相が指名する最高裁判事らによる判断がことごとく、政治的なものとなり、著しく歪められていることは明らかだ。

 しかし、こと小泉首相など政治家の靖国神社参拝が違憲であることは、火を見るより明らかであろう。その意味で、今年8月15日、昨年の65人より減ったものの靖国神社に参拜した国会議員47人についても、今回の高裁判決が意味するところは少なくないはずである。

 いずれにしても、ダブルスタンダードと言う本質的課題をそっちのけで、靖国神社を参拝する首相はじめ国会議員が、今後、憲法改正、教育基本法改正、集団的自衛権確立など、昔来た道を歩もうとしていることは想像に難くない。

 国、自治体で1000兆円に及ぼうとしている累積債務(多重債務)は、今の若い人たちがまったく参加していないところで、大人が決定してきた結果だ。今回の自民党の大勝は、若い人たちが、改革にYes か No かと言う本質そっちのけの分かりやすい言葉に乗せられた結果と思える。

 大勝得た自民が、今後、憲法改正、教育基本法改正、集団的自衛権確立、徴兵制など、「普通の国」への道をひた走る上で、小泉首相の靖国神社への参拝問題はきわめて大きな試金石となることは間違いないだろう。

 若い人そしてその親が、そのときになって、こんなはずではなかったといっても、もう遅いのである。

 
再掲

末期的症状を呈する自民
  その7  靖国神社問題 

                
青山貞一

 毎年、首相や閣僚、国会議員らの参拝を巡り、国内ばかりか中国、韓国で論議を呼ぶのが靖国神社問題である。今年も、終戦の日の2005年8月15日、小泉内閣の閣僚のうち、尾辻厚生労働大臣と小池環境大臣の2人が靖国神社に参拝した。また郵政民営化法案に反対した野田聖子議員らも参拝している。今年8月15日に参拜した国会議員は47人、昨年の65人よりは減ったもののかなりの数だ。

 靖国参拝問題は、憲法改正問題同様、自民党の歴史認識や憲法観を示す重要な指標であり課題である。それは郵政民営化や道路公団民営化、さらには構造改革、行財政改革とは別に自民党議員に共通した重要課題でもある。

 首相や閣僚が中国、韓国との間でフリクションを起こしてまで参拝する靖国神社とは、一体どのような神社なのか? なぜ、参拝することが問題なのか? アジア諸国や憲法とどう関係するのか? 靖国神社への首相や閣僚、国会議員の参拝は単に戦争中亡くなった兵士への追悼であって中国や韓国から文句を言われる筋合いのないものなのか? 果たして、彼らの周辺アジア諸国への歴史認識、靖国問題への基本認識は、根本的に間違っていないのか? ここではそれらについて問題にしたい。

 この夏、2005年8月13日と14日、NHKスペシャルが以下の特集番組を放映した。

2005.8.13 終戦60年企画 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜
2005.8.14 終戦60年企画 戦後60年 靖国問題を考える
 
 NHKスペシャル番組の製作意図は以下にある。

<NHKスペシャル8月13日分>

  そもそも靖国神社とはどのよう神社なのか、それを考える上で、重要な資料が次々と発見され公開されている。

 戦前、陸海軍省が管轄していた靖国神社は、軍国主義の象徴と見なされていた。

 終戦後、GHQは靖国神社を廃止することを検討し、国家と神道のつながり、すなわち国家神道を断とうとした。

 だが、靖国神社は生き残った。そこには、占領政策を円滑に遂行しようとするアメリカの思惑や、日本政府、旧日本軍、神社関係者の戦略があったといえる。

 番組では、日米に残された膨大な資料や関係者の証言から、靖国神社が一宗教法人として存続するまでの攻防を描く。

<NHKスペシャル8月14日分>

 戦後60年の今年、靖国神社をめぐる問題が、国内外で大きな焦点となっている。

 首相による参拝の是非など、靖国神社をめぐる問題を私たちはどう考えればいいのか。

 靖国問題をめぐる歴史をたどりつつ、有識者が討論する。番組では、戦後、靖国神社には誰がどのように合祀されてきたのか、なぜ、A級戦犯が合祀されることになったのか、などを当事者の証言と資料で歴史的に検証。そして、参拝の是非や追悼のあり方、歴史認識の問題などについて議論を深める。

 上記NHKスペシャルで最初に問題としていたのは、国家神道(こっかしんとう)である。

 Wikipediaによれば、国家神道(こっかしんとう)は、「明治から第二次世界大戦の敗戦までの間に日本政府の政策により成立していた国家宗教あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。文面上は信教の自由を明記した大日本帝国憲法下の政府見解では、「神道は宗教ではない」とされており、神社は内務省の神社局が所管し、神社の造営なども公費で行われていた。第二次世界大戦後、GHQにより「神道指令」が出され、国家神道は解体した。」とある。

 国家神道についてもうひとつ見てみよう。

 『1945年以降の神道』(1965)によれば国家神道は、次のように記述されている。

  「もともと日本人のあいだにあった語ではない。太平洋戦争後占領軍が使用したところから一般化されたもの。国家の支援や管理のもとに行われた神道をいう。

 1945年(昭和20)の占領軍神道指令に〈国家神道,神社神道ニ対スル政府ノ保証支援、保全監督及ビ弘布ノ禁止〉〈国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ強制〉とあるが、国家神道を定義したものはない。

 この指令は、一般に日本国憲法第20条・第89条から,わが古典にもとづく国体観や思想または信仰までも禁止されていると考えることは、信仰の自由・思想の自由という日本国憲法に反することとなる。

 神道指令もナショナリズムを禁止していない。排されたのはウルトラ=ナショナリズムである。1965年の国際神道学会議で、神道指令の実施にあたったが,指令は軍国主義の廃絶を目的とし,宗教への攻撃ではないといっている。」



 NHKスペシャルの第一日目では、靖国神社をめぐる「ダブルスタンダード」、すなわち、靖国神社が第二次世界大戦前、日本の軍国主義の精神的拠り所となっていたこと、また靖国神社が旧帝國陸軍省と海軍省が管轄していたことに象徴されるように、単なる一神社ではなく、国家神道、すなわち国家と神道との合体を象徴する神社であることがまずもって重要なものとなっている。

 日本が敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領体制がはじまるが、GHQは靖国神社を軍国神社すなわち「国家」と「神道」が合体した神社として把握している。そのうえで、靖国神社そのものの廃止を構想する。他方、靖国神社、旧軍部、政府関係者はありとあらゆる手段を使い靖国神社そのものの存続を画策する。

 GHQの思惑と靖国神社派の思惑の間での激しい葛藤を経て、GHQは次のような判断をくだす。すなわち、日本国憲法第20条及び第89条にある信教の自由の観点から一宗教法人として靖国神社の存続とを認める。その前提は、政教分離であり、国家と宗教との関係を明確に絶つことであり、天皇陛下の参拝も行わないこととであった。

 日本政府はその後、東京国際裁判の判決内容に合意する。そのなかで、サンフランシスコ講和条約を1951年に締結、翌年の1952年、GHQは日本から撤退する。こうして米国による日本占領体制が終了した。

 GHQ撤退後、靖国神社、旧軍関係者、政府関係者らは、次第に靖国神社と国家との「関係回復」を試みるようになる。しかも、昭和天皇の靖国参拝も数度にわたり復活し、さらに勅使派遣の形で参拝を続ける。

 他方、東京裁判で有罪判決を受けた戦犯が順次、恩赦、釈放される。A級戦犯も政界に復帰することになる。日本政府は戦後処理の一環として、戦争の犠牲となった軍人、軍属の実態調査を進め、年金その他の補償体制を整える。

 それらの調査を元に、戦争犠牲者の名簿を靖国神社に提供、靖国神社は名簿をもとに戦死者を合祀するようになる。その過程で、「戦犯だけを差別するのはどうか?」との意見が出る。結果としてB級及びC級戦犯が、最後はA級戦犯すら靖国神社に合祀されることになった。

 上記の戦犯合祀の事実が分かると、国内だけでなく、中国、韓国だけでなく米国で批判が起こりかねないと判断した靖国神社は、この合祀事実を当分の間公表しなかった。

 以下の戦後歴代首相の参拝情報にあるように、歴代の首相が靖国に参拝する。8月15日に最初に参拝した首相は、三木武夫である。その後、中曽根総理が毎年8月15日に靖国参拝するが、中国初めアジア諸国から猛反発が強く起こり、翌年以降参拝を中止し、以降、首相の8月15日参拝はされていない。

  • 東久邇稔彦(1回): 1945年8月18日
  • 幣原喜重郎(2回): 1945年10月23日、1945年11月20日
  • 吉田茂(5回): 1951年10月18日、1952年10月17日、1953年4月23日、1953年10月24日、1954年4月24日
  • 岸信介(2回): 1957年年4月24日、1958年10月21日
  • 池田勇人(5回): 1960年10月10日、1961年6月18日、1961年11月15日、1962年11月4日、1963年9月22日
  • 佐藤栄作(11回): 1965年4月21日、1966年4月21日、1967年4月22日、1968年4月23日、1969年4月22日、1969年10月18日、1970年4月22日、1970年10月17日、1971年4月22日、1971年10月19日、1972年4月22日
  • 田中角栄(5回): 1972年7月8日、1973年4月23日、1973年10月18日、1974年4月23日、1974年10月19日
  • 三木武夫(3回): 1975年4月22日、1975年8月15日、1976年10月18日
  • 福田赳夫(4回): 1977年4月21日、1978年4月21日、1978年8月15日、1978年10月18日
  • 大平正芳(3回): 1979年4月21日、1979年10月18日、1980年4月21日
  • 鈴木善幸(9回): 1980年8月15日、1980年10月18日、1980年11月21日、1981年4月21日、1981年8月15日、1981年10月17日、1982年4月21日、1982年8月15日、1982年10月18日
  • 中曾根康弘(10回): 1983年4月21日、1983年8月15日、1983年10月18日、1984年1月5日、1984年4月21日、1984年8月15日、1984年10月18日、1985年1月21日、1985年4月22日、1985年8月15日
  • 橋本龍太郎(1回): 1996年7月29日
  • 小泉純一郎(4回): 2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日

 靖国神社は、かかる変遷を経て、現在、国内外に次の異なった2つの基準をもつようになる。すなわち憲法九条同様のダブル・スタンダードである。

 すなわち、中国、韓国、米国など対外的な理解として靖国神社は国家、国体とは無縁な純粋な一宗教法人とされている。他方、国内的にはA級戦犯までが合祀をされる国家及び戦時色が強い国家神道の延長線上にある宗教施設となっている。

 近隣の中国、韓国など過去、日本の侵略戦争により甚大な被害を受けた諸国からみれば、上記のダブルスタンダードは看過できない重要事となる。中曽根首相の1985年8月15日以降、首相の敗戦記念日の参拝は中止されている。しかし、それ以外の日程で小泉首相が依然として靖国神社に参拝し、他の閣僚、議員は堂々と参拝している。これらの事実は、日本政府が対外的にどうダブル・スタンダードを使おうと、中国、韓国などの近隣アジア諸国には、靖国神社が戦前、戦中のように国家神道の拠点として、国との関係が近づくものと見えるのは当然である。

 自民党の改憲提案、イラクへの自衛隊派兵の事実と相まって、戦前、戦中の靖国神社が復活するのではないかと危惧し不快感を露わにしているのである。

 これらのダブル・スタンダードは、憲法九条同様、日本的、すなわちなし崩し的手法、解釈でこの間行われている。既成事実を積み上げることにより、自衛隊の軍隊化、実質的な海外派兵化同様、日本国民自体、現在、「自国の戦死者を哀悼するのがなぜ悪い。」と考えるようになってきている。
  
 だが、憲法同様、原点に戻れば、靖国神社に戦犯を合祀することなどで、なし崩し的に既成事実を積み重ね、さらにそれらを現状追認することが、戦前、戦中の国家神道、日本の軍国主義の象徴に近づくことになりかねないことは、まぎれもないことである。

 もし、靖国神社参拝問題を我々が容認すれば、自民党の改憲提案同様、行く行くは日本が戦争が出来る国となる可能性は誰も否定できないと思う。