なぜ、戦争と環境にこだわるか
1960年代ベトナム戦争が勃発した。ベトナム戦争では膨大な量の枯れ葉剤を空中からベトナム全土に散布した。まさに枯れ葉剤で森を破壊し、地上を逃げまどうベトナムの兵士を攻撃ヘリや戦闘機から殺しやすくするのが米軍のねらいであった。1969年代、私が在学した大学で、教授の指導のもと卒業研究をしていた。そのテーマは「壁掛けテレビ」であった。卒業間近になってこれがベトナム戦争で使われる電子兵器の部品となることを助手から聞かされた。地上を逃げまどう兵士を空中から射撃するのに使う液晶パネルの研究であった。私は大きなショックを受け卒業研究を放棄した。留年する中。科学技術と人間、環境との関係につき自分なりに考えた。私が現在、戦争と環境にこだわっているのはこれがきっかけである。
卒業後、人類の危機リポート「成長の限界」で有名なローマクラブ日本事務局の門をたたいた。ローマクラブは、今で言うNGO、世界で100人が集まり地球規模の環境問題を研究するだけでなく、各国政府に政策提言した。先進国が途上国から資源エネルギーを収奪し豊かで便利な生活を続ければどうなるかを予測した。このまま大量生産、大量消費、大量廃棄を続ければ、21世紀半ばに地球規模の環境破壊やエネルギー資源の枯渇が起こるという報告をまとめ世に問うた。現状は、ローマクラブのその報告をはるかに超えて環境悪化が進行している。
冷戦構造は終わったが...
冷戦構造が終結し世界全体がやっと平和を謳歌できると思った矢先の1991年、湾岸戦争が起きた。その後も戦争が絶え間なく起きている。21世紀は環境の時代と呼ばれて久しい。しかし、21世紀に入っても世界を揺るがす戦争が各地で起きている。9.11後に起きたアフガン戦争、イラク戦争がそれである。過去10数年、環境に著しい影響を与えた戦争の多くは中東で起きている。こう見ると残念なことだが21世紀は平和の時代でも環境の時代でもないようだ。
ところで、地域から地球まで環境問題をつぶさに見てくると、「戦争こそ最大の環境破壊である」ことが分かる。疑いの余地がない。ベトナム戦争しかり、湾岸戦争しかりである。現代の戦争の大きな特徴は、戦争に付随し取り返しのつかない自然環境破壊が起きることである。戦争は環境を破壊するだけでなく、人体にも先天性障害、発ガン性、催奇形性、免疫毒性、生殖毒性などをもたらす。
ベトナム戦争で米軍が空中散布したオレンジ剤などの除草剤にダイオキシン類が含まれ、ベトナムの国土全体が汚染されたことは記憶に生々しい。戦後もベトナム本土だけでなく、従軍し帰還した兵士らに機能障害が認められている。ベトちゃんとドクちゃんはじめ先天障害をもつ子供が多数生まれている。湾岸戦争以降、米国は劣化ウラン弾を多用するようになった。
米軍の最新鋭戦車M1A1などが用いた砲弾にはそれら劣化ウラン(U238)が含まれており、中東の罪のない幼児や市民だけでなく、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争に従軍した兵士らに大きな後遺症を及ぼしつつある。
大変皮肉なことだが、現在、世界で最もダイオキシンや環境ホルモンなどの有害化学物質を研究している国はほかならぬアメリカである。米国政府はベトナム戦争によるダイオキシン禍も、湾岸戦争による劣化ウラン禍も否定しているが、戦争は罪なき市民、弱者とともにそこにかり出された兵士やその家族に大きな禍根を残すのである。
湾岸戦争からの大きな教訓
戦争が最大の環境破壊行為、環境汚染であることは間違いない。その戦争による環境破壊には大別して2つある。戦争行為そのものによる環境破壊と、戦争に付随して発生する環境破壊である。世界の火薬庫、中東で起こった湾岸戦争では、クウェートにある数100本の油井が炎上した。油井の炎上はすぐさま各種のガス状、粒子状の大気汚染として地域の住民の健康をむしばむ。それだけではなく酸性雨を周辺諸国に降らす。ススが空を覆いパラソル効果により地表で大幅な気温低下も起きた。
おびただしい数の原油の炎上は、実にドイツ一国並の二酸化炭素を排出した。半年近く油井の炎上が続いた結果、世界有数の原油埋蔵量をもつクウェート原油の10%以上が消失したと報告されている。他方、ペルシャ湾に流出した原油が甚大な自然環境破壊をもたらした。魚介類、海洋生物ばかりでなく海鵜はじめ野鳥、渡り鳥も多数甚大な被害を受けた。
湾岸戦争を環境アセスメント
湾岸戦争勃発に先駈け、環境総合研究所では、もし油井が炎上した場合の二酸化硫黄、二酸化窒素などの大気汚染物質、温室効果ガスである二酸化炭素排出スの排出量を推計し、周辺地域への環境影響、健康影響について予測を行った。さらに戦争そのものの環境破壊として戦略爆撃機、ジェット戦闘機、戦艦、航空母艦、ミサイル、戦車など、戦争行為そのものによる大気汚染、温室効果ガスの排出量も推計した。表には戦争行為そのものによる排出量も示している。
湾岸戦争では当初1日100万、最大時1日400万バーレルの原油が炎上した。ちなみに最大時では窒素酸化物は東京都全体、いおう酸化物は日本全体、二酸化炭素はドイツ一国に比肩する甚大な環境破壊となった。しかも、大気汚染はクウェート市など油井に近い地域に居住する人びとの健康に甚大な影響をもたらした。そればかりでなく、ジェット気流に運ばれてイラン、西アジア諸国に酸性雨をもたらした。他方、半閉鎖性水域であるペルシャ湾に一度流入した原油はなかなか拡散せず、海洋生物、鳥類に著しい影響をもたらした。世
戦争終結後、テレビ朝日やテレビ東京と連携してサウジ、クウェート、ドバイに現地環境調査を敢行した。大気採取器を現地に持ち込み、毎日大気を採取、数週間分を東京に持ち帰り分析。結果を公表した。湾岸戦争直後のクウェートではいおう酸化物が日本の環境基準の20倍、クウェートから1000km離れたドバイでも基準の3倍の高濃度が検出された。この結果は、あくまでも終結後のものである。戦争中はすさまじい大気汚染が環境を汚染し、人々の健康を蝕んだものと推定される。同時に実施した病院へのインタビュー調査でも気管支喘息など呼吸疾患を訴える人が急増していることも分った。
イラク戦争と環境影響
国連経済制裁下のイラクの原油生産能力は日量最大約250万バーレルと推定されている。2003年3月20日、米軍はイラクに対し巡航ミサイルを発射、イラク攻撃を開始した。クウェート内に駐留していた米軍はイラク南部の諸都市に進攻を開始した。同日イラク南部のルメイラ油井の一部に火が放たれ、約30カ所の油井が炎上した。イラク戦争では油井炎上は幸い湾岸戦争時に比べ限定されたものとなった。
しかし、イラク戦争では1万発を超える爆弾が投下された。そのなかには巡航ミサイルに加えクラスター爆弾、デージーカッター、マイクロ波弾、劣化ウラン弾も含まれる。イラク戦争では、湾岸戦争以来米英が使ってきた劣化ウラン弾による影響が懸念される。直接大気汚染としてひとの体内に入る放射能だけでなく、土や水に浸透し環境を汚染し続けることも問題となるだろう。
その後遺症ははかり知れないからだ。他方、あまり知られていないが、イラクにはチグリス川、ユーフラテス川が合流しペルシャ湾にそそぐ地域一体にすぐれた湿地など自然環境もあり、戦車、装甲車などがそれらの自然生態系を破壊していることも憂慮される。
ところで、2004年1月以降、米国では財務長官、CIA顧問らブッシュ政権の要職にあった人々が次々と大量破壊兵器そのものがイラクに存在しないことを暴露している。もともといかなる戦争にも正当性も正義もないと思うが、ことイラク戦争は、今なおイラク国内の戦火により多数ので人命が失われ、環境破壊が起きている。いかなる理由があろうとも、国際紛争の解決に武力を用いる戦争だけは世界各国とNGOの努力により抑止しなければならない。
湾岸戦争規模の戦争が一度起こると、世界各国が10年の環境保全努力がフイとなることを私たちは肝に銘ずべきである。 |