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信州自然探訪(6)   小布施町 その3
 青山 貞一

掲載日:2004.7.17

雁田山 山頂から見る小布施町全景撮影青山貞一


 小布施堂から車で10分足らず、雁田山の麓に曹洞宗梅洞山、岩松院がある。

 このお寺は文明4年(1472)に雁田城城主の荻野備後守常倫公が開基している。

 ところで小布施町と言えば、忘れてならないのが浮世絵師、葛飾北斎だ。その葛飾北斎は、晩年を小布施町で過ごし、89歳に亡くなっている。

 その葛飾北斎直筆の八方睨み鳳凰図がこの岩松院の本堂の天井にある(出典:岩松院HP)。

 写真撮影が禁止されており、見せられないが、上記のHPでも分かるように、鮮やかな赤、朱など、すばらしい色彩を放っていた。何でもこの絵の具は、植物油性の岩絵具であり、中国から長崎の商人の手を経て輸入した辰砂、孔雀意思、鶏冠石などの鉱石を使っているそうだ。受付のひとに聞くと、その絵の具は書いてから200年くらい経ったときが一番、鮮やかになるとのこと。もうすぐ北斎の没後200年だから、ますます八方睨み鳳凰図は、鮮やかさを増すこととなる。

■葛飾北斎の天井画がある岩松院遠景(長野県小布施町) 背後の山は雁田山

 岩松院には、戦国武将のひとりで、豊臣秀吉の重臣、福島正則の霊廟がある。さらに、かの一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだ蛙合戦の池もあった。この歌は一茶が54歳の時のものだそうだ。

 さらに、小布施の豪商、高井鴻山(1806〜1883)が書いた「無」と言う書がこの寺にあった。高井鴻山は高井熊太郎の四男。高井家は京都九条家ほか飯山藩の御用達を務める橙の素封家である。鴻山は15歳より京都と江戸に遊学し、当代一流の師について儒学、絵、書などを学んだ北信濃きっての文化人と言われている(出典:信州、小布施。岩松院より)

 小布施のまちづくりは、この高山鴻山の存在なくしては語れないのかも知れない。