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<連載>
世界二大運河通航記
 スエズ運河編(3)



阿部 賢一

2006年2月7日


阿部賢一(あべけんいち)氏プロフィール
1937年、東京生まれ。68歳。シビル・エンジニアとして主として海外プロジェクト従事。海外調査・交渉・現地駐在は南米、アジア、中東諸国に二十五年以上に及ぶ。海外関係講義、我が国公共入札改革への提言、環境活動にも参加。2005年完全引退後も東京、山形(酒田)を拠点にして海外情報収集分析に励む。


8. 運河通航開始

 39日水曜日、穏やかな夜明け。スエズ市の火力発電所の煙突から排煙がゆらゆらとまっすぐ上空に昇っていく。午前6時、待機中の船舶の中から、本船よりはるか沖合いに停泊していた大型コンテナ船が今日の一番船として本船右舷をかすめてスエズ運河に入っていく。いよいよ船団の航行開始である。

 本船トパーズ号は第8番船で午前655分、いよいよスエズ運河に入る。しばしば雨が降り先端デッキに立つと寒いくらいだ。

本船左舷はタウフィック港関係の諸施設、スエズ市内の工場、倉庫、事務所、住宅地がしばらく続きそれが途切れると、一面緑豊かな灌漑農地が続く。それと対照的に本船右舷は緑が皆無の荒涼たるシナイ半島の陸地が続く。

本船左舷側の陸地には、道標ならぬ運河標識が1kmごとに設置されているので、ポートサイドまでの距離が確認できる。本船が進むに従って標識の数字が1kmずつ少なくなっていく。始めはアラビア数字(通常われわれが使用している数字)の表示であったが、いつの間にかインド数字(アラビア語の数字)の標識となっていた。


スエズ湾スエズ運河入口左岸

写真の中央部分にポートスエズから168km(終点)の航路標識あり

 運河沿いには一定間隔で通航船の運行スケジュールをチェックする信号所が設けられている。各船がその信号所の前を通過するたびに、その船の計画通過時刻を表示して、水先人に通航時刻の維持状況を知らせる。その電光掲示板の一番上の表示が後続船の通過予定時刻、一番下がその船の通過予定時刻だそうである。船団の船間距離は時間にして約10分、距離にして約2kmといったところである。

午前9時、小ビター湖に入り、航路は双方向の通行が出来るようになる。小ビター湖と大ビター湖を短い区間結ぶカプリト・バイパス航路を通過すると、眼前に視界が開けて大ビター湖に入る。


9.     スエズ運河の下を潜るトンネル

アハメド・ハムディ・トンネル(Ahmed Hamdi tunnel)

スエズ湾から約17km地点、スエズ運河のビター湖入り口付近に、スエズ運河の下をくぐるアハメド・ハムディ・トンネルがある。英国政府により1983年に建設された。トンネルの長さは1,630m。アフリカ大陸とシナイ半島を結ぶ最初の道路トンネルである。しかし、完成直後からスエズ運河からの漏水問題が発生した。このため、199295年にかけて日本の無償資金供与により、トンネルの交通を通しながら漏水防止工事が行われた。施工管理は日本工営、施工は鹿島が行った。

Longitudinal section of Ahmed Hamdi Tunnel
アハメド・ハムディ・トンネル断面図

こんなところにも、日本の土木技術の施工がなされていることが、帰国後この紀行記を書くために調査していてわかった。この付近を通航しているときには全然気が付かなかった。あらためて、我が国シビルエンジニアの海外貢献を認識した次第である。

ODA経済協力 対エジプト無償資金協力供与実績

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画

年度

プロジェクト名

実績額(億円)

1991

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画(D/D

2.43

1992

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画(国債1/4期)

11.80

1993

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画(国債2/4期)

19.01

1994

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画(国債3/4期)

30.58

1995

アハメド・ハムディ・トンネル改修計画(国債4/4期)

14.49

 

合 計

78.31

出典:在エジプト日本大使館資料*2

 小ビター湖入り口から大ビター湖内は複線航路となっている。航路は湖のほぼ中心に設定されている。湖内には貨物船が数隻投錨停泊中であった。そして排水管を長く伸ばした浚渫船も二隻ほど確認できたが、オペレーションはしていないようだった。航路維持のため、定期的に浚渫しているのだろう。

午前1150分、大ビター湖を出てデルべソワール・パイパスに入る。運河は単線航路となる。本船左舷にはエジプト空軍基地、湖岸にはリゾート施設なども散在しているのが望まれる。

 本船デッキ上ではビヤガーデンが開店したが、降雨と寒さでビールや飲み物類はさっぱり売れない。

 やがて本船はティムサ湖に入る。ティムサ湖からスエズ運河と分かれてアル・イスマイリア運河が内陸側に入っていく。


10. イスマイリア通過

本船は午後1時、イスマイリアを通過した。本船左舷の運河河岸には、事務所や住宅が並んでいる。

 河岸の住民たちが本船の我々に手を振ってくれる。我々も手を振って挨拶する。しかし、本船右舷はこれと対照的に荒涼たる沙漠が続く。


イスマイリアに向かう 両岸は沙漠

 イスマイリア市は、大ビター湖、運河、ティムサ湖など水と緑に取り囲まれたエジプトでも珍しい環境にある。レセップス博物館、無名戦士記念碑などがあり、スエズ運河庁の本庁もここにある。

カイロから「砂漠ハイウェイ」経由で120km、一般国道経由で130km、スエズ運河のほぼ中間地点に位置している。周辺にはヒクソス、ギリシャ・ローマ時代の遺跡もあり、ティムサ湖周辺は観光リゾートなっている。人口は808千人。繊維産業、食品産業、電気器具産業、農耕畜産プロジェクトが盛んである。最も重要な農産物は、クローバー(牧草)、トウモロコシ、ゴマ、そして小麦などである。漁業生産量はエジプト全体の約82%を占めている。運河は勿論のこと、道路、鉄道の要衝でもある。

 ティムサ湖からティムサ・バイパスに入る。約20km進むと、本線左舷にアル・フェルダンの町並みが運河沿いに並ぶ。運河の両岸に、スエズ運河をシナイ半島側に渡る鉄道旋回橋が見えてくる。

つづく