<連載> 世界二大運河通航記 スエズ運河編(1) 阿部 賢一 2006年1月28日 |
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ピースボート主催『第48回地球一周の船旅』に参加した。2005年2月2日、横浜を出港、西回りで、105日間、30,859海里*、57,151キロの地球一周航海を終えて、5月17日横浜に帰港した。 * Nautical Mile、1 international nautical mile=1,852m、 乗船したのはパナマ船籍トパーズ号**(TSS The Topaz)。1955年、英国グラスゴーで建造、進水式にはエリザベス二世女王が列席され、エンプレス・オブ・ブリテン号と命名されて、北大西洋航路に就航した。その後、米国と地中海、カリブ海クルーズなどを行っていたが、2003年からピースボートがチャーターして、地球一周の船旅を行っている。 **総トン数/31,500トン。乗客定員/1,280 人、クルー/約400人、航海速度/最高18ノット、全長/195m、全幅/27m、喫水/9m、デッキ数/九階、エンジン/タービンスティームシップ。 人間の年齢でいえば百歳ちかい老朽船だが、10年ほど前に大改装して、まだまだ現役大活躍である。筆者が横浜で下船した5月17日午後、次の第49回地球一周の船旅に再び出港していった。 今回のクルーズは、海外19港に寄港し、各地でオプショナル・ツアーを楽しんだ。今回の船旅で筆者の目的の一つは、世界の二大運河、スエズ運河とパナマ運河を通航することであった。それぞれ、早朝から午後/夕方までの終日、両岸の景観を楽しみながらの素晴らしい航行であった。以下、運河を航行しながら、両岸の自然を楽しむと共に、環境汚染の現状や目で見たさまざまなインフラストラクチャーの歴史や現状をたどってみた。 [2] スエズ運河通航紀行記 1. 紅海 紅海(Red Sea)はアフリカとアラビア半島に挟まれた海である。なぜ紅海というのだろうと疑問が湧く。 エリトリアのマッサワ港を3月6日午後出港して紅海に入ってきたのだが、アフリカ本土側も、アラビア半島側も荒涼たる赤茶けた沙漠と岩山が遠くにかすんでいる。両岸の赤茶けた自然に太陽の光が当り、反射して海面があかくみえたため、紅海と呼ばれたという説がある。もう一つは、赤茶けた沙漠の土に由来するという説もある。本船から両岸を見ていると、成る程と頷きたくもなる。その「紅海」という呼ばれ方は、遠くギリシャ・ローマ時代からのものであり、現に出港してきたマッサワ港の国名、エリトリアというのは、ギリシャ語で「赤い」を意味し、紅海に由来する。 紅海を航行していくやたらと藻類が浮遊していて、青い海がにごっているような感じである。 しかし、調べてみると意外なことに、この浮遊藻類にも関係することがわかった。 「紅海」命名の最も有力な説はトリコデスミウムというラン藻類原因説である。日本ではアイアカシオなどの名前でも呼ばれるもの。日本近海でも大発生して、漁業関係者を大変困らせる。プランクトンの一種で赤潮発生の原因になっている。赤潮発生の主な原因は、海などで窒素やリンが多くなって富栄養化が起きるからだといわれている。しかし、赤潮の発生原因は富栄養化だけというわけではないようで、酸性雨などが引き金となることもあり、まだまだ不明の部分も多い。 もうひとつは、「出エジプト記」のモーゼの奇蹟。紅海で起きたとされているが、聖書では「ヤム・スフ」で起きたと書かれている。このヤム・スフの意味は、葦の生い茂った湖や海、砂州という意味である。 葦の海は Reed Sea 、紅海は Red Sea と "e" が一つ違う点にあることに注目して、誤訳だという説だが、どうもこれは英語オタクの考えすぎである*1。 ギリシャ語の「赤い」がどうやら「赤潮」を指すと考えるのが妥当ではないだろうか。 いずれにしても、狭い海で海流が弱くよどみが多い。両岸も降雨量の少ない沙漠乾燥地帯である。 紅海が清んだ青い海であることを期待する方が間違っている。その紅海の最奥のスエズ湾、石油開発とギリシャ・ローマ時代から多くの人間が住み着いた土地、大都会スエズの都市汚染の流出、スエズ運河が紅海の水質汚染悪化を加速させるのではないだろうか。 2. スエズ運河入り口到着 横浜を出港してから35日目の3月8日午前11時近く、本船トパーズ号は紅海からさらに幅の狭くなったスエズ湾に入る。薄曇りの天気であったが海上はベタナギであった。ベタナギだとイルカの出現が期待できるのではないかと航海経験者がいう。先端デッキで海上を眺めていると、予想通りイルカ出現、あちこちにイルカの群れが遊泳しているのを観察できた。 スエズ湾にはいると、油井、それから延びる桟橋の先のフレアスタックからは排ガスの黒煙がベタなぎの無風状態の中でゆらゆらと真っ直ぐに上空に昇っている。本船の右側がシナイ半島、左側がアフリカ大陸、いずれも、緑が全然みられない沙漠と茶褐色の岩山が遠望できる荒涼たる風景の連続である。 本船から眺める海面には石油掘削のためか、油膜が拡散しているのが目立ち、油ボールやクラゲなどの浮遊物が多くなる。 夕方から風が強くなり、雨も降り出した。午後11時、スエズの街の灯りがまぶしく感じられる。スエズ運河入口付近に本船は投錨した。 3. スエズ湾の汚染 平成14年(2002年)2月発表の『JICA国別環境情報整備調査報告書
』には、紅海沿岸、特にスエズ湾についての水質汚濁の項目がある。それによれば、スエズ湾の石油関連工業及び紅海、スエズ運河における石油輸送が石油の流出を引き起こし、石油汚染の主要な原因となっている、という。 スエズ湾に入り、漁船による漁が散見されたが、スエズ湾両岸の荒涼たる沙漠とその背後の岩山という自然環境と、人工的な汚染の増加を考えると、漁獲量は減少の一途にあるのではないだろうか。 4. エジプトの石油情勢とスエズ湾油田開発 エジプトのエネルギー資源としては、石油・天然ガスがある。石炭も、埋蔵量はそう多くないもののシナイ半島において開発が進められている。 2003年7月、エジプト〜ヨルダン間のガス・パイプラインが開通し、ヨルダンへの輸出が始まった。さらに、2004年にはスペイン向け、2005年にはフランス向けに液化天然ガスの本格的輸出プロジェクトが進められている。 エジプトの主要天然資源の指標は次の通りである。
出典:在エジプト日本大使館資料*2 日本企業勢の活動としては、1975年6月、エジプト石油開発株式会社(帝国石油子会社)が、エジプト政府との間に、同国スエズ湾沿岸の東部砂漠、ウエスト・バクル地区を対象に、石油探鉱・開発協定を結んだ。帝国石油はこのプロジェクトに対し資本参加と技術支援を行い、事実上のオペレーターとして探鉱作業を進めた結果、三箇所の構造で油田を発見し、1980年から商業生産を開始している。その後も開発井の追加掘削を実施しながら、現在日産約5,000バレルを生産中ある。 さらに、帝国石油は、2003年12月、帝石スエズSEJを設立。スエズ湾のサウスイーストジュライ鉱区での探鉱・開発事業に参加し、2004年7月から試掘作業を進めている*3。 一方、アラビア石油株式会社は、今年(05)年2月25日、スエズ湾のノースウェスト・オクトーバー鉱区における石油・ガス探鉱・開発を目指して国際入札に参加して、同鉱区を落札した旨の正式通知を受けたと、発表した。今後、エジプト政府の所要手続きを経て、エジプト政府およびエジプト石油公社と生産分与契約を正式に締結し、本年後半までには全ての手続きが終了する予定で、その後直ちに探鉱作業を開始し、07年からの石油・ガスの商業生産を目指していく予定である*4。 スエズ湾に入って、海中に石油掘削関係施設が多数設けられているのを本船から眺めて、スエズ湾岸の陸地・海中で石油開発が相当に進められていることを始めて知った次第である。 つづく |