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連載 第10回

目と目で通じ合うんです?

守 大助

2007年7月21日


 皆さん、これは歌の歌詞ではありません。刑事裁判という法廷の中で発言された言葉なんです。

 平成12年11月13日、4歳男児 FES手術後に急変した時に、点滴保管するのに半田教授が、妻である郁子医師へ目で合図したという証言した時に!

 “私たちは夫婦だから、目と目で通じ合う仲なんだ”という旨を証言した。

 たしかに、夫妻なら目で意思疎通ができるのだと言えるかもしれませんネ。

 このHPを見てくださっている皆さんも、“目と目で通じ合うさ”と思われるかも知れませんが!

 そこで、少し考えていただきたいんです。

 半田教授は、まず急変した原因も確認していないし、急変した時に“何が”点滴されていたかも確認していないのに!

 郁子医師の目を見て、視線を点滴スタンドへ(点滴をつり下げるT字型のスタンド)移し、また郁子医師の目に視線を移したと。

 それで、何をしろという意味か理解して郁子医師は点滴(抗生剤のみ)をスタンドから誰にも見られないように回収したと法廷では証言しました。病室には職員だっているんです。半田夫妻はこの時、病室に私が居たのか確認していないと言ってます。

 とにかく!誰にも見られない、気付かれないよう回収したと。なのに私には注意していない!不自然です。私に見られたら、見つかったらどうしたのでしょう。

 法廷でと書きましたね。そうなんです。このストーリーは、検察官調書、検察冒頭陳述ではなかった。全く違うストーリーでした!

 どう供述していたかというと、保管する認識もっていたのは郁子医師だった。

 “当直に指示を出して、その間に点滴(抗生剤)をポケットに入れた・・・・(略)・・・教授とすれ違った時誰にも見つからないよう、ポケットから点滴を出して教授へ渡した”とされていました。

 どこにも教授から合図されたという調書はありません。

 まして、第一回公判の検察冒頭陳述でもこの方法だったんです。“目と目で通じ合う”作業を忘れるでしょうか。しょっちゅうある出来事ではありません。この11月13日しか“目と目で通じ合う”作業してないんです(実際は保管することすらしていないですからネ!)。

 それが法廷では、教授からの合図でとなりました。どうしてこんなに違う供述になったのかというと・・・・郁子医師は検察官調書作成時、“体調を崩して入院していて、記憶が混乱していた”と。

 教授については“記憶と違うが、検事が郁子がこう言っていると言われたし、郁子に悩ませないように、検事に従った”と。

 しかしですよ、検事が基にするのは警察官調書なのですから、記憶が混乱したという理由にならないし、まして点滴回収をどうしたかについては、忘れないし、混乱すること無いです。

 教授だって“私の記憶ではこうだ”と供述できるはずです。

 そうしないのは、当初は郁子医師が保管(自分から)していたというストーリーにしていたから以外にありません。

 変遷する必要があった!それは抗生剤を調合されていない点滴に切り替えるのを、郁子医師自らしなければならなくなってしまうからです。それは無理なんです。点滴は時間で滴下されるように、輸液ポンプという機械で滴下されていたからです。郁子医師はその操作ができる人ではありませんでした。

 輸液ポンプのブザーが鳴っても私たちにすぐ対応を求めていましたからネ。
私は、そういう事もあって、変遷したと思っています。

 裁判官は“記憶が混乱”していたということを、疑いなく信用あるとしました。

 回収したという状況が全く違うのに!!信用あるとするのだからひどいものですよ。

 “目と目で通じ合う”というならば!!血液についてだって、声に出さなくても意思疎通できるはずです。

 もっとも夫婦だからといいますが、下山さんについては、教授は郁子医師が保管していたことを知らなかったというのです。

 “急変したら保管”という意思疎通が出来ていたというのですから!知らなかったというのも不自然だし、下山さんの時は外来に教授が居るのに伝えもしない、そんな夫婦が“目と目で通じ合う”なんて言えますか!

 検察官調書・検察官冒頭陳述でも全く違う回収方法だったのに、どうして信用あるとできるのでしょうか。

 私の一生を、こんなデタラメ証言ばかりで、決められる。冗談じゃないです。