戦争について考える 「愛国百人一首」の時代 池田こみち 掲載日:2014年8月9日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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まもなく69回目の終戦記念日8月15日がやってくる。新聞・テレビもこのときばかりは「戦争」について考える記事や特集が多くなる。特に今年は秘密保護法が成立し、集団的自衛権が閣議決定され、さらには、中東やウクライナ・ロシア国境での紛争など世界で戦争が頻発していることも有り、人々の間に再びこの国も戦争に向かっていくのでは、との不安が増幅しているように感じる。 私は戦後生まれだが、物心つく頃はまだ終戦直後、戦争の傷跡があちこちに残る時代であり、生き残った人たちの生の声も多く聞くことができた。父は軍医としてニューギニアの前線に赴任し、銃弾に倒れた兵隊や怪我の治療が如何に大変だったか時折言葉少なに話していた。 また、自らもマラリアに罹患して最期の船で帰還してからも震えが止まらないというマラリアの症状に悩まされたという。叔父は、自動車整備技師としてベトナムに派兵され、上官に殴られたことやジャングルの中でフランス軍と戦った話を95歳で亡くなるまで繰り返ししていた。母や叔母たちは東京大空襲のあった戦争末期にも都内(今の港区青山)にとどまり、降り注ぐ焼夷弾の中を防空壕に避難し、焼け出され着の身着のまま逃げた話を何度も聞かされた。 そんな訳で、うちには、戦禍をくぐって残っている品物がほとんどないのだが、座敷の床の間の書院棚の中に、「愛国百人一首」という歌留多(かるた)が残されていた。昭和30年代、私が小学生の頃だが、家では毎年お正月に親戚が大勢集まり、みんなで夜遅くまで歌留多に興じるのがささやかな楽しみだった。 写真0:歌留多に興じる池田家の座敷の様子 もちろん、この頃の歌留多は「小倉百人一首」である。棚の片隅にあった「愛国百人一首」は、戦後一度も使われることなく棚の奥にあったのだ。 あるとき、家を引っ越すことになり、出てきた「愛国百人一首」についての思い出を久しぶりでみんなで話す機会があった。 写真1:愛国百人一首箱の表 注)愛国百人一首の左側に「小倉」と筆で書いたのは私の母 大子である。 写真2:同 箱の裏 −−−−−箱の記載は以下の通り−−−− ●表面の記載 認定 情報局 選定 日本文学報告会 協力 毎日新聞社 後援 陸軍省、海軍省、文部省、大政翼賛會、日本放送協會 山内任天堂謹製 ●裏面の記載 発行所 山内任天堂 京都市下京区面通大橋西入鍵屋町三四二 印刷所 和多田印刷所 京都市下京区東九條河邊町四五 印刷者 和多田興太 発行者 山内積良 編 纂 − 印 刷 昭和17年12月3日 発 行 昭和17年12月8日
この「愛国百人一首」が作られたのは昭和17年暮れ、戦争が激しさを増している時代である。歌舞音曲は自粛、遊興ももちろん厳しく統制されていた時代である。庶民のささやかな楽しみである歌留多ですら、「小倉百人一首」は男女の恋愛感情や男女の別れなどをテーマとした歌が多いことから禁止されることとなったのだ。そして、代わりに登場したのが「愛国百人一首」である。Wikipediaの説明にもあるように大政翼賛運動の一環として、「聖戦下の国民精神作興」が企画の目的だったというのだから驚く。小倉百人一首にも登場する柿ノ本人麻呂の歌をひとつだけ比べてみよう。 愛国:大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬(いほり)せるかも 小倉:あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 独りかも寝む といった具合である。 母は五人兄妹(男一人、女四人)の長女で、下に三人の妹がいた。愛国百人一首を購入した当時、19歳の母を筆頭に四人の姉妹はどうしても小倉百人一首で遊びたいとのことから、愛国百人一首の読み札と取り札の裏側にすべて和紙を貼り付け、手書きで小倉百人一首の歌を書いたのだ。読み札には小倉百人一首の歌を書き、取り札には小倉百人一首の下の句を書いて取り札とした。 写真3:愛国百人一首の読み札 写真4:愛国百人一首の取り札 写真5:裏に書いた小倉の読み札 写真6:裏に書いた小倉の下の句(取り札) 書いたのは四人の中で毛筆がなんとか書けた母とすぐ下の妹の二人とのことだ。今でも二人の筆跡がしっかりと見分けられる。先日、その叔母が「これは私の字」と言って懐かしがって歌留多を手に取っていた。 愛国百人一首の裏に書いておけば、もし万一憲兵さんが来ても「裏返せば分からない(誤魔化せる)」というのが母たちの戦略だったようだ。 いまでも家にある「小倉百人一首」の歌留多は昭和21年ごろの浅草の日本遊戯玩具特製のものらしい。 写真7:小倉百人一首の箱と中身 注)小倉百人一首は雅な箱の装丁と手札にも平安時代の歌人の絵が彩色で施されている 戦争の時代にはこうしたことが平然と行われていたのである。玩具や子供の遊戯を通してまでも、大政翼賛、偏った愛国心の高揚に血道を上げる国家の姿が見える。また、それに何の抵抗もせず、毎日新聞やNHKが協賛し普及に協力している様子が見て取れる。まさに大本営発表である。また、その時代のメディアの姿勢を問う証拠でもある。 終戦記念日を前に、今、安倍自公政権のもと、この国はどこに向かおうとしているのか、情報が統制され、言論が統制され、文化が損なわれていくことも危惧される。それだけでは済まされない。人々の心や感情をねじ曲げ明るい未来を奪うことになることをもう一度思い起こしてみる必要がある。 薄暗い裸電球を新聞で覆った茶の間で母たちが賢明に筆を走らせてつくったお手製の小倉百人一首、これからも大切にしていきたい。そして、戦後生まれの私たちも、親たちから聞いた戦争の悲惨さを語り継いでいくことがこの世代の役割でもあるのではないかと感じるこの頃である。 |