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甲午の初釜

池田こみち(宗蹊)
掲載月日:2014年1月13日
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※ 独立系メディア E-wave Tokyo 茶道

 今年の成人の日を挟む連休は穏やかな天気に恵まれ、恒例の初釜をいつもどおり行うことができました。


写真@つくばい


写真@b庭

 今年は、隣に住む叔母のところが喪中でもありましたので、社中だけでこじんまりと執り行い稽古始めといたしました。

 本席の軸は、表千家先代家元、即中斎宗匠の筆による「春入千林処々鶯」、床飾りは、楽のコウネンキを爪紅の桂盆に乗せ、花は青竹に枝垂れ柳と紅白の椿、琵琶台には朱杯に載せた三番叟を飾り、柱にはカリロク(訶梨勒)も掛けました。これは室町時代に薬草などを綺麗な布袋に入れて飾り物にしたことから始まったとされています。一種の魔除けのようなものではないでしょうか。

 庭には霜が降り、まだ鶯の姿も声もありませんが、一足早く初釜の床の設えで春を感じることができます。季節を先取りすることが肝心です。季節感が次第に失われつつある今日、日本の文化は季節と共にあることに改めて気づかされます。それにしても、今年は昨年からの異常気象のせいか、庭の椿の開花時期が狂ってしまい、ほとんど使える状態のものが有りませんでした。


写真A座敷全体

 棚は2006年以来、8年ぶりに高麗台子を使ってみました。宗旦の好みでその名の通り、朝鮮(高句麗)から琉球貿易を経て到来したものとされています。黒の一閑張りで重厚な雰囲気を醸し出しています。

 水指は午年にちなんで呉須染付の菱馬水指、年女の叔母が大切にしている道具の一つです。棚が黒いので、染め付けの水指がとても引き立ちます。この水指も新渡りといい、中国・朝鮮を経て大陸からもたらされたものです。こうしてみると、中国・韓国からの美術品は茶道にとってとても重要なものであり、親しく交流したい隣国です。


写真B棚


写真Bb棚

 いつも通り、新年の挨拶の後は、炭台での初炭の点前を行い、炉にたっぷりと炭をつぎます。炉の季節は大きめの炭ですので、火力も強く、真っ赤な炭と大きな釜の口から立ち上る湯気でとても暖かくなります。


写真C炭点前

 初釜の香合は毎年同じ、奈良彫りのブリブリです。ブリブリ(振々)は、もともと子供のおもちゃで、焼き物でも木彫のものでも、地に金箔を張り、鶴亀、松竹梅、高砂などの絵柄を配したものでお正月には魔除けとして室内に飾ったりしたものです。

 それを表千家六代家元覚々斎(1678-1730)が香合として好みました。車をつけたブリブリのおもちゃを引っ張って遊ぶとブリブリ音がしたことが名前の由来とも言われています。


写真Dブリブリ

その後、ちょうどお昼ごろになるので、懐石を出し、懐石が終了するといったん席を改め、島台のお茶碗での濃茶へと続きます。茶事では、亭主が客に濃茶をもてなす部分がもっとも重要なパートとなります。

 懐石では酒と肴で賑やかに華やいだ空気に包まれますが、濃茶になると、がらっと茶室の空気が変わり、引き締まった緊張感に覆われます。濃茶を練るときは、結構力と神経を使いますので、かんかんと炭がおきている炉の前では汗ばむくらいです。新年最初のお茶を美味しく点てて、また一年頑張ろうと思う瞬間です。


写真F濃茶点前

 主菓子は毎年、赤坂虎屋の薯蕷製 紅餡入饅頭(根引き松の焼き印)と決めています。濃茶は京都小山園の「葉上の昔」を使いました。今年は、大樋焼きの島台を用いました。


写真G主菓子

 お濃茶が済めば、再び、茶室の空気は一変し、和気藹々とお正月らしい緩んだ雰囲気に戻り、社中が交替で後炭の点前や薄茶を点てて楽しみます。濃茶の後には籤引きもありますので。

 干菓子は京都末富の味噌合わせと松葉の州浜、そして紅白の千代結びの有平糖です。そして、干し柿を切って星形にしたもの。薄茶の茶碗には干支のお茶碗やお正月らしい茶碗をいろいろ出して楽しみました。


写真H干菓子


写真Hb干菓子

 3周り前の午年の茶碗も久しぶりにお目見えでした。また、今年は特に富士山は欠かせません。そのほか、寒牡丹、初音(柳に鶯)などを出してみました。

 かくして、毎年恒例の一大行事が無事に終了したというわけです。朝11時に始まってすべて終了するのは午後3時過ぎとなります。道具組を考えて道具を出し、食材の買い出し、料理、終了後の片付けなどわずか数時間のためについやす時間と労力は大変ではありますが、みんなで協力して毎年行うことでいろいろなこと(道具や点前だけでなく精神文化も含めたおもてなしの心とか礼儀とか・・・)が伝えられていくということだと思います。お疲れ様でした。

写真J集合