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ベトナム戦争の枯れ葉剤、
今も沖縄に
池田こみち  
環境総合研究所副所長

掲載月日:2012年1月26日
 独立系メディア E−wave


 ベトナム戦争終結から40年が経過し、歴史の一コマとして人々の記憶からも消えつつある昨今だが、沖縄にはまだその痕跡が色濃く残っている可能性が高いことが明らかとなってきた。

 以前から、沖縄にもベトナム戦争で散布された除草剤(枯れ葉剤)Agent Orangeなどが埋められているのではないかといった話はよく噂されていたが、昨年夏、イギリス人のジャーナリストが米退役軍人に直接取材して、その実態が「証言」として明らかになったのだ。

 最も毒性が高いとされる2,3,7,8-TCDDを副成物とするAgent Orangeが沖縄県内各地の基地内あるいは基地周辺で@散布実験されたり、Aベトナムから持ち帰ったドラム缶を埋立処分したり、B散布作業に携わった米兵が被曝したり、機材を洗浄した水が垂れ流されたりした、といった極めて具体的な証言が多数明らかにされたのはこれまでにないことであり、名指しされた地域の地元住民は、大きな不安を抱えることとなった。

 市民グループも立ち上がっている。昨年夏からやんばるの森の自然保護活動を積極的に展開している沖縄・生物多様性市民ネットや奥間川流域保護基金のメンバーらを中心に独自にジャーナリストを招いてシンポジウムを開催したり、行政当局への申し入れ、要望などを積極的に行っている。

 しかし、国(外務省、防衛省防衛施設庁)は、米国当局に問い合わせた結果「沖縄に枯れ葉剤を持ち込んだ(使用したり、埋め立てた)という記録がない」との回答を受け、そのまま沖縄県や市民に米国側の回答をオウム返しにしているだけで、退役軍人の証言や県内の実態についての裏付け調査は行われていない。

 そうした中、市民グループからの依頼を受け、市町村や沖縄県が「県民の不安を解消するため」として、中途半端な調査を行って幕引きをしてしまうことがないように、と第三者的立場からこの問題に対する市民や自治体の対応についての意見書のとりまとめを行うこととなった。

 急遽、1泊2日の沖縄現地視察と市民グループとの協議のための日程を調整し、旧正月にあたる1月23日〜24日の両日、沖縄を訪問した。

 意見書はいずれ市民グループを通じて、関係市町村や沖縄県にも届けられることとなるので、その折にはE-wave Tokyoでも公表したいと思うが取り急ぎ、今回の訪問の概要について写真で紹介しておくこととする。


1月23日(月)10:00am

 那覇空港着 市民グループと一緒に一路、北部訓練場(東村高江地区)の返還された米軍施設跡地で、40年以上まったく草木の生えない場所があるというのでその現場に向かった。

 東村高江地区には、ヘリパッド建設に反対する市民グループの前線基地がいくつもある。まずはその活動拠点を訪問し、テントに集まっている市民を激励、説明を受けた後、現場へと向かった


撮影:鷲尾真由美さん
高江地区ヘリパッド反対前線基地テント前で説明を受ける


撮影:鷲尾真由美さん


撮影:池田こみち
高江地区の返還された米軍施設跡地を視察

 その後、やんばるの森のカフェ(カフェ山甌 (やまがめ)http://r.tabelog.com/okinawa/A4702/A470203/47002334/)で手作りのカレーを食べて一服し、やんばるの森を横断して、名護市役所に向かった。

 名護市は現在、辺野古のアセス問題で市民も行政も手一杯となっている中、米軍が枯れ葉剤を含む排水が市内の港湾内に流れ出た可能性があるとして、市長も問題の解決に向け動き出そうとしている。私たちは市役所を訪問し、この問題に取り組んでいる市議をなかだちに、副市長にもご挨拶し、担当課長と短時間お話しすることとなった。すでに夕方4時近くになっていた。


撮影:鷲尾真由美さん
名護市役所で副市長に挨拶し、担当者と面談

 市役所を出た私たちは、市役所近くの名物沖縄そば店で、おばーたちのてづくりの美味しい沖縄そばで夕飯を済ませ宜野湾市内のホテルに向かって一路南下した。折しも、沖縄県でも最も寒くなる旧正月元旦、お天気は今にも泣き出しそうに厚い雲に覆われ、雨もちらほらだったが幸いなことに無事、予定通りの日程をこなすことができた。

1月24日(火)09:00am

 宜野湾市内のホテルを出発し、北谷町役場へ向かった。北谷町は、この問題が発覚し、いち早く町長主導で補正予算を100万円確保し、住民の不安を払拭するためとして分析調査を行うことを発表していた。10時から小一時間、野国町長と担当課職員と意見交換を行った。その後、私たちは、2002年に北谷町内の商業施設開発工事の折りにドラム缶200本余が発見されたという現場に移動、いまはハンビータウンとして若者も多く集う北谷町の海沿いの町を視察した。


撮影:池田こみち
北谷町役場外観


撮影:池田こみち
北谷町 ドラム缶発見現場でマスコミ対応

 そこから歩いて、白比川の河口、アラハビーチ付近を視察した。


撮影:池田こみち
白比川河口


撮影:池田こみち
北谷の海岸の状況

 その後、北谷海岸の近くで昼食をとり、午後3時から予定されていた市民グループとの学習会に臨んだ。

 帰りは最終便で午後8:00に那覇を出発、自宅に着いたのは23時を回っていたが、密度の濃い有意義な視察調査となった。これから、意見書とりまとめを行うこととなるが、この問題が単なる有害化学物質の汚染除去といった目先の問題解決にとどまらず、米軍基地の抱える環境問題の闇にするどく迫れるものとなるよう、腰を落ち着けた取り組みを第三者として支援して行きたい。