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「ダーウィンの悪夢」
試写参加記


池田こみち

掲載日:2006年11月10日


 ようやく「ダーウィンの悪夢」を鑑賞する機会を得た。また、同時に、監督を交えてのシンポジウムも開催され、大いに刺激的なひとときを過ごすことができた。

 「ダーウィンの悪夢」は、今年ちょうど40歳になるオーストリア出身のフーベルト・ザウパー監督の手になる長編ドキュメンタリー作品である。前作「KISANGANI DIARY」(1998年作品)は、ルワンダ内戦による8万人のフツ族難民の行方を追ったドキュメンタリーとして好評を博した。そして、その流れを受けた、「ダーウィン・・」が再び世界で高く評価され、多くの国際的な賞を受賞したこともあり、監督曰く、「この2年間は、世界各地での講演活動や、ヨーロッパやアメリカで映画を教えていて、映画を作っていない」とのことだ。

 この作品は、経済のグローバリゼーションに搾取されるアフリカの現実を伝えている。すなわち、ヴィクトリア湖畔に生活するタンザニアの人々の今を通して、アフリカ全体の抱える問題、世界が直面している問題を鋭く暴いているのである。

 現地人の食糧事情を改善するため、よかれと思ってヴィクトリア湖に放たれた数匹の外来魚ナイルパーチが、結局はヴィクトリア湖の生態系を破壊し尽くし、繁殖したことによりヨーロッパ人や日本人の食卓を潤しはしたものの、ナイルパーチという資源にむらがる一部資本の繁栄が、現地では多くの悲劇を生むさまを描き出している。第三世界の資源に群がるグローバル経済システムの行く末こそがまさに、「環境に適応した種の進化」ともいうべき、「悪夢(Nightmare)」そのものなのだ、と気づかされる。

 「ダーウィンの悪夢」は、きわめてジャーナリスティックにタンザニアのヴィクトリア湖周辺の現実を伝えている。

 ドキュメンタリー作品というと、しっかりとしたナレーションが映像を説明し解説する、ザウパー監督のいうところのいわゆる「BBC」的な作品を思い描く向きも多いと思うが、この作品は全く違っていた。

 あくまで登場する人々に直接語らせる手法を採っているのである。そのため、時として言葉が不明瞭であったり、難解であったりするが、反面、一人ひとりの表情や眼差し、動きなどがいっそう見る者の心に迫り、リアリティを突きつけられる。白身魚を古めかしいイリューシンに乗せてヨーロッパやロシアに運ぶ輸送機のパイロットや彼らの相手をする娼婦の表情、ストリートチルドレンのうつろな瞳、魚類研究所ガードマンの淡々とした語り口と鋭い眼孔など、どの映像も彼らの言葉とともに心に残っている。日本から物理的な距離だけでなく、心情的にも最も遠いアフリカの現実を見せつけられて、ある種のショックを受けたのは私だけではないはずである。

 見捨てられた人々の声なき声を集め、表情を写し出したこの作品の価値は大きい。

 今回、試写の後に1時間半弱のシンポジウムが企画され、監督の生の声を聞くことができたのは大変収穫だった。監督は、この作品が多くの人の目にふれ、現実に起きていることに対する「疑問」を共有化されることが最も重要であり、制作の狙いでもあると語った。チャリティではなく、解決策について、作品を見た人がそれぞれに考え行動することが求められている。まさにその通りだと思う。

 シンポジウムにパネリストとして参加された松本仁一氏(朝日新聞編集委員、ナイロビ支局長、中東アフリカ総局長を歴任)は、この作品を見た感想として、タンザニアのようなアフリカの「国家・公の欠如した国」、「国家が機能していないおかしな国家」とどうつきあうかということを考えるきっかけとなる映画として価値がある、という趣旨の発言をされた。

 また、「アフリカに希望はあるか、腐敗の再生産を断ち切れるか。希望に向かってどうすればよいのかを考えることが重要であり、それは我々にも直結する問題だ。」とも指摘された。

 一方、勝俣誠氏(明治学院大学教授、専門はアフリカ地域研究)も、「政治がない」、「公をどう回復するか」、「市場優先の問題点に気づき、反抗する人々が出てこないことが問題」「ラテンアメリカの人々はようやくそれに気づきはじめ、システムを理解し現実を見て、現実を変えようとしつつある。

 アフリカ諸国もラテンアメリカから15年程度遅れてそれに気づくのではないか。」、「声なき声を伝えることは重要だ。今は国際関係の中心がセキュリティに移り、開発が置き去りにされているが、アフリカ諸国では、むしろセキュリティより開発に力を注ぐべきである。」といった意見を述べられた。

 たしかに、この映画をみて、アフリカ諸国のおかれた現状を国家の在り方という側面から見ることも必要かも知れないが、むしろ、この映画が問いかけているのはより普遍的な問題なのではないだろうか。

 先進国の一員として搾取する側にいる我々日本の国の在り方こそ問うべきではないだろうか。また、国内の政治の腐敗、経済社会の利権、格差が進む社会、吸い上げられない声なき声、今の日本にもタンザニアと同じような報われないシステムがはびこってはいないだろうか。現実を伝えたもの、事実を暴いた者が潰されていく社会になっていないだろうか。

 また、同に私たち自身の資源・エネルギーの使い方、食べ物に対する考え方、ごみの扱い方、子供の育て方、など先進国のライフスタイルこそおおきな課題を抱えていることに改めて目を向けてみなければならないのではないだろうか。

 重くて厳しい現実を突きつけられる作品だが、是非多くの若者に見て欲しい作品である。