「ダイオキシンの夏」 北イタリアのセヴェソ事件から 今日で30周年 池田こみち 掲載日:2006年7月10日 |
参考:青山・池田:イタリア:セヴェソ編 2006.3 今日7月10日は北イタリアのセヴェソが隣接する町で操業していた化学工場ICMESA(イクメサ)の爆発事故により、ダイオキシン汚染被害を受けたその日であり、まさに30周年の記念すべき日に当たる。1976年のその日、夕方悲劇が町を襲った。 3月に現地を訪問したが、そのときはまだ春浅く、住宅地も汚染されたエリアを広く隔離して作られた樫の森公園も訪れる人もなくひっそりと静まりかえっていたが、セヴェソ市では7月に入りいろいろな記念行事が行われているようだ。 汚染された土地は現在も二重の金網で囲われた「樫の森公園」となっており、夏場は土日、朝9時〜夜9時まで市民に開放されるが週日は閉鎖されている。未だに汚染の記憶を色濃く残す町である。 高濃度ダイオキシン地区には頑強なフェンスが二重に設置されている。 フェンスの間の筆者。2006年3月、北ミラノのセヴェソにて 7月3日には樫の森公園において、記念行事が開かれた。これまでもミラノ大学等の専門家により多くの今なお疫学研究等が継続されているが、30周年を期に、セヴェソ市民が協力し、新たにセヴェソ事件に関連する埋もれた情報を堀りおこし情報を整理するという事業が行われてきた。 公園内には、英語とイタリア語によるパネルを新たに11枚設置し、30年前の忌まわしい事故を忘れることなく、また、樫の森公園が整備された経緯なども、市民の記憶から呼び起こし、関連の文書や記録などから新たに情報提供を行おうというものである。このプロジェクトは2000年から市民も参加して進められてきたものである。 忌まわしい過去を忘れずに記憶し続け、次の時代へ、未来へ情報を渡していく取組は私たちも見習うべきところが多い。 「樫の森公園の説明資料には次のような解説がある。 ●セヴェソ;それは環境保護のシンボル セヴェソの経験は政策作りにおける新局面がはじまるきっかけとなった。 すなわち、地域住民を守るための汚染源を管理するための新たな法整備である。実際、産業リスクの管理に関連する二つのヨーロッパ指令が「セヴェソ指令」と呼ばれた。そして、セヴェソ市は世界における環境保護のシンボルとなったのである。 1976年以降、セヴェソに居住することはより深く環境の価値を意識することを意味していた。この選択は市民たちに、汚染した地域を埋立、よりよい質の土地として価値を生み出すための決断をさせたのである。 環境面から、そして社会面からさまざまな機会がこれを証明している。例えば、Fosso del Ronchetto(ロンチェットの堀)と呼ばれる放置された緑地帯は、セヴェソの環境活動家たちによって回復され、1976年に創られたGroane公園は、セヴェソの歴史的な町並みをBosco del Biule(ビウレの森)として回復した。 財団関係者と一緒に写真を。2006年3月、ミラノのロンバルディア財団で。 右が池田、真ん中が青山。他はロンバルディア環境財団の理事ら。 財団の副理事長(右)らと議論する筆者(右) 2000年、セヴェソ、メダ、チェザーノ・マデルノそしてデシオの各議会は持続的発展に向けてアジェンダ21の策定に取組、フォーラムを設立し、また、各議会に担当部局を設置した。2001年、ロンバルディア環境財団とセヴェソ市議会は連携し、1976年7月10日の悲劇の物語を再構築するため、この間の各種の委員会が作成してきたすべての書類、文書類を収集し、「記憶の橋」と呼ばれる歴史的科学的研究プロジェクトに着手した。 2003年、Corriere della Sera社(地元新聞社)と財団はCorriere della Sera紙が書いた(セヴェソ関連の)すべての記事を含むDVDを作成するプロジェクトに着手した。また、他の日刊紙RCS紙により、1976年7月〜2003年7月までの関連記事についてのとりまとめが行われた。 地域のコミュニティは分裂することはなかった。 「記憶の橋」は現在と過去をつなぐ市民たちの記憶、経験を語り継ぎ残したいという思いを満たすプロジェクトとなった。埋立は、ブルドーザーによってのみ達成されたのではなく、地域の住民たちが受けた痛手を乗り越えようとする力、今でもその土地に住み続けるコミュニティの力によって達成されたものである。 このことが今でもセヴェソは環境保護のシンボルとなっている由縁である。 ●事故から27年を振り返って 27年後、1976年7月10日の悲劇的事件が市民にもたらしたものは何だったのか、改めて調査が行われた。「ICMESAの事故が次世代に教えるべき最も重要なものは何だと思いますか、ご意見を。」という問いかけに対する市民の答えは以下のようなものであった。 ・我々は、この土地とそこに住む人々への手当のために、より効果的な政策を必要とする。 ・この悲劇的な出来事を決して忘れないことそして、将来に警告を発し続けることが重要である。しかし、この事実を我々住民すべての次への発展の機会と捉えることが重要である。 ・多国籍企業というのは、営利主義であり、彼らは人々の生活や環境を守ることに関心を持っていない。 ・環境保護は次の世代にとっての資産である。これは、すべての個々人、そして基礎自治体から国の政府までが関心を持って係わるべきことである。 ・経済発展は持続的であるべきである。 ・事後的な処置・対策より未然防止が大切だ。 ・地域コミュニティが不測の事態に適切に対応してきたことは、地域への帰属意識を高める上で役立った。 ・団結した地域コミュニティは克服できない困難にも直面しそれを乗り切ることができる。 ・倫理的経済運営や社会的団結は社会にとって基本的な価値である。 (出典:ロンバルディア財団より入手試料及び、樫の森公園 公開ホームページ http://www.boscodellequerce.it/ 翻訳 池田こみち) 私たちの国も廃棄物焼却という身近な発生源により著しいダイオキシン汚染を経験してきた。ダイオキシン問題への関心が薄れる昨今、セヴェソ事件の記念日にあたり、こうした問題とどのように向かい合うべきなのか、改めて考えてみたい。 |