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東通村と原発

  池田こみち
環境総合研究所(東京都目黒区)

掲載日:2014年5月21日
独立系メディア E-wave Tokyo
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 5月18日晴天に恵まれた日曜日、私たちは、恐山のお参りを終え、県道6号で山を下り、むつ市街で国道338号に入り下北半島を東へ移動し東通村へと向かった。むつ市の市街地を抜けると沿道は次第に静かな農村地帯から森林地帯へと変化し、野山の新緑が目にまぶしい風景が続いた。

 下北半島をほぼ半分ほど東に進み標高70mほどの横流峠を過ぎてしばらく進んだ当たりで道が急に大きく右にカーブし南下し始める。そこで私たちは眼前に現れた立派な建物にびっくりし、車を停めその一帯を確認することにした。


 図1 東通村の地図
 出典:http://www.vill.higashidoori.lg.jp/keiki/page000012.html

 そこは、東通村砂子又地区、村役場や村立小中学校、村民プラザ、体育館、消防署などの公共施設と賃貸マンション、分譲住宅地が集中する村の中心エリアであることがわかった。

 東通村は、本州最北端青森県下北半島の北東部に位置し、北に津軽海峡、東に太平洋を臨み、東西24km、南北32kmと細長く、西にむつ市と横浜町、南に六ヶ所村に隣接している。面積は約294.39平方キロメートルと広大だが大部分が山林・原野であり、全体的になだらかな地形となっている。そこに忽然と出現した東通村の中心部は、あまりにも周囲から浮き上がった唐突な景観を作り出していた。


 図2 砂子又地区 出典 Google map 衛星画像



東通村体育館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18


東通村役場と村議会議事堂・交流センター
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 東通村の歴史と行政について、村のWebサイトとWikipediaから調べてみると、非常に興味深いことがわかった。

 村は明治22年、町村制の施行により12ヶ村が合併し東通村が発足、その後100年間村役場は、隣接するむつ市内(田名部町)に置かれていたと言うのである。できたてのように見える村役場や村民交流センターなどはいずれも1988年に作られたもので、すでに25年が経過していた。交流センターはジャガイモを半分に切ったような形で銅板張り、新築の時はさぞ銅の輝きがまぶしかったことだろう。 新しい街作りを進めているという砂子又地区を一周したが、人っ子一人歩いておらず、ひっそりしていた。日曜日の午前中とはいえ、あまりの静けさにびっくりした。

●歴史

 江戸幕府が倒れて明治元年(1868)、下北地方は一時、弘前藩などに属しますが、明治2年に斗南藩支配となり、明治4年(1871)の廃藩置県により斗南県、のち青森県に属しました。明治4年の大区・小区制の実施により、今日の東通村の骨格が形成されました。明治22年(1889)に、町村制が施行され、地方自治体として発足しました。しかし、集落が点在していたために、役場庁舎を隣の田名部町(現在のむつ市)に置かざるを得ませんでした。

 1889年(明治22年) - 町村制の施行により大利村、目名村、蒲野沢村、野牛村、岩屋村、尻屋村、尻労村、猿ヶ森村、小田野沢村、白糠村、砂子又村、田屋村が合併して東通村が発足。村役場は田名部町(現在のむつ市)に置く。1988年(昭和63年) - 東通村100周年を記念し、村役場の庁舎を村内に設ける。

●行政

 かつては村内の道路が未整備だったことを主な理由に村役場を村外(むつ市)に設置していたが、1988年に村制施行100周年記念事業として村内に役場を移転している。自治体の外に役場を置いている事例は離島地域である鹿児島県鹿児島郡三島村および十島村(共に鹿児島市内)、沖縄県八重山郡竹富町(石垣市内)があるが、東通村のように隣接自治体と陸続きなのは極めて珍しい事例であった。 

 東通原子力発電所誘致により、安定した財源が期待できることから、周辺市町村との合併を当面行わない方針を持つ。村が抱える課題として、村が整備した住宅団地の多くが売れ残り、大幅な財政赤字など新しい町作りが進んでいないことが挙げられる。

 現在の東通村の行政区は、29になっています。百年もの間、役場庁舎を村内に置けませんでしたが、昭和63年(1988)に砂子又に庁舎を移転しました。砂子又地区に中心地整備を図り、新しい村づくりを進めています。

産業:エネルギー産業
 原子力    東通原子力発電所
         東通村防災センター
 風力発電  岩屋ウインドファーム


東通風力発電ファーム
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 公共施設の奥に、南北に見ると瞳の形に開発された「ひとみの里」という分譲住宅の区画があるが、まだ家はまばらで多くの区画が買い手を待っている状況のようだった。ひとみの里については、東通村のWebサイトに案内がある。

 一区画が150坪前後で、分譲価格は400万円〜600万円程度のものが多いようだ。


東通村:ひとみの里 区画図
出典;http://www.vill.higashidoori.lg.jp/files/100478629.pdf

 さて、人口約7000人の東通村。主な産業は原発(東通原発)と風力発電などのエネルギー産業とはいうものの、豊かな自然に恵まれ、畜産、漁業、農業などの一次産業も村の重要な産業である。村のWebサイトにも、「広大な土地と2つの海の恵みを生かした農業・漁業が主体です。農業は、水稲のほか、そば・ブルーベリー・各種野菜の生産にも力を入れています。また、畜産業は、肉用牛の飼育を主体としており、「東通牛」のブランドで全国各地に出荷しています。漁業は、サケ・イカ・ヒラメのほか、アワビ・ウニ等の貝類、昆布・フノリ等の海藻類が主体となっています。」と一次産業をPRしている。

 これらの一次産業を支える人々は漁場である海、畜産のための牧場、農業のための農地と一体に生活しているのであり、ひとみの里の分譲地とはあまりにもギャップがある。

 現在の人口は7000人だが、平成17年当時は8000人ほどの人口があり、約10年で1000人近くも人口が減少している。

 そこで、原発との関係をチェックしてみると、やはり、以下の年表からもわかるように、1965年には村議会が原発誘致を決議、県議会が誘致請願を採択し、1970年には東北電力と東京電力の共同による村内への原発立地が公表され、80年代に入り、次々と漁業補償交渉などが行われていく。まさに、その時期に合わせて、東通村存立から100年目と称して、このような立派な村役場をはじめとする公共施設、街作り開発が着手されたことが見て取れる。電源三法の交付金を充当した公共事業の現場である。

★東通村と原発:東通原子力発電所の主な経緯
http://www.atom-higashidoori.jp/01_gaiyou/index2.html

 青森県は全国でもっとも電源三法の交付金を受けている自治体の一つである。東通村には東北電力と東京電力による東通原発1号機が既に稼働しており、2号機は計画中となっている。加えて、2006年12月には、東京電力が単独で新たに東通原発1・2号機の建設準備を始めており、合計4機分の原発立地地域として交付金を受け取っているのである。

 村に交付金は入り、漁業者は漁業補償を得られるが、その一方で、人口は減少の一途を辿り、村設立100年を期してスタートした街づくりもまだまだ緒に就いたばかりというか、今後に大きな課題を残しているという印象をぬぐえなかった。

 それにしても、立派な施設が集中整備されている様子には改めて一同が目をまるくしたのだった。