2014年12月5日、六本木の国立新美術館で開催されている「日展」を鑑賞に行った帰り、六本木から東京メトロ南北線の麻布十番まで散歩した。
この時期、テレビ朝日があるその昔、材木町と言われた地域の電飾がすばらしい!
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-5 Evening
下の大きな写真はそのテレビ朝日がある江戸時代の毛利藩の上屋敷があった場所で、現在、毛利庭園と呼ばれている場所である。その昔は旧材木町と呼ばれていた。
写真中、背景にある建築物がテレビ朝日である。何とも可愛らしく、愛らしく、美しい電飾風景である。
◆現在、毛利庭園=旧、毛利甲斐守邸跡
毛利庭園は、東京都港区六本木六丁目(旧六本木材木町)にある史跡である。長門長府藩主(長州藩毛利氏の分家)だった毛利綱元の麻布上屋敷の跡地である。現在は六本木ヒルズ内の毛利庭園となっており、ひょうたん池の傍に跡地である旨を示す標柱が建てられている。
参考:Wikipedia
庭園の歴史は、およそ350年前の江戸時代に遡ります。慶安3年(1650年)、毛利元就の孫、秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪の地(現在の六本木六丁目他)に上屋敷を設け、その大名屋敷の庭園として誕生します。
その後、元禄15年(1702年)、吉良邸討ち入り後、赤穂浪士岡島八十右衛門ら10人が毛利家に預けられました(細川、毛利、松平、水野の四家に分けて預けられる)。翌年2月、全員がこの地で武士の本懐を遂げました。
嘉永12年(1849年)、のちに明治時代の陸軍大将となる「乃木希典」が、長府藩上屋敷の侍屋敷に希次の三男として生まれ、幼年期9年をこの「日ヶ窪屋敷」で過ごしました。元治2年(1865年)、堀田相模守がこの日ヶ窪屋敷を拝領します。
時代は変わり、明治20年(1887年)、中央大学の創始者であり、弁護士、法学者、法学博士でもあった「増島六一郎」氏(1857〜1948年)が自邸として当地を取得し、その庭園を「芳暉園」と名付けました。大正8年(1919年)4月、「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます
出典:RoppongiHills.com
昼間の毛利庭園 右側のビルがテレビ朝日
出典:RoppongiHills.com
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下は毛利庭園付近の地図です。
出典:グーグルマップ
昼間の毛利庭園 出典:グーグルマップ・ストリートビュー
私達は国立新美術館で日展を見た後、歩いて→テレビ朝日(毛利庭園)→麻布十番商店街→麻布十番駅→..で帰途についた。
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