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   美の極致、厳寒のロシア2大都市短訪

2大都市独ソ戦

ペテルブルグ包囲とネコ

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
無断転載禁
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<独ソ戦>
 ペテルブルグ包囲  ペテルブルグ包囲とネコ   モスクワの戦い  独ソ戦

   
 ロシアの国章    サンクトペテルブルグ紋章    モスクワ紋章


 ところで、このレニングラード(現・サンクトぺテルグルグ)包囲戦では、以下のような実話がサンクトぺテルグルグに残っています。

 今回の旅行では、案内をしてくれた学芸員の方に、この話をしたところ、「事実」であり、サンクトぺテルグルグの市民はネコに頭が上がらないとおっしゃっていました。

 以下はその実話を紹介するスプートニクの記事です。

レニングラード(現・サンクト・ペテルブルグ)とネコ



 明日、2017年1月27日、ロシアはナチス独によるレニングラード包囲戦からの解放記念日を祝います。

 1941年夏、ヒトラーはレニングラード(現・サンクト・ペテルブルグ)の周辺部で軍事行動を展開しました。ヒトラーはこの町を地図上から消し去り、住民もろとも壊滅させる計画を抱いていました。町の防衛の突破に失敗した独軍司令部は飢餓による町の奪取を決めます。

 1941年9月町は環状に包囲され、鉄道交通も遮断されました。レニングラード包囲戦は871日間に及びます。これは人類史上最も長きに渡り、恐怖に満ちた攻防戦とされています。攻防戦による死者の数については40万人から150万人まで様々に数値が分かれています。そして1944年1月27日、町は完全に開放されました。


猫 c AFP 2016/ PATRICK PLEUL 英国外務省の猫のために近衛兵整列【写真】

 飢えに苦しむレニングラード市民の命を救ったのが実は…、猫であったことはあまり知られていません。封鎖の2年間、飢餓で弱りきった人々が町を行く最中に死ぬことも稀ではなく、凍りついた死体が転がっていようが、人々はもう驚かなくなっていました。とうとう何も食べるものがなくなった場合、声に出して言うのも恐ろしいことですが、猫の肉が食されたのです。

 なぜならそれが人命を救う唯一の方法だったからです。1943年頃までには町から猫の姿は消えました。そして代わりにネズミの大群が文字通り町に溢れかえりました。ネズミは壊滅的な勢いでわずかに残った食料を食い漁っていったのです。

 人間はすっかり力を失っていたため、ネズミらは生き人間にまで襲い掛かるようになったのです。伝染病の蔓延の脅威が町を覆います。そればかりではありません。ネズミたちは美術館、博物館に入り込み、残されていた芸術作品や書籍、絵画までを食い漁っていったのです。

 こうした事態になって猫を他の地域から連れてくることが決められました。そして鉄道交通が部分的に回復されるやいなやレニングラードにヤロスラヴリから猫を詰め込んだ車両が到着します。猫たちは直ちに戦闘を開始し、地下室、屋根裏部屋、ゴミ捨て場からネズミを一掃し始めました。


大地震から32日間、瓦礫の下から猫が無事救出
c SPUTNIK/ NATALIA SHMAKOVA

 猫たちは凍えた子どもたちを暖め、恐怖に満ちた時代のすさんだ心になにがしかの喜びをも与えたのです。ペテルブルグの人たちはそんな猫たちの成した功績を未だに忘れてはいません。包囲戦当時の猫たちに感謝して捧げた記念碑は町のあちらこちらに見られます。また英雄の猫らの子孫もペテルブルグには健在で、中にはキャリアの道に進んだものもいます。かの有名なエルミタージュ美術館でも猫たちは所蔵品をしっかり守って活躍しています。

出典:スプートニク

 下はロシア語版のWikipediaにおける「エルミタージュ美術館とネコ」の冒頭部分です。




Эрмитажные коты  Source:Russian Wikipedia

 これは、「2016 - エルミタージュ猫の日」(День Эрмитажного Кота) の記事にあった写真です。


「2016 - エルミタージュ猫の日」

「2016 - エルミタージュ猫の日」

 下もロシア語のWebにあったエルミタージュの猫です。


Source:Изображение котов Эрмитажа появятся на конфетах

 以下は、青山、池田がサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館で購入したサンクトペテルブルグのの2匹の猫です。


サンクトペテルブルグのの2匹の猫  
オリジナル絵画所有 青山貞一、池田こみち 環境総合委研究所にあります。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく