エントランスへはここをクリック   


   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

ボータタング・パゴダ
Botataung Pagoda

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁


 このころから雲行きが怪しくなってきました。いつ雨が降ってもおかしくない状態です。

 そして、やっとのことで臨港線トラムの現在の東側ターミナルとおぼしき、ボータタング駅に到着します。下はそのボータタング駅です。確かに線路はあるのです、どう見ても臨港線トラムが走っているようには見えません。

 駅に行ってみると、5人ほどの子供が遊んでおり、トラムを待っている人はどうみてもいないようでした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-2 Yangon

 以下は、「地球の歩き方 ミャンマー編」の例の地図です。ボーダタングは、右下のD地点です。なんだかんだ言って、ついにボーダタング出来に、B→C→Dと歩いき到着したのです。


出典:地球の歩き方 ミャンマー編

 ところで、ボータタングには、有名なパゴダと寺院がありました。下の写真はそのパゴダと寺院です。名称は、地名をとりボータタング・パゴダです。このボータタング・パゴダは後述するようにシェエダゴン・パゴダと同時期に創建されたとされており、ヤンゴンでは有名なパゴダです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-2 Yangon


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-2 Yangon



 ボータタング・パゴダ   出典:Wikipedia

 下はボータタング・パゴダの位置を示しています。


出典:グーグルマップ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-2 Yangon



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-2 Yangon


 以下、ボータタング・パゴダの概要取れ機器の解説です

ボータダタング・パゴダの概要と歴史

 ボータタング・パゴダは、ヤンゴン市の下町、ヤンゴン川沿いにある有名なパゴダの一つです。パゴダは、シュエダゴン・パゴダと同時期、モン族によって2500年ほど前に創建されたとされています。モン族の言語では、Kyaik-de-attとして知られています。パゴダは、建物内部に窪みがあり、ゴウタマ・ブッダの聖なる遺髪と信じられているものが安置されています。ボータタング・パゴダは、第二次世界大戦で完全に破壊されましたが、戦後再建されています。

歴史

 Rohani Bo Bo Gyiは、ボータタング・パゴダの守護神と信じられています。ビルマの伝統によれば、数千年も前に、この場所の小高い丘(塚)に1000人規模の王に使える幹部たちが並び、ブッダの遺髪(遺品)がインドからビルマに上陸するのを見守ったとされています。

 パゴダ建設についての昔からの言い伝えによれば、仏教徒であるSihadipa王が彼の部下である大臣に、その善行と忠義を讃えて、ブッダの頭からとった聖なる髪と身体からとった二つの遺物を与えた際に、有名な宗教的指導者に相談したところ、そのアドバイスによって、シュエダゴン・パゴダから南東の方向に1000 tars(7,000腕尺cubits)離れているヤンゴン川の河畔のボータタングの丘がよいとされ、その場所に遺品を収めることになりました。

第二次世界大戦
 パゴダは1943年11月8日、RAFがヤンゴンの岸壁近くを爆撃した際にパゴダも爆撃され、完全に破壊されました。パゴダは、黒焦げの廃墟になってしまいました。

再建

 パゴダの再建は、ビルマがイギリスから独立を勝ち取った1948年1月4日、その日に開始されました。発掘作業によって、遺品の収められている部屋が見つかりました。その部屋は、20’×20’の広さで、高さが6、上に行くに従って狭くなっていました。まるで、巨大なポットが逆さまになって中にある物を覆っているように見えました。

宝物の覆いの中心には、パゴダの形をした素晴らしい石の小箱が見つかりました。大きさは、直径が23インチ、高さが39インチでした。この石の小箱の回りは、ラテライトにナッ信仰(ミャンマーの民間信仰・土着信仰)の彫り物が施されており、明らかに歩哨(哨兵)として配置されてものでした。

 この部屋の中にあったパゴダ形の石の箱からは、多種多様な宝物類が発見されました。貴重な石、飾り、宝石、テラコッタの銘板、金製・銀製・黄銅製・石製の像などです。遺物が収められていた石の箱の内外から発見されたこれらの宝物は全部で700にも上りました。綺麗な状態で発見されたいくつかのテラコッタの額には、仏教の彫刻が施されていました。

 遺物のあった部屋から発掘されたテラコッタの額のひとつには、主である仏陀の像を描いた物もありました。長い年月と湿気による影響を受けてはいますが、非常に貴重なものです。その額の裏側には、南インドから伝えられた古代Brahmani文字に非常に近い文字が刻まれていました。

 これらは、古代の貴重な証拠となるもので、ビルマ連合政府の考古学の指揮官であったU Lu Pe Winによって解読されました。彼は、最初の言葉“e”は“evam vadi”に由来する物であり、文字は古代モン族(ミャンマーとタイ国の隣接地域に住む仏教徒の一団)の様式によるものであると指摘しました。この発見が、パゴダが古代モン族によって建立されたと信じられていたことを証明することになったのです。



ボータタング・パゴダ   出典:Wikipedia

 以下は寺院の内部の写真です。


ボータタング・パゴダの内部   出典:Wikipedia



ボータタング・パゴダの内部   出典:Wikipedia



This photo of Botahtaung Pagoda is courtesy of TripAdvisor



This photo of Botahtaung Pagoda is courtesy of TripAdvisor



ボタタング パゴダ (トリップアドバイザー提供)


つづく