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   東マレーシア・サバ州現地予備調査

ボルネオ島最北端、クダッとは
Kudat, North End of Borneo Is.

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年2月9日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
<全体目次>



 1月31日 成田→コタキナバル(東マレーシア・サバ州)
 2月 1日 〜 2月4日 現地予備調査
    1日 熱帯雨林自然保護区野生生物観察
    2日 ボルネオ島最北部クダッ現地視察 .........●
    3日 キナバル山麓、キナバルパーク現地視察
    4日 コタキナバル市内視察
 2月 5日 コタキナバル→成田


 翌2015年の2月2日、レンタカーを借り日本人がほとんど行っていないボルネオ島の最北端にあるTip of Borneo(直訳でボルネオの先端) そしてクダッ(Kudat)に現地調査で行くことになりました。

 このクダッの地は、ボルネオ島に英国人が最初に上陸し、後に英領北ボルネオ会社を設置したとちでもあります。

 ところで、私達は現地でクダット、クダットと発音していましたが、どうも正解はクダッは発音しないようです。

 ホテルからそのクダッまでは、約157km、コタキナバル中心市街地からは194kmあり、ホテルからでも2時間半以上もかります。実は借りたレンタカーがトンデモな車で、ブレーキの効きが悪くブレーキを踏むたびに変な音が出ることが分かりました。

 翌日(2月3日)のキナバル山への現地調査では、車の音が次第に大きくなり、かつ蒸気機関車のようにシュッシュッポッポの音となってゆきます。しかし、途中で変えてもらうわけにも行かず、最終的に2月2日、2月3日の重要な現地調査はこのトンデモ自動車と付き合うことになりました。

Perodua Myvi 1300cc

http://www.perodua.com.my/ourcars/myvi/overview/intro

 帰国後、この車のメーカーを調べたらこの車はマレーシア産であることが判明しました。幸い、ヘンテコな音はしたものの、ブレーキが故障するなどして事故が起きることはなく、かつ燃費もそこそこ良かったのですが、整備不良の車を貸すレンタカー屋に責任があると思います。

 このようにレンタカー車はオンボロでしたが、ガソリン代は日本の1/3程度で安く2日で合計800km近く走りましたが、一度の給油で十分に走れました。

 マレーシアでは物とサービス、たとえば入園料、ホテル代などが外国人、観光客と現地の国民との間でダブルスタンダード価格でしたが、まさかガソリンスタンドがマレーシア人と外国人(旅行客)を価格で分け隔てすることはできず、現地国民価格で利用できたことになります。

 ダブルスタンダードでとくに顕著なのは食事でした。これは東南アジア諸国どこでも同じですが、観光客が行くような店やホテルのレストランは、ほぼ同じ量と味の現地の料理が3−5倍、酷い例では10倍近く高額となっていました。これについては別途具体的に触れます。


出典:グーグルマップ

 以下はクダッの概要です。

◆クダッの概要



 クダッ(Kudat)は東マレーシア・ボルネオ島北部のサバ州の北端にある町です。クダッの人口は2000年時点で約68000人です。

 州都のコタ・キナバルからは約190kmの距離があります。町の西側は南シナ海、東側はスールー海に面しています。

 クダッの人口構成は、ルングス族(Rungus)が一番多く、次が原住民のカダザン族(Kadazan)となっています。 華人は人口の約10%を占めています。その他にもバジャウ族(Bajau)、ムルット族(Murut)、ブギス族(Bugis)、ドゥスン族(Dusun)などの少数グループが生活しています。

 マレー人もおりますが、少数です。また、ミンダナオ島を中心とするフィリピンやスールー諸島からの不法滞在者もかなり住んでいるようです。

 クダッ観光地としては、Tip of Bouneo(ボルネオ島の先端の意味)がある程度であまり認知されていませんが、町の近くに近代的なビーチリゾートがあります。また観光地化していませんが、すばらしい白砂の浜があります。


北ボルネオにおけるクダッの位置  Wikipedia

 下は Tip of Borneo とすばらしい白砂のビーチの衛星写真です。


出典:グーグルマップ(衛星写真)


クダッの歴史

 1881年11月7日、英国の北ボルネオ会社(North Borneo Chartered Company)によって、英国領北ボルネオ(British North Borneo)の首都として町が創設されました。

 バジャウ族やミンダナオ島のイラヌン族(Illanun)、スールー諸島の部族などが海賊行為を働き、町がたびたび襲撃されたため、1883年に北ボルネオの首都は、東海岸にあるサンダカンに移されることになります。

 下は英領北ボルネオの地図です。英領北ボルネオにはクダッから南はブルネイ、東はサンダカンまで含まれていることが分かります。とはいえ、当時、コタキナバルとサンダカンを結ぶ山岳道路はなく、おそらく両者は船で行き来していたものと思われます。


Area of the Chartered Company's Property

1888年7月 英国北ボルネオ会社により統治される英国保護国北ボルネオ成立
1909年 英泰条約によってクダ・スルタン国は英国に移譲され英領マラヤになる。
1948年 戦後、英国に返還されていたクダ州がマラヤ連邦に加入。
1963年 シンガポール、英国保護国北ボルネオ、英領サラワクがマラヤ連邦
     と統合し、マレーシア成立。
1965年 シンガポールがマレーシアから独立。

参考:Wikipedia


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