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●碓氷峠の熊野皇大神社 見晴台の次は、熊野神社である。正式には、熊野皇大神社という。 熊野神社は全国各地にあり、私たちの北軽井沢別荘の北にある嬬恋村門貝地区にも小さな熊野神社がある。以下は、2010年夏に書いた門貝についての論考だが、そこでも熊野神社について触れている。以下は上のブログからの転載である。
まず最初に神社による自己紹介から。 当神社は碓氷峠頂上 標高1200mに位置し、自然豊かな軽井沢に鎮座する唯一の神社です。また、当神社は、全国的にも珍しい県境、お社の中央で長野県と群馬県に分かれた神社です。ですので、一つの神社でありながら2つの宗教法人がけんざいし長野県熊野皇大神社と群馬県熊野神社に分かれております。その為、神社をお護りする宮司も2人おりそれぞれ神社のお祀りを行っており、御祈祷・お守り・社務所も別になっております。 当神社は長野県、軽井沢の氏神、長野県熊野皇大神社であります。 その熊野神社の位置は、碓氷峠であり正確には軽井沢町がある長野県と群馬県の安中市の境界線上に位置している。神社の半分が長野県、半分が群馬県である。 碓氷峠は上州と信州の国境(県境)にあり、熊野神社はまさに碓氷峠の中心にあるわけだ。万平ホテルから見晴台までは国道133号線を登るが、見晴台から熊野皇大神社には、徒歩で5分で行ける(以下の地図参照)。 軽井沢の見晴台と熊野神社の位置 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 熊野皇大神社の歴史は非常に古い。それは「古事記」「日本書紀」の伝承にまで遡っており、日本武尊が建立したと伝わる古社である。 これは神門 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 上の写真で、群馬県側(右側)に鎮座されるのが「新宮」(祭神: 速玉男命)、また県境に鎮座されるのが「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊、さらに長野県側に鎮座されるのが「那智宮」(祭神:事解男命)になる。 撮影:青山貞一 熊野皇大神社には、後述するように境内に樹齢800年といわれる御神木のシナノキがある。追分節にうたわれた石の風車や、室町時代中期の作と伝わる狛犬、山口誓子句碑など様々な見所がたくさんある。 撮影:青山貞一 この神社には、境内にシナノキがある。現在、このシナノキは長野県の天然記念物に指定されているが、樹齢は何と850余年と伝えられている。またこのシナノキが長野県をして信濃(しなの)と呼ぶ語源となったされる説も宮司から伺った。さらに境内の端には碓氷川の水源があり、近隣の人々が飲料に用いてきた。 熊野皇大神社の境内にある樹齢850余年のシナノキ 撮影:青山貞一 下は室町時代中期の作と伝えられ、長野県内では一番古い狛犬である。 長野県内では一番古い狛犬 撮影:青山貞一 ●熊野皇大神社の社家 熊野皇大神社の社家は、社家が上州と信州の二つの国に分れていたためいろいろな争論があった。 たとえば、1662年(寛文2年)には信濃側(長野県)の神宮寺が上野国(群馬県)の社人に無断で国境を越えて小屋を設けたため、その取り消しを求める裁許が下された。また1664年(寛文4年)には三所権現は両国の社人が相談して守護する。 その結果、新宮は上野、那智社は信濃の社人が守護する。本宮は両国の社人が1年交替で守護し、当番でない年でも神事や祭礼を勤める。との裁許状が出された。 1716年(享保元年)には両国にまたがる権現の森の立木を伐採した社人が罰せられている。社家の中では神主と禰宜の区別がなく、氏子に牛王宝印を供与したり初穂を受取るなどして生計をたてていた。なお、宝暦年間には両社家の間で通婚も行なわれている。 撮影:青山貞一 上図の詳細説明 本殿三社(中央左:信濃国、中央右:上野国) 撮影:青山貞一 社務所 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 ●神社の名称について かつては長倉神社熊野宮または長倉山熊野大権現と称したが、神社の社地が信濃と上野の国の境界となり、上野国も入ったため熊野宮と名称が短くなった。 また碓氷神社、熊野大権現とも呼ばれたが、1868年(慶応4年)に熊野皇大神社に改称したという。 第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県ごとに宗教法人の登記がされることになったため、ひとつの神社でありながら県境を挟んで、長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。そのため、一つの神社だが、宮司や社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は別々である。
境内にはいくつかの社宝がある。 @古鐘(左) 鎌倉時代(正応5年:1292年)に松井田町の武士団によって「二世安楽=即ち現世と幽世の両方の世界での幸せ」を祈願して奉納された釣鐘。現在、群馬県最古の釣鐘として「県重要文化財」に指定されている。 A石の多重塔(右) 南北朝時代(文和3年:1354年)に、やはり「二世安楽」を願って建てられたもの。現在、六重であるが、天明3年(200年位前)の浅間山の大噴火による灰の堆積等で崩れ、上部の一石が紛失したと云われ、本当は七重とのこと。武蔵野戦にて亡くなった武士の遺骨を納めたと伝えられる。 ●信濃国、十三社巡り 熊野皇大神社でいただいたパンフレットに信濃国、十三社巡りがあった。以下はその十三社である。 私(青山)は田中知事のとき、長野県庁に特別公務員として大学と兼務で勤務していたこともあり、おおくの長野県の寺社仏閣にでかけている。熊野皇大神社が最後の13社目にある。 若一王子神社 長野県大町市大町2097 穂高神社 長野県安曇野市穂高6079 長野縣護国神社 長野県松本市美須々6-1 四柱神社 長野県松本市大手3-3-20 深志神社 長野県松本市深志3-7-43 諏訪大社上社本宮 長野県諏訪市大字中洲宮山1 諏訪大社上社前宮 長野県茅野市宮川字前宮2062 諏訪大社下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 諏訪大社下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 手長神社 長野県諏訪市茶臼山9556 御嶽神社 長野県木曽郡木曽町三岳黒沢6687 御嶽神社 長野県木曽郡王滝村3315 戸隠神社中社 長野県長野市戸隠中社3506 武水別神社 長野県千曲市大字八幡3012 生島足島神社 長野県上田市下之郷中池西701-甲 熊野皇大神社 長野県北佐久郡軽井沢町大字峠町字碓氷峠1 黄色い部分は訪問した神社である。 熊野皇大神社参拝の後、碓氷峠にある茶屋で名物の力もちをいただく。3種類ありどれも美味しかった! つづく |