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真夏の上信州、歴史探訪

〜六合の赤岩神社@〜

青山貞一  池田こみち
掲載月日:2011年8月20日
 独立系メディア E−wave
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●赤岩養蚕集落について

 この夏の2011年8月、いつものように群馬県北軽井沢にある環境総合研究所(東京都品川区)の別荘にでかけた折り、今まで何度も何度となく志しながら、いまだ一度もお参りを果たせていなかった群馬県旧六合村(現在中条町六合)の赤岩集落南端の崖の上にある「赤岩神社」の本殿に何が何でも行こうと決意した。


国道292号線から見た赤岩養蚕集落。写真中右端に赤岩神社がある
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 神社に参拝にゆくのなら、何もそんな大仰に、また深くに考えず行けばいいじゃないかと思うだろう。しかし、この「赤岩神社」、後述するように結構険しい山の崖の上にあって、健康そして健脚のひとでもそう簡単にたどりつけないのである。

 途中、ある何カ所かある別々の石の階段は、いずれもステップが狭く、ボロボロで朽ち果てている。

 いつ何時崩れ落ちるか分からない。さらにがけの上にある神社の上に本殿にがあり、そこに行く階段も林道も何もない。そんながけを登らないとお参りする本殿にはたどり着けないのである。まして私(青山貞一)は永年、気管支喘息で発作か起きると数mの階段でも登れなくなってしまうのだ。

 この春(2011年5月)のゴールデンウィークには、青山研究室の池田さんと青山研究室の学生2名を連れ、赤岩の農村集落を見学に行った。

 そのときは3月上旬から中旬にかけ南イタリアに現地調査行ったときから続いていた動悸、息切れがさらに酷くなり、気管支喘息の発作も加わって、到底赤岩神社の階段を登るどころではなく、私だけ待っていて、池田さんと学生が登頂(?)にトライ、見事、がけの上の本殿までたどり着いた。

 下は本殿までたどり着いた左が佐藤君、右は田上君の青山研の学生である。

 
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10

 その後、私の症状が一向に改善せず、かかりつけの医者や慈恵医大病院の医者らにも相談したが、なかなか原因すら分からなかった私の動悸、息切れ、発汗、激やせどの原因を6月中旬になって自力で解明し、何と6月中旬から体調が完全に回復したのである。以下は原因解明について書いたブログである。

◆青山貞一:実感!、ホメオスタシス三角バランスの大切さ! 
◆青山貞一:病気を治すために「主体的患者」であることの重要性

 人間の健康は、<免疫機能>、<自律神経系>、<内分泌ホルモン>の3つがバランスとれ、はじめて達成すると自戒していた私だが、上記の症状は内分泌ホルモンに関連していることが分かり、3ヶ月続いた私の動悸、息切れ、発汗、激やせは一気に回復したのである。

 そんなこともあり、今回(8月)は赤岩神社の本殿まで登りお参りしようと決意(嗤い)していた。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10


●赤岩養蚕集落について

 群馬県中之条町六合にある赤岩集落は、現在、江戸時代から明治、大正、昭和にかけ養蚕が行われた農家の建築物、建造物を中心に東西が約1070m、南北が約930mが平成18年に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。

 赤岩神社の参道入口前にある以下の案内図では、緑色の■となっている部分が「重要伝統的建築物群保存家屋」となっており、その右外れ(実際は南端)に赤岩神社の入口がある。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 このように赤岩集落は 埼玉県の秩父地域や長野県の上田地域のように、もともと養蚕を生業にしてきた農山村集落である。

◆池田こみち:温故知新・秩父事件〜地場産業のちちぶ銘仙

 個々の建築物は江戸時代後期から明治時代に建てられており、指定された家屋の大部分は現在でもその主屋のみでなく、土蔵、付属舎、庭などを含め農村家屋が街道沿いに連たんしている。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3

 その結果、現在でも江戸時代の原風景や景観を維持しており歴史文化遺産地区をなしていると言える。上記より分かるように、赤岩農村集落は、養蚕を母胎としていることから同じ群馬県内富岡市にある「富岡製糸場」や「絹産業遺産」とともに暫定世界遺産のリストにも選定されている。

 この赤岩集落の特徴は、養蚕家屋は、そのままあるいは改良されし、村民が今なお生活や生産(農業)の場として活用していることにある。

 なお、赤岩集落には今回登った赤岩神社のほか観音堂、毘沙門堂、東堂、向坂の観音堂などの寺社仏閣も残っている。 さらに、歴史的には木曽義仲の家臣を祖に持つ湯本家に幕府批判をした事で罪人となり脱獄した著名な高野長英(江戸時代後期の医者・蘭学者)が隠れ住んでいたとされている。

高野長英


高野長英像 出典:Wikipedia

 赤岩地区内にある旧家「湯本家」は、木曽義仲の残党と言われ、戦国時代から江戸初期にかけて子孫が活躍して繁栄の基礎を築き、江戸期は漢方医学の流れの医者を出し、河童伝説の家伝薬「命宝散」や「月桂酒」という薬酒の製造と医業にたずさわった歴史があります。

 1806年頃に建造された湯本家住宅は高野長英をかくまったと伝えられる「長英の間」などを残す貴重な民家であり、また地域内には岩山を切り開き道路を開設した秀英法印、神社仏閣などが歴史的経緯を偲ばせてくれます。

出典:http://www.vill.kuni.gunma.jp/guide/rekishi.html

 下は、明治維新に開国を唱えかの蘭学者であり蘭医の高野長英が一時期、隠れ家としていた建築物。現在は湯本氏の自宅となっている。高野長英はあのシーボルトに学んだ蘭医のひとりでもある。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10

 そんなこともあり、赤岩集落には町営の「長英の隠れ湯」という温泉があり、私たちも行く度に温泉を楽しんでいる。赤岩村落の人々は200円、以外は400円である。町民にとっての銭湯の役割も持っている。


町営の「長英の隠れ湯」という温泉
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10


町営の「長英の隠れ湯」という温泉
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3

 なお、赤岩の詳細については、以下を参照して欲しい。

◆青山貞一・池田こみち 日本のロマンティック街道を行く E2日目:六合村赤岩の養蚕農家


つづく